狭窄する眸(3)

 司令官舎を後にして、ルナは正反対の方向に建てられた兵舎の方へと足を運ぶ。

 少し肌寒い夜風は腰まで伸びた長髪をばさばさと揺らし、美しい銀の髪が月の光を反射してきらきらと煌めく。

 髪を抑えて歩く傍ら、ルナは今日の出来事を思い返していた。

 ……レヴ。レヴァルト・ヴァイゼ。六年前に別れた、大切な幼馴染の男の子だ。紅闇種ルフラールに特有の濡羽ぬれは色の綺麗な黒髪に、燃えるような赤の真紅の双眸。彼とは、いつも一緒だった。



 ――また、すぐに会える。



 今でも鮮明に覚えている。四月の、とにかく空が青い日だった。街の郊外にある小麦畑の中に、ぽつんと生えた桜の木の下で。私は、彼と最後の言葉を交わした。

 ……こんな風に再会したくなかった。

 もっと、平和で、安全で、明るい場所で会いたかった。また、昔のように一緒に笑い合いたかった。

 けれど。それは、もう永遠に届かない夢の彼方だ。

 彼の家族は、他でもないヴァイスラント帝国に殺された。そして。今度は。ルナが彼の友達や仲間を、大勢殺した。よりにもよって、彼の目の前でだ。

 そんな凶行に走った自分を、レヴは許さないだろう。憎み、恨むだろう。これから、幾度となくぶつかるのだろうと、ルナは思った。

 本音を言えば、彼とは戦いたくない。……けれど。


 全力で戦わなければ仲間が、彼らの妹弟きょうだいが。――何より、妹のステラが。命を落としかねないのだ。今日、ハンドラーに招集された子供達は、過酷な肉体労働か、魔術特科兵かの二択を迫られる。

 前者ならば衰弱死、後者ならば最終演習で仲間に討たれるか、戦場で戦死するかだ。どちらにせよ、まともに生き残るのは難しい。

 ブラッドレイド隊の戦隊長として。一人の姉として。それは最大限に努力し、避けなければならない問題だ。

 再び、ルナは決心する。今度は確固たる決意をもって、胸中で呟いた。

 ……次、レヴと会った時は。私が彼を討つ。





 兵舎は司令官舎と違い昔建てられた駐屯地をそのまま流用したもので、最低限の機能だけを有した極めて簡素な作りになっている。


「あ、おかえり、お姉ちゃん!」


 扉を開けて、いの一番に出迎えてきたのは妹のステラだ。ルナと同じ月白げっぱくの髪をこちらはワンサイドアップに纏め、真朱しんしゅと海色のオッドアイが目を引く子だ。身長は、ルナの首元ぐらい。

 彼女の無垢な笑顔に、ルナもつい頬が緩む。


「ただいま、ステラ」


 そう言ってルナはステラを抱き締める。柔らかい身体が、その温もりが。今、目の前に妹が居ることを改めて実感できて、とても心が癒される。

 今日も、妹を守ることができた。


「おつかれさん」

「お疲れ様」

「ご苦労様です」


 奥の方からキースとセレ、それとレイラの声も聞こえてきて、そちらへと目を向ける。彼らの座るテーブルには、人数分の夕食が置かれてあった。

 いつの間にか抱擁を抜け出していたステラが、満面の笑みで言う。


「今からみんなでご飯なんだ。お姉ちゃんも間に合ってよかった!」

「……まぁ。そういうことです。隊長も取ってきてくださいな」 


 手前に座るレイラがにこりと笑う。暖かい空気に、つい、笑いかけた――その時だった。


「はぁ!? なんであいつと一緒に食わなきゃなんないのよ!?」


 一人の、少女の声が響き渡った。

 あまりの気迫に、食堂内の空気は一気に冷え込む。状況を察して、ルナはステラをレイラに預けると、声を発した少女の元へと歩み寄っていった。

 こちらをきつく睨み付けて来るのを正面から受け止めつつも、ルナは立ち尽くす少女と机越しに相対する。

 目の前で立ち止まって、その場で、深く頭を下げた。


「……すみませんでした」


 彼女は、今日壊滅した〈アメシスト〉隊の少年と恋仲だった少女だ。それも、この隊の隊員ならば誰もが知るぐらいには仲の良かった。

 私が至らなかったばっかりに。私がちゃんと戦わなかったばっかりに。彼女は、恋人に先立たれてしまった。


「なんであんたが生き残って、クルトが居ないのよ――!?」


 悲嘆に喘ぐ叫びを、ルナは頭から一身に受け止める。

 これは私が背負うべき罪であり、私が受けるべきとがだ。そこに弁明や許しを乞うなどという行動の余地はない。全ては、私の責任なのだから。


「なんで…………、クルトが…………!」


 とうとう堪えきれなくなった眼前の少女がくずおれ、椅子へとへたり込むのを感じる。嗚咽の絡んだ声が聞こえくるのを、ルナは聞いた。彼女を絶望の淵に追い込んだのは、私だ。

