第5話 ゆめうつつ
「蒼井のせいだよ」
静まりかえった暗闇に、その声は響く。
どこかで聞いた覚えのあって、でも誰のか判別はできない粗雑な出来の声。
「あなたが私を見捨てたから」
これは、なんだ。
答えを求めて周りを見渡してみる。
けれども上下左右には、ただ黒い世界が広がるのみ。
まるで見えない見えないが見えているような空間。
「どうして私だけ思い悩まなければいけなかったの」
「やりたいことだってあったのに」
恨みと言うには穏やかな声。
嘆きというには批判的な言葉。
言うなれば、それは感情なき罵倒かもしれない。
「なんで」
「どうして助けなかったの」
「私はつらかった」
「一緒に背負ってくれると思ってた」
「私は死にたくなかった」
方向もないかのように、空間全体が発する声。
声の主を知っているはずの、その声。
いや、知らなければいけないはずの、その声。
けれども、分からない。
いや、分かろうとしなかったのか。
これは俺が分かろうとすらしなかった声――
想いが枯れたかのように冷たい声が響く。
「私は救ってほしかった」
***
夢に、起こされた。
雨の降るの朝だった。
目が覚めると、ベッドの上で飛び起きていた自分。
冷や汗で湿らせた寝間着。
頬をつたう涙。
微かに脳に残っている黒の残滓。
夢を見ていたのだろう。
しかし、何か変わった夢を見たことしか思い出せない。
俺は、どんな夢を見ていたのだろう。
なんとなく下劣な感じがする好奇心で、しばらくの時間考えこんでいた。
だが、鈍重な寝起きの思考では消えかけている夢の世界に追いつくことはできなかった。
下手に時間ばっかりを過ごさせてしまったせいで、胸にあった微かな黒い塊は消えてしまった。
確かに夢を見ていたことを示すのは、変わらず湿ったままの寝間着と、乾いた涙の跡だけだ。
むなしいような、悲しいような。
なんとも言えない気持ちに構わずに、雨は降っている。
絶えず響く、地面を穿つ雨水の音。
時折、大きな粒が屋根に当たって立つ少し鈍い音。
雨どいを流れる雨水の音。
壁を通して室内、そして耳の中に雨が降っている。
***
朝の横須賀線は地獄である。
地獄というのは別にすしずめとかそう言うのを指しているのではない。
そんなことを横須賀線で言ってしまえば、現世にいながら大地獄以上の体験ができることになってしまう。
そういうのではない。ただ単に、俺が朝が苦手であるだけだ。
起きるのが苦手ではないが、朝は気分が乗らない。
気分が乗らないどころか、いくらか前は不規則すぎる生活を送っていたせいで自立神経を壊して朝から吐き気やらが大変だった。
その名残か、今でも朝から体調不良を耐えながら通学することもある。
ちょうど横須賀線に揺られていると絶妙に酔うのか、起床時間や朝食の時間が関係しているのかは知らないが不快感が上がるというわけだ。
そんな横須賀線から解放され、逗子駅の改札を出てすぐ。
路線バスやタクシーが止められるロータリーになっているところ。
「やぁ、おはよう」
「あぁ三崎か、おはよう」
声をかけたのは三崎。例のマイフレンド。
ここは毎朝、大変迷惑ながら本校生徒の群れができている。よくもまぁ俺を見つけたものだ。
「いつもにまして元気ない声だな、蒼井」
「元気のない声で悪かったな」
「なんつーか、今日のは変な夢を見てる感じの元気のなさじゃないか」
「なんで他人に自分の夢を予測されなきゃいけないんだよ、俺は」
「まぁ、まぁ。そうカッカするなって」
三崎は、俺をなだめて続けた。
「そういや、お前生徒会長なるんだって?」
「どうして知ってる?」
「学校もう着いてるやつがこれ送ってくれた」
そう言って、三崎はスマホを俺に見せた。
映されているのは臨時の生徒会長に俺がなる旨と、根拠となる根拠となる規則が書かれた書面。
「まぁ、事情は分かるさ」
「草野だよ」
「だろうな」
少しの間、沈黙が流れる。
「俺はこんなことで生徒会長になんてなりたくなかった」
「いや、うん。でも、あんなに生徒会バカだったお前を除けば適任がいないから」
「あぁ、うん。適任か」
適任。
俺が適任?
草野を救えなかった俺が。
救う、救えない、救ってほしい――
そうか。
そうだ。
あの夢――
その時だった。
「おい、蒼井」
夢の謎に思考を巡らせながら歩いていた俺は肩を三崎に手で捕まれ、引かれる。
「あ、あぁ」
ふと前を見ると、いつの間にか横断歩道で、赤信号で車が走ってる中を進もうとしている中を歩こうとしていた。
「お前そのまま歩いてたらヤバかったぞ」
「おぉ」
「お前クスリとかやってないよな?大丈夫か?」
「大丈夫。やってない」
「そうか。まぁ、気をつけろよ」
「気を付けるわ」
三崎が止めていなかったら危なかった。
俺は二つのことができないタイプなのだとしみじみ思われる。
深く考えながら歩くのは今度からやめておこう。
「よし、緑になったぞ」
「見えてるよ」
「いや、さっきのことがあるからな」
「大丈夫だって」
信号前に溜まっていた本校生徒の群れと共に、高校生二人は横断歩道を渡った。
このまま歩けば、もう数分も経たないうちに校門を通り、それから30分くらい経てば1限の授業が始まる。
危なくないようになんとなく考えるだけでも1日の始まりを刻々と意識させられる。
やはり、朝は嫌なものだ。
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