第12話 メグリの心中

 風呂から上がったメグリが、ゆったりした部屋着姿でリビングに入っていくと、オキがティーセットを用意して待っていた。


「お待ちしておりました、お嬢様。アフタヌーンティーを、と思いまして……ときに、ラン様はいかがなさいましたか?」

「お風呂でのぼせちゃってね。脱衣所で休ませてたら、そのまま寝ちゃったから、部屋に運んできたわ」


 ヒツルギの屋敷に空き部屋は多数あったが、彼女らが入浴している間にベッドメイキングは完了してあった。すみやかにメイドが連絡してくれたので、探すことなく部屋まで運んでやることができた。

「起きてる時と寝ている時で、ぜんぜん重さが違うのね」などと肩を揉みつつ、安楽椅子に座ったメグリに熱い紅茶が差し出される。


「ありがとう」

「恐れ入ります」


 老執事はサイドテーブルに茶請けの菓子を置いて一歩下がると、満面に晴れ晴れとしたリトルレディの横顔をうかがった。


「ずいぶんと、あの少年に夢中なご様子ですね」

「わかる? そうなのよ。ランくんってば、何をしてもいい反応してくれるから、見ていて楽しいわ」


 笑みを輝かせて答えるメグリ。

 まだ出会って間もないにも関わらず、彼に心奪われていることは、自覚するところだった。


「きれいな目をしてるのよね。それが何かの拍子でキラキラって光るのが、もうたまんないって言うか」


 年齢のわりに、諦観めいた暗い三白眼の子どもであった。しかし、アップルパイを食べた時とか、メグリと触れ合った時とかに見られる瞳の煌めきには、年相応の純真さが感じられた。

 たとえるなら、消えかけた焚き火に風を送ると、一瞬だけ火の明かりが強まるのに似ている。

 その儚げな美しさを見守りたい気持ちになるし、薪をくべてやれば熱く明るく大きく燃え上がってくれるのではないかという期待も抱かせてくれる。そういう魅力を、ランという少年は持っているのだった。


 湯上りの肌を恋する乙女みたいに紅潮させて語るメグリを、オキはほほ笑ましく眺めて、「ところで」と何気ない調子で口を開く。


「未成年略取は重罪なのですが」

「……お茶を噴いたらどうするつもりだったのよ」


 水を差されたメグリは、半眼になってオキを睨む。


「失礼なことを言わないで。ちゃんと本人の同意をもらってから連れてきたわ」

「未成年の同意に、法的な効力はありません」

「ああ言えばこう言うわね」


 プクゥと子どもっぽく頬を膨らませるが、社会的にはオキの言うことが正しいため、ぐうの音も出ない。


「仕方ないじゃない。他に行き場もないんだから」


 いっそ開き直るように、メグリは事情を開示した。


「警務隊が――少なくとも一部の隊員が裏社会と通じていて、ランくんを追ってるの。狙いは、彼の持ってるモルフィングデバイスね」

「ふむ。認可外のデバイス、ということですか」

「もっと悪いわ。あのね、じいや。ランくんは、

「っ!?」


 感情を表に出さないオキが、この時ばかりは目を剥いた。


 行政区は、重要な政治機関が集中しているエリアだ。

 当然のことながら、セキュリティレベルは他所よりも数段高い。ネットからのアクセスは厳しく制限されており、モルフィング状態で侵入するなんてもってのほかである。

 ランの話では、彼を追っていたギャングが小川を越えられなかったそうだが、本来であればランだって同様に電脳防壁に遮断されていなければおかしい。なのに、一切の障害もなく境界線を越えることができたというのだ。


「セキュリティを突破できるデバイス? たかがスラムのギャングなんかが、そんな代物どうやって……それに目的は……?」


 メグリは険しい顔でうなるが、現状ではあまりにも情報が不足しており答えなど出るはずもない。思考が行き詰り、迷った視線は、無意識に壁の一点へと向かっていた。

 リビングの壁に飾られた油絵。

 明らかに素人のタッチとわかる未熟なそれは、今は亡きメグリの祖母を描いた肖像画であった。ヒツルギ・トメ。時代の創造者となった研究者は、オネイロンを発見した際に「これは夢の物質だ!」と言ったという逸話で有名であるが、当人は後にこう思い返している。


「あるいは、悪夢なのではないか」、と。


 事実、モルフィング現象を悪用した犯罪は起こっており、当局が厳重に管理していることからも危険性は明らかだ。

 オネイロンが原因となった悲劇について、祖母はとても責任を感じており、事件のニュース記事を読みながら思い悩む姿を、幼少期のメグリはよく目にしていた。


「……誰が何を企んでいるとしても、オネイロンを使った悪事を黙って見てはいられないわ。おばあさまの名誉に懸けて」


 決意を新たに、言葉として発する。

 ランには告げていなかったが、彼に手を差し伸べた理由の、個人的ではあるが大きな側面であった。


「まずはランくんのデバイスを解析するところから始めましょう。あと、ギャングや警務隊がどう動くかも気になるわね」

「すぐにでも、信頼できる者に調べさせましょう。ただ、事と次第によっては実力のある方に協力を依頼すべきかもしれません。他の天使の……“ガブリエル”様などは頼りになるかと」

「うーん。どうかしらね」


 前向きなオキの進言に、しかしメグリは浮かない表情をする。


「こういう時、あの子は味方になってくれるかどうか、いまいちわからないのよね。信頼できるって点なら、ランくんの知り合いだっていうイドちゃんだけど……」

「ちなみに、“ミカエ」

「ミカはダメよ! 絶対にダメ。論外。あんな性悪、関わらせたらランくんの教育に良くないわ。頼れるどころか、敵と繋がってるかもしれない」


 最後だけは食い気味に否定……というか私怨が混ざっている気がするが、賢明な老執事は指摘せずに聞き流す。

 さておくとして、会話しているうちに、大まかな方針は決まった。

 茶請けのマカロンを口に放り込んで、だいぶ冷めてしまった紅茶で流し込む。


「とりあえず、今はできる範囲内で情報収集をお願い。協力者をどうするかは、わたしも考えておくわ」

「かしこまりました。それでは……」

「ああ、待って。最後にもう一つ」


 リビングを後にしようとするオキを、メグリは呼び止めた。


「明日の朝までに、手配してほしい物があるのよ」

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