或いは虚空に夢を視る
里予木一
第1話:HONEY BEES
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」
私は草原を必死に走っていた。いつもの道、いつものお使いの帰りだった。まさかこんなところで魔物に襲われるだなんて……!
私に付いてくるのは黒い狼だ。普通の狼とは気配も大きさも違う。大人の数倍はあろうというその化け狼は、簡単に殺せるであろう私をいたぶるように少しずつ追い詰めていた。息は切れ、草木で傷つけた足はもう棒のよう。それでも止まれば殺されるから、必死で走る――が、限界を迎えた足はもつれ、私の体は地面に叩きつけられた。
「ごほっ、はぁ、はぁ、はぁ……」
もう動けない、ただ、狼に襲われ、食われるであろう運命を受け入れるしかない。
――あぁ、神様。最後にせめて一曲、素敵な歌を聞かせてください――。
その言葉が届いたのか、耳に微かなリズムが聞こえた気がする。……幻聴だろうか。人はずいぶん都合よく、幻を生み出せるんだな。そんなことを思っていたが……。
「…………あれ?」
狼も、耳をぴくぴくと動かしながら周囲を警戒している。つまりこれは――。
だんだんと音が近づいてくる。激しい、ロックだ。……なんでこんなところで?
イントロが終わり、歌声が届き始めた。一つは力強くハスキーな声。もう一つはかわいらしく、でも芯のある綺麗な声。
私はパニックになって、あたりを見渡す。狼も同じ気持ちのようだ。そして……一人と一匹の目線が、一点で止まる。
――歌っている。
一人は黒と青を基調とした服に長い銀の髪を持つ、少女。もう一人は灰色のとオレンジの服に、黒髪を肩のあたりで切りそろえた少女。二人はマイクを手に、交互に、あるいはハモリながら、歌声を響かせ、歩いてくる。まるでステージを歩くアーティスト。――いや、事実そうなのだろう。彼女たちの歌声は、音響設備などないこの場であっても美しく、力強く、心を打った。
激しくも美しい曲が、サビに差し掛かる。――その瞬間。少女たちは駆けた。
手にしたマイクが光を放ち、まるで剣のように煌めく。
ピークを迎えた曲とともに、少女たちは狼に向けて跳ぶ。手にしたマイクは剣となり、音楽に合わせて狼の体を斬り裂いていく。どんな理屈か、歌声は途切れることなく響き続け、まるで歌劇のワンシーンのように、少女たちの振るう刃とその歌は、狼を蹂躙し――曲の終焉とともに、音は掻き消えた。狼の命の火とともに。
それが、出会い。
私と、歌唱魔術の使い手との、初めての邂逅だった。
◆◇◆◇◆◇
「じゃあ、行ってきます」
「カネレ、気を付けるんだぞ。近頃は魔物も増えてるし、魔族が攻めてきたこともあったからな」
父の言葉を背に、私はお使いに出かける。もう私も十五を過ぎたのだから、心配しすぎな気もする。すでに発注済みの商品――蜂蜜を取りに行くだけなのだから。元々は定期的に配送してもらっていたのだが、近頃養蜂家のご主人がケガをしたらしく、輸送が難しくなったらしい。蜂蜜を作っているところはは私たちの住む村から少し離れたところにある。ご家族でやっていて規模は小さいが、味や成分がとても良く、色々なところから注文を受けていたようだ。実際、配送ができなくなってもわざわざ取りに行こうと思うくらいだから、相当である。
先日魔物に襲われたので多少警戒はしていたが、その時とは全然違う方向だし、報告をしたら国が道にかけている魔物除けの術を強化してくれたようなので、とりあえず安心してお使いに出ている。
休憩を入れながら一時間ほど歩き、養蜂家の方が住む建物にたどり着いた。高台に位置していて、風車が設置されている。建物の周りは綺麗な花で溢れていた。この花から蜜を作っているのだろうか。
蜂がいないか警戒しつつ、小屋のドアをノックした。……反応がない、いないのだろうか。どうしようかな、と思っていると、小屋の後ろ側から声が聞こえたような気がした。――いや、これは、歌?
