第三章 狭窄する眸
狭窄する眸(1)
「――以上が、今回の任務におけるおれたちの成果です」
ヴィースハイデ基地の臨時指揮所。そこで、レヴはヴィンターフェルトへ任務結果の報告を締め括っていた。
敵部隊の数人を撃破も、目標としていた兵器の奪還及び破壊は失敗。撤退する敵部隊の追撃も困難だと判断し、やむなくこちらも撤退した――。
それが、今回、レヴ達が達成した任務の“成果”だった。
重い沈黙の時間が二人の間を支配する中、レヴは彼からの視線を逃げるようにして目を伏せる。あまりの大失態に、合わせる顔がなかった。
ややあって、椅子に座って報告を聞いていたヴィンターフェルトが、レヴを真摯に見つめてゆっくりと口を開く。
「………………そうか」
「申し訳、ありませんでした」
沈鬱な気持ちで、レヴは心底からの謝罪と共に頭を下げる。それしか、言える言葉がなかった。やれることがなかった。
ここまでの戦力を動員して、お膳立てもされて、期待されて。結果、何も得られなかった。何一つ、与えられた任務をこなすことができなかった。
敵部隊の大部分を逃がし、そのうえ兵器の奪還どころか、一つの破壊すらもできなかった。いくら訓練兵の身だからといえ、これは余りにも酷すぎる結末だ。ヴァイスラント帝国にとっては、無傷で敵国の最新鋭兵器を奪取したに等しい。
どんな処遇も、罵倒も叱責も覚悟していたけれど。そんなレヴ達に対して、ヴィンターフェルトは何も言わなかった。それどころか、帰ってきたレヴ達を見て、彼は優しく微笑みを投げかけてきてくれたのだ。その気遣いが、レヴの後ろめたい心をより一層痛めさせた。
ふと、彼が席を立った気配を感じて、レヴは視線を上げる。彼の赤紫の瞳と目が合って、咄嗟に目線を横へとずらした。
静かな、けれどもどこか
「すまなかったな。…………今日はもう、休むといい」
言われるがままに臨時指揮所のテントを退室して、レヴの目に飛び込んで来たのは、秋晴れの蒼穹と直上付近にまで昇りきっていた陽の光だ。
吹き付ける風は心地良くて。けれど、どこか閑散とした雰囲気を纏っていた。
それもそのはずだと、レヴは自嘲混じりに胸中で呟く。もう、この基地には昨日までの活況の面影はどこにも存在しないのだから。
建ち並んでいた建物は全て破壊され、寝食と訓練を共にしていた同僚達も、アルト達を除いてみんな死んでしまった。
今、この基地にあるのは、深緑色の仮設テントと、火葬によって立ち上る黒煙ばかりだ。そこかしこで瓦礫の撤去作業に当たる士官達の声が上がるが、その中に未成年の若い声は一つもない。みんな、いなくなってしまったから。
基地の外縁部へと目を向けると、そこには報道を受けて押し寄せて来た大人達でごった返していた。対応に当たる士官達の言葉に、ある父親は怒鳴り声を上げ、ある母親は嘘よと泣き崩れているのが見える。
その悲嘆と叫喚の声に、レヴはくしゃりと少女のような顔を歪ませる。込み上げてくる激情を抑えるので精一杯だった。
彼らの子供達を奪ったのは、ルナの指揮する部隊――〈
脳裏に甦るのは、夜闇の中にちらちらと咲いていた残火の朱色と、飛び散った
あの惨劇を引き起こしたのは、紛れもなくルナなのだ。
大切な幼馴染だと思っていた。いや、今でも思っている。……けれど。
だからと、討つのを
二度と、大切な人は失いたくない。まして、この四年間をずっと一緒に暮らしてきた、家族も同然の三人は絶対に。
改めてその現実を実感して、レヴは決意も新たに伏せていた目を上げる。胸中で、決然と呟いた。
……次、会った時には、おれがルナを討つ。
指定された仮設テントの中へと入ると、そこは寝室だった。どうやら、ここで仮眠でも取れということらしい。その証拠に、夜間哨戒をしていたらしい士官達の眠っている姿が散見された。
その中にはレーナとアルトの姿も見えて。レヴは少し頬が緩む。魔力欠乏症が特に酷かったのはその二人だったから、無理もない。
唯一、まだ起きていたらしいリズが近寄って来て小声で呟く。
「おかえり。……大佐は、何て言ってた?」
曇った顔に無理やり笑みを浮かべるリズに、レヴはいたたまれなくなってそっと視線を逸らす。
消え入りそうな声で、レヴは答えた。
「“すまなかった”…………って」
「…………そう」
感情の読めない声音で言ったっきり、二人の間には重い沈黙の時間が降りる。お互い、何を言うべきなのか考えあぐねているようだった。
堪らなくなったレヴが、付け足すように言葉を紡ぐ。
「それと。とりあえず、今は休め……とも言ってた」
言いながら、ちらりとリズへと視線を向ける。彼女の儚い笑みの中には、自責の感情が見えた――気がした。
「……なら、私も少し寝ようかな?」
「そうした方がいいよ。リズも、顔色悪いから」
にこりと、努めて明るく笑ってレヴは言う。
お互い、心身の疲労が限界に達しているのか、ろくに会話をする気にもなれなかった。
「じゃ、おやすみ」
「うん。おやすみ」
静かに言葉を交わして、ルナは奥のベッド――レーナの隣だ――へと歩いていく。
その背中を見つめながら、レヴも手短なベッドへと寝転んだ。
途端に、どっと今までの疲労が襲ってくる。瞼が瞬く間に落ちていく。緊張の糸が完全に切れた瞬間、レヴの意識は途切れた。
†
今から六年前。丁度、ルフスラール連邦が
