第10話 お姉さんの家

「そうと決まれば、善は急げ。すぐに出発しましょう!」


 メグリは声を弾ませて立ち上がった。勢いでソファが揺れて、隣のランも投げ出される。


「あの……どこへ……?」

「わたしの家よ」


 ランの質問に、メグリはこともなげに答えた。しかし、向かうのは外ではなく廊下の奥だ。

 内部に住居があるのか、というと、そういうわけでもないらしい。



「この建物の名前、まだ教えてなかったわね」


 教鞭みたく、指を振る。


「モルフィング・ポート・センター。国の運輸局が管理してるビルなんだけど、一階から三階までは民間に開放しているの」


 話しながら、適当なドアの前に立った。

 大きく『MTR』と書かれており、横に『利用可』という札が表示されている。その他にはノブすら付いていないが、メグリが着けなおした電脳サングラスをチカチカさせると駆動音とともにスライドした。


「ここがMTR室――モルフィング・テレポート・ルームよ」


 部屋は空っぽだった。

 広さは物置程度で、五人も入ればすし詰めになってしまうだろう。飾り付けはおろか椅子の一つもなく、照明すらも電子画面になっている壁自体が発光する仕組みだ。多少なりとも殺風景なのを和らげるように、壁には政府広報の電子ポスターが映し出されている。


「テレポートって……ここから、できるん……ですか?」

「モルフェウスのある環境なら、どこでもできるわよ。でも、送る途中で壊れちゃったり、変な場所に送っちゃうことがあるの。お茶のボトルくらいなら許してもいいけど、人間でそんなことがあったら大変でしょう? だから、テレポートするための場所をきちんと作って安全を守ってるのよ」


 室内をキョロキョロ見回すランに説明してやりながら、メグリはドアを閉めて鍵をかけた。


「家まではちょっと距離があるからね。途中で悪い人に見つかったら困るし、ここから飛んじゃいましょう」


 電脳サングラスの前で指を動かすと、唐突に壁の電子ポスターが消えた。

 驚いた猫みたいに毛を逆立てるランを、安心させるようにメグリは空いている方の手で肩を撫でてやる。


「……セーフティ確認。アドレス設定。入金完了……っと」


 操作を受け付けると、部屋全体が獣のようにうなり始めた。

 オネイロンの波動が天井から床まで隙間なくまん延し、ランとメグリの肉体を変換させていく。

 物質から、エネルギー体へ。

 ただしデバイスを用いたモルフィングとは違い、現実世界に重なった電脳空間へと仮想ボディが形成されることはない。実体を持たない存在へと書き換えられたランたちは、掃除機の前のホコリのように吸い込まれていく。


 渦巻く視界――雑音がかき混ざる――0と1の羅列が駆け抜けて――――……直後には、元通り。


 刹那のカオスを経て、ランは気付くとモルフィングが解けた状態でへたり込んでいた。メグリが心配そうな顔で傍らにしゃがむ。


「ランくん、大丈夫? 酔っちゃった?」

「う……んん。今のが、テレポート……?」


 まだ脳みそが揺れている気がするが、ひとまずは平気だと告げて、メグリに支えられながらテレポート室を出ることにする。

 鍵を外して、ドアをスライドさせる。

 そこに広がっていたのは真っ白な廊下……ではなく、時代がかった洋館のエントランスだった。


 精緻な刺繍の施されたペルシャ絨毯が敷き詰められ、大階段の手すりには朱雀の彫刻。天井ではシャンデリアの電気ロウソクが耀き、玄関脇に飾られたクリスタルの柱は後で教わったところによると岩塩だそうだ。

 豪邸、とはこういう家を指して言うのだろう。

 古い建物や調度のたぐいであればランも見知っているが、ここにある品々はまったく違う。

 時間を経ても劣化しているわけではなく、こまめに手入れされ、時には修繕されて、きちんと物としての価値を保ち続けて――むしろ高価になっているかもしれない――いるのだ。


「――お帰りなさいませ、お嬢様」


 大階段の下のドアから、背筋の伸びた老人が姿を現した。

 灰色の髪を撫で付けた、清潔感のある男である。黒いスーツを着た人間というのはスラムにもいたが、あんな連中とは比べ物にならないくらい穏やかで上品だ柔和な笑みを崩すことなく、背が高くて動きにキレがある一方で、妙に影が薄いというか印象に残らない雰囲気を持っている。

 恭しくメグリを出迎えた老人は、ランに目を止めて「おや」と呟いた。見るからにスラムの浮浪児といった風体なのに、驚きや嫌悪といった感情の起伏はいっさい表に出さない。


「お客様をお連れでしたか」

「ただいま、じいや。この子はランくん。ちょっと困ったことになったんだけど、警務隊には頼れそうにないから、しばらくの間うちで預かることにしたの」

「それはそれは」


 あまりにも乱暴な説明だが、老人はやはり動じた風もなく受け止めると、ランの前で膝を着き目線を合わせる。


「ようこそいらっしゃいました、ラン様。私はオキ、この屋敷で執事を務めております。何かとご不便をおかけするかとは思いますが、ご遠慮なく何なりとお申し付けくださいませ」

「う……」


 上手く返事できず、メグリの陰に隠れてしまった。

 失礼な態度ではあったが、オキと名乗った執事は眉ひとつ動かすことのないまま立ち上がる。


「それでは、お嬢様。お客様にもご夕食とベッドを支度するよう手配して参ります。その他につきましては、すでにご用意しておりますが、お手伝いする者を向かわせましょか?」

「いいえ、まだ人見知りしてるみたいだし、わたしがお世話するわ。……あっ、そうだランくん。食べられない物とかあったりする?」

「う、ううん……」


 首を横に振ったら、オキは一礼して出てきたのと同じドアから退出する。

 メグリは命令しなれた態度で彼を見送った後にランを見下ろし、そして言った。


「後のことはじいやに任せるとして、わたしたちはお風呂に入りましょうか」

「は、はい……。…………うぇ?」

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