刃の先は(3)

 翌日。レヴは午前中に所定時間の訓練とその他の雑事を済ませると、バスに乗ってヴェルセア――ノルトベルクの南部にある都市だ――へと向かった。

 その郊外にある丘を登って、レヴは丘の先に建てられていた小さなへと辿り着く。

 背後から真っ赤な夕陽が差す石碑を、レヴは神妙な面持ちで見つめた。



『正暦一九四五年 七月二十八日 北部第一戦線戦災者慰霊碑』



 目の前に佇む小さな石碑には、それだけが彫られていた。

 そう。一九四五年。七月二十八日。ヴァイスラント帝国軍が突如として侵攻を開始し、レヴの家族を――同じ街に居た人達を、皆殺しにした日だ。

 脳裏に蘇るのは、最期に見た妹の――シャロの記憶だ。

 確か、昼前ぐらいだっと思う。誕生日の妹に贈るプレゼントを買おうと、家を出た瞬間だった。レヴの家が砲火に巻き込まれたのは。

 直撃した榴弾砲は、レヴ達のちっぽな家を一瞬にして瓦礫へと変えた。

 瓦礫の下敷きになった両親は即死したが、シャロは何とか一命を

 必死になって探したシャロの容態は、それはもうとても見るに堪えない凄惨な状態だった。


 全身にはおびただしい量の榴弾の破片が突き刺さり、身体のあらゆるところからは血が噴き出していて赤い血溜まりを形作っていた。折れた鉄骨によって右腕は肩から下が切り飛ばされ、下半身は瓦礫の下敷きになってしまっていて身動きが取れなくなっていた。

 それなのに、即死する事はできていなくて。シャロは、想像を絶する苦痛の中で横たわっていたのだ。

 けれど。それを見たレヴは、何もできなかった。瓦礫は重た過ぎて少しも動かせず、破片の突き刺さったシャロの身体は、レヴの力と持ち物ではどうすることもできなかった。

 目の前で涙を流しながら衰弱していく妹を、レヴはただ見ていることしかできなかった。それどころか、敵軍の進行してくる音を聞いてその場を逃げ出してしまったのだ。

 妹の服の破片が入った左胸を、レヴは強く握り締める。

 思わず、嗚咽が漏れ出た。涙がとめどなく流れ出てきて、止まらない。


「ごめん…………! シャロ…………!」


 立って居られなくなって、レヴはその場にしゃがみ込む。

 痛恨と悲嘆の感情がレヴの身体を焦がし、やり場のない憤怒と後悔が慟哭となって頬を伝い落ちていく。

 あの時、レヴは最期まで一緒に居てやるべきだった。でなくても、早く楽にさせてやるべきだったのだ。

 あの時、シャロはどれだけ痛かったのだろう。どれだけ苦しかったのだろう。レヴにはとても想像できない苦痛の中で、シャロは家族に見捨てられたのだ。

 どれほど心細かったか。どれだけ悲しかったか。それを考えるだけでも、胸が張り裂けそうになる。



「おに……、ちゃん…………。逃げ…………て」



 それが、レヴが聞いた妹の最期の言葉だ。今でも鮮明に覚えている。絶対に忘れることはない、忘れられない声。

 紅い血溜まりの中、シャロは鮮血と涙に濡れた顔で精一杯の笑顔をつくって言った。行かないでと、助けてと泣き喚きたかったはずなのに。

 妹はとても聡明な子だったから、自分達を襲ったのが何なのかは薄々察していたのだろう。だから、彼女は自分が喚けば、近くに居るレヴの命が危ないと思って。堪えていたのだ。

 なのに。レヴは逃げてしまった。彼女の言葉の通りに。


「ごめん……守れなくて…………! 何もしてやれなくて…………!」


 結局、その街からはレヴ以外の生還者は出なかった。そして。それ以降。ルフスラール連邦は、レヴ達の住んでいた街を奪還できていない。

 唯一、この慰霊碑だけが、シャロ達が生きていた証だ。

 その場で泣いて、泣きまくって。レヴはようやく落ち着きを取り戻した心で、石碑をきっと見据える。その先に揺らめいていた夕陽は、いつしか地平線へと沈んでいた。

 ……もう。二度と大切な人は喪わない。誰にも、失わせない。

 深紅の瞳を燃やして、レヴは胸中で決然と呟く。あの時は、ただひたすらに無力だった。何かを変える力がなかった。けれど、今は違う。

 今のレヴには、力がある。誰かを守れるだけの力がある。

 ――今度こそ。大切な人を守ってみせる。

 決意も新たに、レヴは寂寞せきばくとした石碑に背を向ける。



「…………また、来るよ」



 そう呟いて。レヴは慰霊碑を後にした。




 少し歩いた先、丘下にあるバス停の前には一人の人影があった。

 照明に照らされたベージュ色のコートからは、よく見たハーフアップに纏められた真朱の髪が見えていて。レヴはまさか、と真紅の瞳を細めさせる。

 彼女はこちらに気がつくなり、苦笑したように笑った。


「薄々予想はしてたけど。……やっぱり、ここだったのね」


 その声色に、レヴは少し呆れたように口の端を吊り上げる。こんな辺鄙へんぴな場所に来るのは、慰霊碑に参拝しに来た人か、レヴを尾行していた人だけだ。そして。尾行してくる人なんて、決まっている。


