ハラキリガール
天木犬太
ハラキリガール
「俺はマジで切腹して死んだほうがいい」
というような言い回しを彼女が好んで多用していたからだ。
一人称が「俺」の時点で相当アイタタタなのだが、それも教室の隅で似たような雰囲気の友人たちとこそこそにやにや、ニヒルな風を気取って話しているのが鼻につくものだから、あっという間に彼女は迫害の対象となった。
高校に進学してからは、流石に
高校1年生の5月――教室で嘔吐してクラス中を阿鼻叫喚の渦に叩き込んだ末、彼女は学校に来なくなった。
しばらくは担任が家庭訪問を重ねていたようだったが(というか後からそう聞いたのだが)、やがて僕には彼女宅へのプリント等配達業務が課せられることとなる。家が近いというだけの理由で。
「えーっ!? そういうのは普通、委員長とか……少なくとも同性のほうがいいんじゃないすかぁ…? 俺あいつとほとんど話したこともないし……」
という僕の精一杯の反抗も、
「でも
何もないという言葉にしっかり傷付く。
そういうわけで週に一度、彼女の家に寄って帰る。瀬戸内の地方都市、中心を流れる川に沿って自転車で20分。初めて彼女の家を訪れた時には、彼女の母親が応対に出てくれた。
「あらー!
こういう母親と、不登校の生徒が同じ屋根の下で生活していることに、上手く想像力が及ばない……って、え? わざわざ呼んでもらわなくても……
「ほら、美琴! ちゃんとお礼言い」
母親に連れ出されてきた美琴はジャージ姿で、決してこちらとは目を合わせようとせず自分の腕を抱きながらぼそぼそと口を動かす。
「しゃんと喋りい」
と母親に頭をはたかれた美琴が
「もーやめてよお母さん」
と言うのを聞いて「お」と思う。
当たり前だ。
彼女も家族とは、普通にこういうやり取りをするのだ。
それから美琴は、母親が不在の際には、プリントが郵便受けに入れられるまで居留守を決め込んでいたが、その事実が母親に判明してからは自分で受け取りに出てくるようになった。というのを後から本人に聞いた。
僕たちは玄関で少しだけ話をする。
やがてお互い漫画が好きということが判り、貸し借りが発生するようになる。
と言っても彼女の蔵書数は僕とは桁違いだったようで、あっという間に俺が貸せるものはなくなってしまった。
「……1日中部屋に引き籠もっていますからね」
と彼女が敬語で言う。
玄関で交わす会話の内容も、漫画に関する話題が多くなる。
やがて冬になり、プリントが無くても彼女の家に寄って帰るのが日課になる。
二人とも口数は少なく、沈黙のほうが多いくらいだが、居心地の悪さは感じない。
彼女もそうだといい、と思うようになる。
2年生に進級したある日――
「じゃあ、私の部屋の本棚見ますか?」
え?
女子の部屋に初めて這入った。
学習机に簡素なミニテーブル、薄い緑色のカーテン、そしてベッド。
全体的に落ち着いた色調で、僕の部屋よりよっぽど片付いている。
唯一異色なのは、四面のうち一面の壁を占める、天井まで届こうかという本棚だ。
『あずみ』『お~い!竜馬』『総務部総務課山口六平太』『サイボーグ009』『ポケットモンスターSPECIAL』『少女少年』『ないしょのつぼみ』『るろうに剣心』etc…
「お茶淹れてきますね」
「あ、お構いなく」
って、え?
漫画だけ借りてすぐ帰るつもりだったのに?
◆
「じゃあこれとこれ、借りていくね」
「はい、どうぞ」
「……」
「……」
(はっ…せっかく淹れてもらったお茶……飲んだほうがいいのか?)
……何を気にしているのだろう。
このくらいの沈黙はいつもあることなのに、なんだか今日は居心地が悪い。
(何か…何か話題……)
「姫廻はさー、好きな人とかいるの?」
何言ってんの?
何故かこの時に限ってまっすぐ僕の目を見てくる美琴から、思わず顔を逸らす。
カーテンの色は何色だっけ?