 周囲の取り巻き達が彼女を慰めるのを見てとって、ルナは静かにその場を立ち去る。ここに、私は必要ない。

 机を通り過ぎたところで、ステラを抱き留めていたレイラが心配そうに声を掛けてきた。


「……ルナ?」

「先に、シャワーを浴びてきます」


 それには目もやらずに言い置いて。ルナはそっと食堂を去った。




  †




 更衣室で軍服を脱いだルナは、裸体を涼気りょうきに晒しながらシャワールームへと足を踏み入れる。ハンドルを捻って出てきた水は、少し冷たかった。

 ここの給湯器もかなり昔のものだから、外の気温に冷やされてしまっているのだろうなとぼんやり思う。

 頭上から冷たい水を浴びながら、ルナは壁に右手をついて奥歯をぎりと噛み締める。

 ……私がもっとしっかり指揮を執っていれば。私がちゃんと戦っていれば。あの子の恋人は、生きて帰ってこれたのかもしれない。

 自分の甘さに、心底嫌気がさす。相手に幼馴染が居たから? だから何だって言うんだ。彼はルフスラール連邦軍の軍人で、今はもう、ルナが倒すべき敵でしかない。それなのに、私は。戦うことを放棄した。

 そのくせ代償の糾弾すらも受け止めきれずに、無様に涙を流しているのが今の自分だ。本当に情けない。

 目から溢れ出る涙はシャワーの水と同化して床へと流れていく。冷たい水が、自分に対するみんなの評価な気がして、なおさら心を打った。

 

「……ルナ。居るな?」


 ふと、凛とした少女の声が扉の方から聞こえてきて、ルナはゆっくりと振り返る。

 その声は……、セレか。

 一度深呼吸して、心を落ち着かせる。涙が止まったのを確認してから、ルナは努めて冷徹な声音をつくって言葉を返した。


「…………何か用でしょうか」

「用……という程でもないが。一つ、お前には言っておきたいことがあってな」


 言いたいこと? 無言で眉をひそめるルナに、セレは扉越しに言う。


「今回の作戦、お前は全力を尽くしたんだ。侵攻及び撤退ルートの選定に、最も安全なキャンプ地の設定。そして、被害を最小限に留める戦闘指揮。繰り返し言うが、お前は全力を尽くしたんだ、ルナ」

「だから、今回の作戦で死んだ者達は、仕方がないと?」


 低い声で問うた。だが、セレはいつもの調子を崩さない。


「ああ。そうだ。お前は全力を尽くした。そして、その上で犠牲が出た。全員が生きて帰るなど、使い捨てに過ぎない私達にとってはもとより無理な話なんだ。だから、お前が思い悩む必要はない」


 暫し、ルナは俯いて押し黙る。

 たぶん、セレは私を慰めようと、不器用ながらに気を遣ってくれたのだろう。……けれど。私は、セレの言うような割り切り方はできない。

 だが、率直にそう言えば心配させるだけだ。だから、ルナはセレの言葉を肯定する。




「それは、分かってますよ」


 見え透いた嘘を聞いて、セレは思わず苦笑する。


「……何も分かっちゃいないさ」


 扉越しに、セレは小声で呟いた。

 分かっているのなら、なんで、そんなに泣きそうな声をしてるんだか。

 本当に、ルナは気負い過ぎなのだ。戦隊長だからって、何もかもを一人で背負って、抱え込んで。そのくせ、弱味は一切仲間内には出そうとしない。毎回、こうして一人の時間に吐き出しているのだ。言及こそしないものの、キースやレイラもそれは知っている。

 少しは、部下を頼って貰いたいものなのだが。 

 ともあれ、これ以上何かを言ったところで逆効果にしかならないだろう。


「言いたかったのはそれだけだ。……じゃあな、ルナ。また明日」


 一方的に言い置いて。セレは更衣室を去った。




  †




 風呂から上がると、脱いだ服の横には、いつの間にか着替え用の軍服と下着が置かれていた。

 恐らく、さっきセレがついでに持ってきてくれたのだろう。相変わらずの優しさが、今の弱ったルナの心には染みた。

 それらを着て、脱いだ服達を洗濯機に放り込んでから更衣室を出る。食堂に帰る気にもなれなかったので、そのままの足で二階の自室へと向かった。

 自室に入ると、ルナは電気もつけずに自分のベッドへと突っ伏す。今日は色んなことがありすぎて、とにかくもう休みたかった。


 仰向けに寝返りを打って、ふと、視線を隣のベッドへと向ける。隊員の部屋は全て相部屋で、ルナはステラとの相部屋だ。彼女の枕元には、一つのぬいぐるみが置かれていた。

 強制収容所へと送られる時に、唯一、持ち込みを許されたものだ。他のものは全て帝国に没収されてしまったから、両親の形見はもうこれしかない。

 突然、がちゃりとドアの開く音がして、ルナは扉の方へと目を向ける。すると、そこにはステラが居た。逆光で表情はあまり見えないが……、雰囲気から察するに、多分、怒っている。


「……もう。電気も付けないで何してるの」

 

 ぷんすかとしながらステラは照明のボタンを押す。彼女のかわいらしい手には、夕食のプレートが載せられていた。質素ながらも、最低限の量だけは確保されたものだ。

 半身を起こすルナに、ステラは頬を膨らませながら言い募る。


「いくら疲れてるからって、ご飯も食べないのはだめだよ? 明日もまた出撃なんだから、ちゃんと食べないと」


 二人のベッドの間にある棚の上にプレートを置いて、ステラは叱りつけるような目でこちらを見つめてくる。

 その姿がなんだかとても愛おしく感じて、ルナはついステラを精一杯に抱き締めた。


「え? な、なに……!?」


 突然のことにびっくりするステラをよそに、ルナは妹が今ここに居ることの幸せを噛み締めていた。

 この子のためなら、私は何だってする。悪魔にでも、何にでもなってやる。


 たとえ、その結果として大切な幼馴染を――レヴを、この手で殺すことになったとしても。

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