建物の後ろに回ってみる。花畑の中、一人の女性が歌っていた。のびやかで、綺麗な声。この距離でも声量と何より歌の上手さが伝わってくる。銀髪をショートカットにしていて、よく見ると髪の内側と瞳が黄色く輝いている。まるで蜂蜜みたいだ。
気持ちよく両手を広げ歌っていた女性は、私の気配に気づいたのかこちらを向いて、ぴたり、と動きを止めた。とたん、顔を真っ赤にして頬に手を当てる。――私より年上に見えるけど、かわいい人だな。
「ああああああごめんなさいそうそうだよね確か蜂蜜取りに来るって言ってたよね私かんっぜんに忘れて気持ちよく歌ってたはずかしい! 忘れて!」
「えと、ラルゴの、代理です。……あの、歌、上手ですね」
掛け値なしにそう思ったので、伝えたのだが、逆効果だったようだ。女性はますます顔を赤くし、その場に座り込んでしまった。
◆◇◆◇◆◇
「えー……ラルゴさんの注文していた蜂蜜は、こちらになります」
あれからしばし。女性が少し落ち着きを取り戻したのち、建物の中に招かれ、注文していた蜂蜜を受け取っていた。室内は販売スペースのほか、蜂蜜やそれを合わせる紅茶が試飲できるようになっていて、簡単なカフェのようになっていた。住居や作業スペースは奥にあるらしい。
「ありがとうございます。あの……全然関係ないんですが、お姉さん、その、歌、とか何かやってらっしゃるんですか? とてもお上手だったので……」
恥ずかしがるかなとも思ったのだが、どうしても聞いてみたかった。私自身が歌を仕事にしたいと思ってはいるが、どうしたらいいかが良くわからないからだ。彼女の歌はとてもうまかったし、間違いなく素人ではないと思ったから、どんな風にうまくなったのか、そして、彼女はどう生きているのかを聞いてみたくなったのである。
「えぇ!? あ、その、はい。恥ずかしながら、私……あ、アピスっていうんだけどね。一応、歌で生計を立ててます、うん。今はお父さんがケガしてるから家の手伝いをしてるけど……そういうことを聞きたがるってことは、あなたも歌に興味があるのかな?」
「はい、私――あ、カネレって言います。元々歌が好きだったんですけど、少し前に魔物に襲われたところを旅の歌手の方に助けてもらって、すごく恰好いいなと思ってあんなふうになりたいな……と思い、色々調べているところなんです」
「魔物……? その、歌手の人が魔物を追い払ったってこと?」
「それどころか、歌で倒してました」
私はその時の状況をわかる範囲でアピスに説明した。彼女は感心したように頷きながら聞いている。
「なるほどね。たぶん、
「マナ、シンガー……?」
「要するに、歌を使って魔術を発動できる人ってこと。たぶんその人たち、私の知り合いっぽいけど……一応、私も歌唱魔術、使えるんだよね。カネレちゃん。興味があるなら教えようか?」
「はい! ぜひ!」
それは助かる。何せ、どうやって目指せばいいのか、そもそも彼女たちが何者野なのかもわからなかったのだ。こんなところで話を聞けるなんて。
「うん、じゃあお茶でも入れようか。蜂蜜クッキーもあるから、ちょっとカフェで座って待ってて」
そういうとアピスさんは店の奥に消えていった。私は店内を見渡し、優しく明るい光の差し込む二人掛けの席に着いた。室内には様々な花が飾られ、大きな窓からあたたかな日が差し込んでいる。とてもきれいで落ち着く店内だ。ここのところ、私は出会いに恵まれているらしい。そんなことを思いながら、アピスさんの帰りを待った。
◆◇◆◇◆◇
幸い、その日他のお客さんもほとんど来なかったので、私はアピスさんから色々なことを教えてもらえた。暗くなると危ないので日が沈む前に帰路へ着いたが、またいつでも遊びに来て、と言ってくれたので時間ができたらまた行ってみるつもりだ。
少しずつ茜色に染まる空を眺めながら、私は今日聞いたことを反芻する。
私が助けてもらった二人組は、歌で自らの肉体を強化しつつ、魔物を弱体化させたうえで物理的な攻撃を行ったのだろう、ということだ。Mシンガーの装備品は、歌の効果を増幅させるマイクや音を流すための装着型オーディオシステムなどがあり、その種類も様々だ。彼女たちは近接戦闘を想定して刃を生み出す機能を持つマイクを使っていたのだろう。そのあたりは各々のスタイルによるようだ。
「どうしたら……なれるかな」
歌唱魔術は才能によるところがかなり大きいらしい。とはいえ、性能の高いマイクを使えばある程度まではそれを補うことはできる。歌という単なる空気の振動を、魔術へと変換するのがマイクの役目。ただ、本当に優れた歌唱魔術の使い手は、マイクがなくとも歌の力だけで魔術を扱うことができる……とのことだ。当然そのような人がマイクや音響機材を使えば、魔術の効果は凄まじいものとなる。数百人どころか、数千人、数万人に影響を及ぼしうる、歌。――今の私には、全く想像がつかないものだった。
「でも、やってみたい」
夢の輪郭がはっきりした。至るまでは遠いことが分かったけれど、でも、道目の前に続いている。
「今日の出会いに感謝をして、明日からもっと頑張ろう」
とりあえずは歌を、人に届けよう。アピスさんの歌は素晴らしかった。あんな歌が歌えるように。まずは彼女に教えを請おう。
暮れ行く空を眺めながら、私は強く、決意を固めた。
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