僕の顔は赤くなっていないだろうか。
「引き籠もりですしね…」
「それ関係あるか?」
「空我くんは? いないんですか?」
「うーん……お前」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……駄目です」
「がーん」
終わった。
「……え? あっ…違っ……!」
何故かわたわたと慌てだす美琴に、いやいや別に気を遣って頂かなくて結構ですよ、と思ったけれど、どうやらまだ僕の早とちりだったらしい……
ふー、あせったぜー……
「駄目なのは私です……引き籠もりだし……ブスだし…駄目駄目だから」
「……別にそうは思わないけど…。仮に姫廻さんがそう思ってるんだとしても…俺はそういうところも含めて好きだから…」
『だめんず・うぉ~か~』ならぬ、だ……う~めんず? 駄目だ、上手いこと言えないや…
「あ…でももちろん姫廻さんがそうじゃなくても全然――」
「いえっ!」
今日一の声量に、美琴自身も驚いたように顔を伏せる。
「……」
「……」
「…俺と付き合ってくれませんか?」
「……よ」
「……」
「…よろしくお願いします」
「…あはは、嬉しい」
「……」
「あー、お茶がうまい」
これは余計な一言。
◆
『お~い!竜馬』で武市半平太が切腹をするシーンがあって、それが俺の中で妙に印象に残っている。
額に縦線を何本も入れながら、短刀をお腹に三度刺しこみ、横に裂いた。
横三文字。
悪役の藩主に「見事なり」と言わしめ、にやりと顔を歪めて死んだ半平太は、しかし何故そんな死に方を選択したのだろう。
現代日本でも割腹自殺を選択する人間はいると聞く。
三島由紀夫はどうして自衛隊の庁舎に登って叫んだ後にお腹に刀を刺したんだろう。
近藤勇が斬首にされたのを見て、土方歳三はどんな気持ちだったのだろう。
高校を卒業して、美琴と同じ大学に進学する(何故美琴が卒業できたのかを先生に訊ねてもニコニコしているだけだった…)。
「日本語のなんとか」いう一般教養の講義のガイダンス中、「切腹」という単語が耳に入って、思わず読んでいた小説から顔を上げる。
「たとえば切腹という文化がありますね。これは日本独自の文化です。いや、詳しく調べたわけではないのでもしかしたら他の国にも切腹やそれに類する文化があるのかもしれませんが…それらはあくまで自決の方法として、です。ところが切腹において死ぬことは結果であって目的ではありません。他にもっと楽な死に方は山ほどあるわけですから。それでは何故日本において切腹という文化が産まれたのか。それを考えるのも言語学です。より正確には社会言語学でしょうか。はっきりネタバレをしてしまうと、新渡戸稲造の著書『武士道』の中で切腹について一章割かれていて、その理由について、古来日本では霊魂を頭や心臓ではなくお腹に宿るものだと考えられていたからだとしています。日本語に、お腹に関する慣用句が多いことも恣意的です。ああ、「腹を割る」なんてのはモロに切腹をイメージできて面白いですね」
と言って面白そうにしているのはその教授本人しか見受けられなかったが、僕はその講義のとっかかりにすぎない雑談の中で、蒙が啓かれた思いだった。それはもしかしたら、というかおそらく教授の伝えたかったこととは違うのだろうが、それでも。
そうか、言葉はお腹に収まるんだ。
だから「腑に落ちる」し「腹黒い」んだ。
思うに本来の切腹は一人では成立しない。
介錯がいるのだ。
つまりそれは自分の命を見せつける行為だ。
周りの誰かに、何かを訴える死なのだ。
◆
大学を卒業し、結婚してから二年目に美琴は妊娠する。
帝王切開。
医師の淡々とした説明を、平然と受け入れているように見える美琴の隣で、僕はめまいがする。
「自然分娩はできないんですか?」
美琴も医師も、不思議そうな顔をする。
…僕がおかしいのか?
「先ほども説明しました通り、赤ちゃんの体勢が「骨盤位」いわゆる逆子になっています。いまでは5人に1人は帝王切開で出産なさっていますし、麻酔でほとんど痛みもありませんよ。安心してください」
「…………はい」
◆
「たまたま隣のベッドが空いているタイミングで、実質個室なのでラッキーでした」
そう言って笑う美琴の言葉を、僕は半分も聞けていない。
「…うん」
「いただいた夕食もすっごくおいしかったんですよ。病院食って勝手においしくないイメージでした」
「……へー」
「切開の痛みはほとんどないそうなんですが、その麻酔の注射自体がすっごく痛いんですって。嘘でも痛くないって言って欲しいですよね」
「はは…」
「……」
「……」
「……」
「……なあ、やっぱり明日の手術やめないか?」
何を言ってるんだ? 僕は
「…産んで欲しくないってことですか?」
「は!?」
僕は慌てて顔を上げる。
「いや…それはない! それだけは絶対にない…! けど…いや…」
「……」
「お腹を……切る……っていうのが…なんか…」
「……」
「……」
「んー…」
「……」
「ごめんなさい、葉嗣≪ようじ≫くんの気持ちは、正直よくわからないですけど…」
「……」
「でもきっと大丈夫ですよ。ただのパタニティブルーですよ」
そう言って笑う美琴。
ぎくり。
パタニティブルーはマタニティブルーの男性版……って、そんなことはどうでもよくって。
産後うつ。
今本当に大変なのは美琴のほうだ。
本来僕はそれを支えなければいけない立場のはずだ。
そんな当たり前のことも失念しているなんて…
こんな時まで自分、自分で情けない。
涙までこぼれてくる。
まずい。
まずい、まずい。
僕は自分を立て直すこともできない。
「だっ…」
「だって……み…美琴が……し……は、離れていってし…まうんじゃないか…って……」
僕は、高校1年生の5月に、美琴に対して何もしてやれなかったことが、ずっと心に残っている。
僕のお腹には何もなくて、借りたり聞いたりした言葉しかない。
美琴と違って。
俺には美琴しかいないのに。
「切腹でもして死んだほうがいい」のは僕のほうだ。
◆
「葉嗣くんは駄目駄目ですね」
そう
言ってにやりと口を歪める美琴
「でもそんなところも好きですよ」
――と
それは……僕の言葉だったはずで
「救われたんです。弱いことも肯定してくれて」
「……」
「でも…」
その小さな手が、そっとお腹に添えられる
「この子は…このお腹の中の子は、私だけの子供じゃなくって……私たち二人の子供なんだから」
「……」
「しっかりしなきゃ」
「はい」
それから美琴は、琴葉を産んだ後もばっちり生き残る。
◆
「こんな雑なホッチキスみたいな感じなんですねー…」
お腹の手術痕をさすりながら、
「ていうかクソ痛い死ぬ」
という彼女の「死ぬ」という言葉が、ずっと前を向いていることを、僕はちゃんと知っている。
育児は死ぬほど大変で、たまに険悪になったりすることもあるが……まぁ…何も嫌いになるほどじゃあない。
琴葉をお腹に抱きかかえる美琴。
「俺にも抱かせて?」
「はい」
君の言葉。
僕の言葉。
僕たち二人の言葉。
お疲れさま
ありがとう
見事なり
END
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