第7話 逃げた先に待っていたのは
怒声や銃声や電撃を喰らった男の悲鳴やが上がるのを背中に聞きながら、ランは全速力で逃げた。
透過できるのだから、障害物など関係ない。積み上げられたガラクタも、誰かの住居も、ときには人の体さえもすり抜けて一直線だ。ただ、スラムはネット環境が不安定で、所々に虫食い穴みたいな電脳の虚空が見える。あそこだけは避けた方がいいかもしれない。
「どうやって……ううん、どこに逃ようか…………」
前に進むことに全力を投じながら、並列して思考を巡らせる。
あれだけ大々的に人を動かしているのだから、ギャングが諦めることはありえない。草の根分けてでも探し出そうとするはずだ。いつもなら隠れたり囮を使ったりして追っ手を撒くところだが、そんなことでは時間稼ぎが精一杯だろう。必要なのは、奴らがどうあがいても手が届かない場所まで逃げることである。
すなわち、ギャングの縄張り――スラム街の外だ。
何のことはない。
最初からそうするつもりだったではないか。
「いたぞ、ガキだ!」
「手間かけさせてんじゃねェぞ!」
新手だ。
後方からギャングが三人ばかり。なんと、宙を飛んで追いかけてくる。モルフィングしているのだ。うっすら透けた体で飛翔しながら、三人が己の首輪に手を触れると、光の粒子が集まって複数枚のカードが出現する。
――モルフィングオプション、【
カードの一枚が砕けて、散った淡光はギャングたちの体を包み込んだ。
瞬発。
いきなり、三人のスピードが格段に上昇した。まるで風になったかのよう。遠くに見えていた豆粒みたいな姿が、瞬く間に触れ合える距離まで接近する。
――オプション更新、【ベースロッド・M】。
「死ねェェェ!」
加速の光が消えたギャングたちの手中に、今度は光の棒が形作られて打ちかかってきた。
力任せにぶん回す光棒を、ランは体をひねって回避しようとするが……一太刀、二の太刀まで躱したところに差し込まれた三人目の攻撃は避けきれなかった。
痛みは、ない。
だが、打撃を受けた左腕にはノイズが走り、痺れたような感覚がして腕が動かなくなってしまった。
「これ、は……!?」
落ち着いて見れば、【
「ヒャッハー! 当たったぜー!」
ギャングたちの歓声が耳障りだが、ランには逃げることしかできない。背を向けて駆け出すと、再び棒が振り上げられる気配。
とっさに右手に跳んだ。
空振りした敵が追いすがってくるのをギリギリまで引き付けたところで、すかさず左前方にダッシュ。また次は右に行くと見せかけて直進し、――右左上昇右右直進左降下ジグザグ直進ジグザグ直進直進!
「クソッ、ちょこまかと! ……おい、お前ら!」
いら立つギャングが青筋を浮かべて、仲間に呼びかけた。
不規則な飛び方をして撹乱しながら必死に逃げるランであるが、三対一の人数差で連携まで取られてはあまりにも不利だ。後ろから追ってくるのに気を取られていたら、方向転換したところに別のギャングが回り込んでいて、まともに一撃もらってしまう。
左腕に続いて右足もフリーズ。背中にも浅いながらダメージを負い、限界が近付いてきた。だが、それは体だけの話であり、心はくじけていない。
水の流れる音。
スラム街と外とを区切る、小川のせせらぎが耳に届いていたからだ。
「……もう、少し!」
ノイズまみれのボディに鞭打って、ランは懸命に駆けた。後ろからの攻撃を避けながら、最後の路地を突っ切ればもうそこはスラムの外だ。
「う……わあああああああああ!!」
精根を振り絞って、柵をすり抜け小川へと飛び出した。ここから続けざまに三つ、驚くべき事態が起こる。
まず、一つ目。
「むぎゅ!?」「べっ!?」「のわ!?」
ランにせまっていたギャングたちが、突然すっとんきょうな声を上げた。
見れば、光棒を振りかぶった姿勢のまま、見えない壁にでも衝突したみたいに、潰れたカエルの表情で空中に張り付いている。
「た……助かった?」
どうやら、ギャングたちは小川を超えられないらしい。理由は不明だが、ランはそれ以上の妨害を受けることなく対岸までたどり着いて、
「――待ってたぞ、ガキ」
『二つ目』が降りかかってきた。
建物の壁から、大人たちがゾロゾロと現れた。男女が五人。体が透けていることから、彼らもまたモルフィングしているのがわかる。青を基調とした制服の上にプロテクターをまとった、警務隊の標準装備だ。一般市民にとっては町の治安を守る正義の味方だが、スラムの人間からするとあまり顔を合わせたくない相手である。
それにしても、最悪のタイミングである。小川の対岸は、無機質な建物が建ち並ぶだけで人通りのない道路なのに、どうして今日に限って警務官がいるのか。それも、ランが逃げて来るのを待ち構えていたみたいに……いや、本当に『みたい』か?
「……待ってた、って?」
不可解な物言いに眉をひそめると、警務官たちは下卑た笑いを浮かべながら、その手にライフル銃を出現させる。
――モルフィングオプション、【
放たれた弾丸は散々に砕けて、一面を塗り潰すように広がった。隙間のない散弾をランが躱せるはずもなくて、ハチの巣にされた全身が完全に凍り付く。
指一本、動かない。
【FREEZE】【仮想ボディ損傷過多】【一時活動停止】
といった真っ赤な文字で視界を埋め尽くされた状態で、虫の標本よろしく宙にピン留めされてしまったランに、警務官たちは軽口を叩きながら悠々と歩み寄った。
「心配すんな。なにも、牢屋にぶち込もうなんてつもりはねーさ。ちゃーんと、元居たところに帰してやるからよ」
「くくく。帰ったところで、どんな目に遭うかは知らないけどな」
「っにしても、ギャングどもめ。こんなガキ一匹捕まえるために俺たちを動かすなんて、何様のつもりかね?」
「言ってやるんじゃないよ。プロのあたしらと違って、スラムのゴロツキには荷が重いんだろうさ」
……こいつら、ナメレスとグルだったのか!
ランは彼らが現れた理由に合点がいって、そして絶望した。
もはや打つ手はない。
せっかくモルフィングデバイスを手に入れたのに。宝物の小型レコーダーを捨ててまで掴んだチャンスは無駄となり、ギャング団から嫌というほどお仕置きされて、また小汚いゴミ漁りの生活に戻るのだ。
(……くそっ……くそぉぉ…………)
モルフィングでエネルギー化した体では、涙も流れやしない。
最後の抵抗もできないまま、警務官の一人がUSBメモリのようなものを近付けると、ヒトの形を保っていたボディが徐々に光の粒子となって吸い込まれて――――……
「あなたたち! そんな小さな子に何してるの!」
暗雲を斬り裂く女性の声。
それこそ、三つ目。最後にして最大の、ランにもたらされた驚愕であった。
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