10年後

梨詩修史

第1話 10年後

「10年後、お互いにまだ好きだったら結婚しようね。」


そう言って、隆(たかし)の結婚指輪を突き返した唯(ゆい)は、今も銀行員としてバリバリと働いていた。


店締めの前に金額が合わないなんてことがあったが、10年もいると何度か経験済みで後輩に支持を出して手際良く問題に対処していく。


この春に入社したばかりの入社後数週間しか経っていない新人もいたが、ベテランたちで対処していく。


そして深夜の終電の2本前ほどの電車に乗り、帰路についているところだった。


電車の中で唯はスマホを取り出した。


「終わったよ。」


短く、メッセージをおくる。


相手は10年前に

プロポーズしてきたあの隆だ。

まだ付き合っている。


付き合ったばかりのころと

同じようにとは言わないが、

今でも一緒にご飯を食べたり、

半年に一回くらいは、

一緒に旅行に行ったりしている。

会う頻度は減ったがお互いに無理なく、付き合っているという感じだ。


「迎えに行くよ。」


そう言って隆から返事が返ってくる。


「ありがと。」


また短く返事を返す。

今度は一応、

彼氏に対して

『淡泊になりすぎないように』

という心ばかりの絵文字まで添えて。

家の最寄り駅の改札口を出ると、

隆が待っていた。

緑のスポーティなパーカーに、

ジーパンと、

ローテクスニーカーというシンプルな装いだ。


「遅くまで、おつかれさま。」


隆はそう言ってにっこり笑いかけると、

唯から少し離れたところを歩く。


「今日は仕事どうだった。」


会話を探しながら、隆が唯に聞いてくる。


「まあまあ忙しかったわ。

ちょっとお金が合わないなんてイレギュラーなこともあったしね。」


「そうか、無事に今日中に銀行から解放されてよかったな。」


「ええ。」


そういいながら、とぼとぼと隆の住むマンションまでの道をあるく。


隆の住むマンションは、

唯の家から歩いてすぐだが、

人通りの少ない道を歩かねばならず、

『女性一人で夜を歩くのは危ない。』

そう言って、隆が迎えに来るのは常になっていた。

「唯、コンビニで缶ジュースでも買って、

公園にでもいかないか?

ほら、公園の桜、まだ見てなかっただろう?葉桜だけどほんの少し残っているんだ。

散る前にみようぜ。」


「ええ、そうね。」


そう言って、

春の心地良い夜風を感じながら、

二人はコンビニに入り缶ジュースを

2本購入し、公園まで向かった。


公園に着くとブランコが二つ並んでおり、そこに二人は腰かける。


プシュ。


隆が買ったのは炭酸ジュースだったため、

景気の良い音が周囲に響く。


「唯、久しぶりのコーラはうめぇな。」


「そうね。

でも、あまり甘いものばかり飲まないでよ。健康第一なんだから。」


「ありがとうよ。」


たわいのない会話をしながら、

二人は缶ジュースを飲みほしていく。


「唯、この缶ジュースを飲み終わる頃には今日が、終わっちゃうな。」


「ええ。」


「今日は、俺が、10年前に指輪を渡そうとした日だ。

俺は今も変わらず、

唯の事を大切に思っている。

俺のこの指輪を受け取ってくれるか?」


そう言って隆は、

10年前に渡そうとした指輪を、

ジーンズのポケットから取り出した。


10年前、

唯は、隆から取り出された指輪を見たとき、

心底嬉しかった。

隆は優しい男だ。

優しいだけでなく、まじめで、

仕事熱心でもあった。

仕事はプログラマーである。

唯はそのころは、

特に目標もなく、銀行員になったばかりで、隆が、なりたかったプログラマーとして、

バリバリと働いている姿が眩しかった。

そんな隆に、

『自分は釣り合わない、

自分から隆を振るのは嫌だが、

どこかで自分を振ってほしい。

隆にはもっとふさわしい女性がいるはずだ』

なんて思い、隆の求婚を断ってしまった。

後悔することもあった。

しかし、その時の勢いと、

一時の考え方に縛られ、

わざわざ”10年後”なんて言葉を持ち出して、断ってしまった手前、

もう一度、プロポーズしてほしいなんて、

唯はずっと切り出せなかったのだ。

そのまま10年も過ごしてしまった。


唯はじっと、指輪を見つめる。

そして、隆の目をみる。

隆は唇をぐっと結びながらも、口端だけは上にあげ、にっと笑っている。


唯を見つめる目が暖かい。


「だめかい?

唯、今まで結婚の話を避けようとしていただろ?

だけど、唯、俺が言うのもなんだが、

お前はまだ、俺のことが好きだろ?

お前の性格だ。

"10年"なんて言ったから、

もう、10年きちんと待たなくちゃいけないなんて思ってたんじゃないのか?」


そういって、唯に優しく笑いかける。


「ええ。」


思わず、唯がそういうと、

今まで押し殺していた後悔などの感情が、

ぶわっと涙とともに溢れて来た。


「いいんだぜ、だけど、これからは、

俺の前ではもっと正直にいてくれよ。」


隆はそう言うと、そっと唯を抱き寄せた。


二人を照らす街頭がゆらゆら揺れる。

ひらひらと花びらが、

二人の門出を祝うように、

二人の上に降り注いだ。









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10年後 梨詩修史 @co60

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