正確な日時までは覚えていない。けれど、四月の、とにかく空の青い日だったことは覚えている。そして、心地の良い春風が吹いていたことも。
桜の舞い散る木の下で。十歳になったばかりのレヴとルナは、お互いを確かめるように見つめあっていた。
ふと、レヴは伏し目がちに言葉を紡ぐ。
「…………たぶん、父さんの考え過ぎなんだと思う」
連邦で
――これは、大変なことになってしまったぞ。
当時の帝国と連邦の仲は険悪ではあったけれど。だけど、〈スタストール〉という共通の敵がまだ残っている以上、人間同士の戦争なんて起こるはずがないと思っていた。
レヴやルナだけでなく、帝国国民の殆どがだ。だから、そんな政策もすぐに撤回されると思っていた。ただ
けれど。父は何かを察していたらしい。その報道があってからというもの移住のことに奔走し、あっという間に移住する話は進んでいった。そして、報道から一週間後には、もう連邦への移住は決まっていた。
そして。それをレヴが聞かされたのは、出国の四日前だった。最短で出国できるのが、その日だったのだと、後から聞いた。
「父さんは、帝国もそのうち同じようなことをするって言ってたけど……そんなの、なるはずがない」
憂わしげに首を振るレヴに、目の前の少女はうん、と頷く。
毎日一緒に学校へと通って、毎日一緒に遊んで、時には家族ぐるみでお出かけにも行った。
とても生真面目で、勉強ができて。その上、一度決めたことは中々曲げない女の子だった。
そんな彼女のことが――レヴは好きだった。大切な幼馴染だった。
「…………また、会えるかな?」
不安げに訊ねるレヴに、ルナは励ますように明るく答える。
「ちょっとの間離れ離れになるだけよ。……また、すぐに会える」
「そ、そうだよね。また、会える……よね」
これ以上心配させまいと、レヴも無理やり笑みを作って顔を上げる。
少し間が空いて、二人は同じタイミングで一歩ずつ歩み寄る。ルナの顔がさっきよりも近くて、少し気恥ずかしかった。
ルナはおもむろにレヴの手を取ると、スカートのポケットから何かを取り出してきて手のひらに載せてくる。
えと目を見開いて視線を上げた先、ルナは気恥ずかしそうにはにかんだ。
「えっと……、それ、プレゼントです。……また、会えるようにって」
そう言われて自分の掌を見ると、そこには一つペンダントがあった。鍵の形を模した、
「ありがとう」
にこりと、レヴは屈託のない笑みを漏らす。ルナからプレゼントを貰えたのが、とても嬉しかった。
「でも、ちょっと困ったな」
「……気に入らなかったですか?」
しゅんと眉を
「や、そんなことは絶対ないよ! 本当に嬉しいし! ……ただ、」
苦笑するように笑って、レヴはズボンのポケットから
彼女が渡されたものを見つめるのを見て、レヴは苦笑したように笑う。
「おれも、同じの買っちゃったからさ。困ったなぁと思って……」
子供でも買えるような値段の装飾品というのは限られてはいるが。それでも、まさか全く同じ物をお互い購入しているとは思わなかった。
とはいえ、これでは交換した意味がない。同じものを交換したところで、そこには何の変化もないのだ。
暫し、考えて。レヴはやっぱりと口を開く。
「今から別の――」
言いかけて。唐突に、堪えるような笑い声が聞こえてきた。
「……ふふ」
その声に、レヴは言いかけていた言葉を止める。視線を再び向けた先、ルナの顔にはとてもご機嫌な笑みが浮かんでいた。
その意図が理解できずに固まっていると、ルナは掌にあるペンダントを大事そうに両手で包み込んでレヴを見つめる。
「お揃い、ですね」
にこりと微笑んでルナは言う。陽光に煌めく
その姿に、言葉に。レヴは胸を衝かれる。
白皙の柔肌に、純白のワンピース。陽光に揺らめく月白の長髪と、宝石のような
一面新緑色の小麦畑の中、ルナの姿はとてもきれいだった。
「…………? どうかしましたか?」
言われて、レヴははっとする。ルナに見とれていた事実に、今更気づいて顔が熱くなった。
「な、なんでもないよ! それより、ほんとにそれでいいの?」
「ええ。もちろんですよ。……いいじゃないですか、お揃い。離れていても繋がっている感じがして、ちょっと安心します」
ルナの言葉に、レヴは心が暖かくなるのを感じる。と同時に、少し照れくさくなった。
「そ、そう? ルナがいいってんなら、別におれもいいけど……」
口の端を微かに吊り上げて、レヴは言う。こんな時間が永遠に続けばいいのに、と心から思った。
「レヴーー! そろそろ行くぞ!」
丘下の方から父さんの声が聞こえてきて、レヴはそちらへと目をやる。そこには、車を停めてこちらに手を振っている父さんがいた。
視線を元に戻して、ルナの
「そろそろ行かなくちゃなんないみたい」
「……そのようですね」
それきり、二人の会話は途切れる。
やっぱり、ルナとは別れたくない。ずっと、ここに居たい。
そんな気持ちが、レヴの胸中には渦巻いていた。けれど。そんな希望は叶わないのだということも分かっていた。レヴはまだ子供だ。親元を離れて生きてはいけない。
暫しの沈黙ののち、無理に笑顔をつくって最後の言葉を告げる。
「……じゃあ。
刹那ルナは目を見開いて――彼女もまた、笑顔でレヴを送り届けた。
「ええ。
そして。それが。レヴとルナが交わした、最後の言葉だった。
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