「……やっぱり。リズか」

「ごめんね。尾行みたいなことしちゃって」


 申し訳なさそうにリズは笑う。


「レーナの誘いを断ったんだから、ふざけた事情なら一発殴ってやろうかなって思ってたんだけど」


 そこまで言って、リズはレヴの来た道をちらりと見やる。ふ、と哀切に目を細めた。


「……ここ。レヴの住んでたところに近かったわね。すっかり忘れてた」


 言われて、レヴも何となく来た道を振り返った。暗い丘の先に見える慰霊碑は、淡い街の光を背に寂然と佇んでいる。

 故郷は未だ奪還できていないから。そこから最も近くて、なおかつ見通せる“気分”になれるからと、設置された場所だ。


「おれも最初はちょっと驚いたけどね。まさか、こんなに近くに慰霊碑があるだなんて思ってもみなかったから」


 レヴは微笑しながら呟く。

 開戦時にあの地域に居た人はみんな死んでしまったから、ここに参拝しに来る人はほとんど居ないけれど。それでも、家族の慰めの場がある事は嬉しかった。

 それきり会話は途切れて、二人の間には静謐な時間が訪れる。暫く間を置いて、最初に口を開いたのはレヴだった。


「……それで。何でおれのこと待ってたの?」


 もし、レヴがどこに行くのかを確認するだけなのだとしたら、最終便のバスが行った後のこの時間帯までを待つ必要はないだろう。振り返った先、リズは肩を竦めて微笑する。


「今日、この町で花火大会をやるらしくてね。みんなで見ようってなったのよ」


 一拍置いて。リズは悪戯いたずらっぽく笑ってウインクした。


「……まぁ、要するに。買い出し、付き合って貰える?」




  †




 買い出しを終えたレヴとリズが集合場所の中央広場へと向かうと、そこには袋を片手にぶら下げた私服姿のアルトとレーナが待っていた。

 二人が手を振って来るのに振り返しながら、レヴとリズは二人の下へと歩み寄る。


「ごめん、少し待たせちゃったかな?」

「俺達も今着いたとこだよ」


 そう言いながら、アルトはちらりとレヴの方へと視線を向ける。目が合った途端、彼はにやりと意味ありげに笑った。


「……そっちは無事に捕獲できたらしいな」

「当たり前よ。あとは計画通りにね」

「ああ。分かってる」


 そんな二人の会話を適当に聞きながら、レヴは周囲の装飾をぼんやりと眺める。

 赤と緑のイルミネーションで彩られた街路の光と、頂点に大きな星を灯した中央広場の針葉樹。

 聖なる夜を祝福するかのような色とりどりの光は、中世の街並みが残っているのも相まって、どこか隔世的で幻想的な雰囲気を創り出していた。こういう場はあまり気乗りしないレヴでさえ、否応なしに気分が昂るのを感じる。

 ――ここに、ルナやシャロも一緒に居てくれたら良かったのに。微かにそんな感情が沸き立つのを、レヴは頭を振って掻き消した。

 二人共、そんな願いが叶う場所にはもう居ないのだ。一方は敵で、一方は四年前にレヴが見殺しにしたのだから。


「じゃあ、時間もないしさっさと行くか」


 そう言ってアルトが歩き出すのを、リズとレーナが続いて、レヴは最後尾で追随する。

 飲食しながら花火を観る……らしいから、それなりに広い場所ではあるのだろうが。とはいえ、公園などは規制が掛かっているだろうし。いったい、何処で観るんだろうか。


「ねぇ、レヴ」 


 ふと、レーナに声を掛けられて、レヴの思考は現実へと引き戻される。


「ん? なに?」

「あの二人、最近いつも何喋ってるの?」


 首を傾げて訊ねてくるのを、レヴは肩を竦めて苦笑する。


「さぁ? おれにもよく分かんないよ」


 分からない。それがレヴの正直な感想だ。

 ここ最近、アルトとリズはずっとあんな調子なのだ。時々二人で何かを話し合っては、よく分からない圧や笑みを向けてくる。

 何かを企んでいるのは分かるのだが、肝心のその「何か」が分からないので、レヴは困惑するしかない。


「……まぁ。年末だし、ちょっと変な気分になってんじゃないの?」

「リズに限ってそんなことはないと思うけど……」


 うーん、とレーナが唸るのを横目に、レヴは前を行く二人の後を追うのだった。




 第一七七歩兵連隊司令部の屋上。そこが今日の花火の観覧場所だ。

 満天の星空の下、置かれていた机にジュースや軽食を置きながら、レヴは問う。


「何でこんなところ借りれるようになったの?」


 確かに、ここなら飲食をしながら花火は観れるだろうが。とはいえ、何故、自分達の部隊でも、ましてや隷下でもない部隊の司令部の屋上を借りれるようになったのか。それが分からない。

