第15話 何者かの視線

 運転手とは別れて、地下駐車場からエレベーターホールへからスタジアムのロビーへと移動する。


 ザワッ


 エレベーターの扉が開いた瞬間、どよめきが生まれた。

 プロモーション映像が流れる大型ビジョンや各種ポスターで賑やかに飾られたロビーには、スタジアムの外に負けず劣らず大勢の人で密集している。

 大まかに三通り、奥の受付カウンターに向かう者と、別の通路に消えていく者と、ロビーに留まり続ける者に区分することができたが、彼ら全員の視線がこの瞬間だけは一点に集まった。


 さもありなん。


 今のメグリは電脳サングラスだけで最低限の変装もしておらず、知っている者が見れば“火天のウリエル”だと丸わかりなのだ。


「……めちゃくちゃ見られてる……し、ヒソヒソ言ってる……」


 ランは針のむしろにくるまれる心地だったが、メグリは平気の塀座。堂々と一直線に歩いていくと、周りの方が気圧されたかのように左右へと分かれて道を作る。

 ついて行かないと置いてけぼりだ。

 慌てて後を追いかけていくと、メグリは受付カウンターの空きスペースに肘を着いた。

 パチンッ、と指を鳴らす。


「選手登録をしたいのだけど」

『オネイロ・スターダム杯予選への出場者登録、ですね。ただいま承ります』


 カウンターに、ホログラムが出現した。

 理知的な天使の姿をしたバーチャルキャラクターで、ハイロースタジアムのマスコットAIである。細部まで作り込まれたCGは、言葉のアクセントから何気ないまつ毛の震えに至るまで、本物の人間と区別がつかないほどのリアリティだ。


『出場希望者さまの、モルフィングカードを拝見いたします』

「ランくん、カードを出して」

「……あっ。えっと、はい……」


 ワタワタともらったばかりのケースからカードを取り出して、カウンターに乗せる。

 天使がカードの上に手をかざすと、「ピコリン」と可愛らしい音が鳴った。


『確認いたしました。パーソナル情報を登録。選手IDを発行……完了。選手名ファイターネーム、ラン。出場ブロックはEブロックに設定されました。上限人数に達していないブロックであれば変更できますが、いかがなさいますか?』

「えっと……いや、別にいらない、です」

『左様でございますか。期限内であればいつでも変更できますので、遠慮なく申し付けくださいませ』


 天使の一礼を残してホログラムは消失。これで終わりかと思っていた目の前で、カウンターを折り畳まれていき、さらに奥へと進む通路が出現した。


『すでに出場者ルームは開放されております。どうぞ、お入りくださいませ』

「わたしが一緒にいられるのは、ここまでね。この先にはランくんが一人で行くのよ」

「ん……はい」


 固い面持ちで、ランは頷いた。

 心臓が速さを増す。

 想像すらしてこなかった大舞台に立つことへの緊張、夢が叶うことへの期待、メグリと離れなければならない不安、諸々の感情が渦巻いて、手が震えてならない。

 そんなランの様子を見かねたのか、おもむろにメグリがその場に膝を着いた。


「ランくん」

「……え、何…………むぎゅ」


 甘い香りが鼻腔を満たす。

 柔らかくて温かくて力強い腕が背中と後頭部に回されて、ランをホールドした。


「大丈夫。きみにできることを思いっきりやれば、それでいいの。うんと楽しんでいらっしゃい」


 ささやくたびに、くっつき合った頬が動き、髪が擦れてくすぐったい。

 ゴチャゴチャしていた頭が、スッキリ白くなった。メグリの拍動に釣られて、心臓も落ち着きを取り戻してくる。


「もう、平気ね?」

「…………うん」


 メグリは最後にギュッと力を込めてから抱擁を解くと、「お姉さんは観覧席から応援してるからね」と笑いかけて去っていった。

 深呼吸をひとつ。

 服に残った移り香を吸い込んでから、ランは出場者用の通路へと足を踏み出した。

 胸は膨らみ、肩からは強張りが抜けている。もはや心を乱すものはなく、前だけを見つめて進んでいくことが――――……


 ジリッ


 誰だ?

 うなじを焦がすような冷気を感じて、ランは動き出したばかりの足を止めた。

 スラムでは時たま受けることのあった――これは殺気だ。

 周りを見渡してみるが、カウンター前からいつまでも動かない少年に訝しげな視線を向ける者がいるくらいで、怪しい人影は見つけられない。


「……嫌な感じ」


 薄気味悪い感覚に顔をしかめて、ランは早足で通路を駆け抜けた。

 一本道の先にはエレベーターがあって、音声案内に従ってモルフィングカードを読み取り機にかざすと、運ばれていった先は一人用の個室だった。

 雰囲気はMTRに似ているが、室内には簡易ベットや小型の充電スタンド、映像プロジェクターにトイレまで設置されており、住むことだってできそうだ。


『ラン選手、出場者ルームへようこそ』


 天使のホログラムが現れて、入室したランを出迎える。

 受付の天使とは髪形や服のデザインが微妙に違ったりするのだが、ランにはよくわからない。


『試合開始までにモルフィングデバイスの充電、およびオプションデッキの確認をお願いします。その他、出場ブロックの変更や大会に関する質問などございましたら、何なりとお声がけくださいませ』

「オプショ……何?」


 形式的なアナウンス。

 その中に、覚えのない単語が混ざっていた。

 モルファイトの基本的な用語なのだろうが、相手はAIなので知らないことをとやかく言いもせずに教えてくれる。


『オプションデッキは、複数のモルフィングオプションを組み合わせて作ります。モルフィング中は、設定したデッキから任意のオプションを選んで使用することで、さまざまな効果を発揮することができます』


 つまりは、武器や何やに関わるものだということだ。

 車内でメグリに訊き損ねた内容なので、話を続けるように頼むと、天使はウインドウを表示してイラストとともに解説する。


『モルフィングオプションは、大きく二通りに分類することができます』


 一つは武器ウェポン系。剣や銃といったアイテムを装備するもので、このアイテムを使用することで対象にダメージなどの効果を与えることができる。昨日の逃走劇でランを攻撃した棒やライフル、メグリの操った【陽焔フレア】などがそれに当たるようだ。

 そしてもう一つの分類が付与エンチャント系で、昨日の件でたとえるなら、ギャングが使った【加速アクセル】がそうだろう。こちらは主に自身の仮想ボディが対象となり、スピード上昇以外にも様々な能力変化が存在する。


「ん、わかった……ような?」


 わかってないような気もするが、追い追い理解していけばいいか。

 とりあえず、今は自分のオプションデッキとやらがどうなっているのかを知るのが先決である。事前にメグリが設定してくれているとらしいが、ラン自身はまだ知らないのだ。

 天使にやり方を教えてもらって、モルフィングカードに保存されたデッキの内容と、カードの効果を確認する。

 わからないことにぶつかる度に天使に質問していたら、試合開始の時が訪れるまではあっという間だった。

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