 ふふ、と小さく笑って、リズが言う。


「レヴが行ったあと、大佐に花火大会があるから行ってきたらどうかって言われてね。それで、じゃあ行こうってなった時に、大佐が連絡してくれたみたいなの」

「ここなら、誰にも邪魔されずに花火を堪能できるだろうってな。……まぁ。その代わりにここの大人達は庭に追い出されたらしいけど」

「あ、だから下で騒いでたんだ」


 柵沿いで待機していたレーナが納得する声を上げるのを、レヴは苦く笑う。

 それは何というか、少し可哀想というか。申し訳ないな、と思った。

 ばーん、と、突然軽い爆発音と共に空が明滅するのが見えて、レヴは視線を空へと向ける。


「お、始まったな」


 アルトが呟くのを聞きながら、レヴもまた始まった花火に魅入っていた。

 様々な色の火花が空で瞬き、巨大な円弧や星を形作っては夜闇を照らし上げる。その度に軽い爆発音が街に鳴り響き、観衆の胸をく。

 聞き慣れた砲撃や銃声の爆発音とは違う、平和で心地の良い音だった。


「ほら、行くわよレヴ」

「え?」


 突如、リズは困惑するレヴの腕を引いていく。と思うと、今度は背中を押し出された。


「な、なに?」 


 戸惑うレヴを見て、リズは愉しげに笑う。年相応に悪戯いたずらっぽく、けれども少し優しげな声で。


「こんな時ぐらい素直に楽しみなさいな。ずっとそんなんじゃ、私達が貴方の妹ちゃんに怒られちゃう」

「…………」

「……それに。いい加減、貴方達にはくっついて貰わないとね?」

「……は?」


 隣に視線が移った先、そこにはレーナが居た。

 ……まぁ。リズの言っている事はよく分からないが。とりあえず、今は花火を楽しもう。そう思って、レヴはレーナの隣で空を見上げるのだった。




「…………ねぇ、レヴ」


 いつの間にか隣に来ていたレヴの横顔を見つめながら、レーナは小さく声をかける。


「ん? なに?」


 花火の音に掻き消されるかもと思ったが、幸いもレヴに声は聞こえていたらしい。彼はいつもの雰囲気でこちらに視線を向けてきた。

 その瞬間。彼のあかい瞳の先に、一瞬、別の誰かが見えた気がして。途端に、レーナの胸中はに不安と焦燥が込み上げてくる。

 それを何とか飲み込んで。レーナは問うた。 


「……レヴは、これからも一緒に私達と居てくれる?」

「……? もちろん。おれはレーナ達の隊長なんだから、勝手にどっか行ったりなんかはしないよ」


 違う。そんな事が言いたいんじゃない。そんな事を聞きたかった訳じゃない。

 けれど。レーナにはそれ以上、踏み込んだ事が言えなかった。

 ……だって。あんな、哀しそうな目を見てしまったら。わたしは。


「そう……、だよね。うん。そうだよね」


 それきり、二人の会話は途切れ、花火の音だけがその場に響く。

 今は、二人で並んで花火を見る。それだけで満足じゃないかと、沸き立つ感情を飲み込んで自分に言い聞かせた。

 ……けれど。どうしても。レーナには、一抹の不安が拭い切れなかった。




 そんな二人を、花火そっちのけで眺めていたアルトとリズは、盛大に溜息を吐いていた。

 思わぬイベントが舞い込んで来たから、こうして急ピッチで舞台を仕立てたのに。その結果が、これか。

 レーナがレヴを好いているのは、二人にとっては最早確定事項だ。そして。レヴが何もなしに彼女の好意に気付けるような奴でないのも。

 だから、最近は聖誕祭というイベントにかこつけて色々と策を講じてはいるのだが。


「まさか、レーナまであんなに下手くそな子だったとは完全に予想外ね……」


 リズが頭を抱えて呻く。ここまでお膳立てをして、あんなよく分からない問答に留まるとは思ってもみなかった。

 少し微妙な顔をして、アルトは笑う。


「まぁ、本命は明日だ。切り替えてこう。いい加減決めて貰わねぇと、こっちが焦れったい」

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