10月14日 11:24

 下田のシュートがラインを割ると歓声ともどよめきともつかない声が沸き起こった。


 大本命・深戸学院の先制点。それは全く不思議なものではない。


 しかし、ここまで圧倒的な力で勝ち上がっていた高踏が先制点を喫したという事実も、多くの者には意外な展開、と受け止められたのである。



「あ~、やられた……」


 もっとも、スタンドの一角で眺めている結菜は、あまりショックは受けていない。


「さすがは深戸学院ですねぇ」


 やはり、相手のことはある。


 負けるつもりではいないが、簡単に勝てる相手でないことは分かっている。


「篤志が思い切って動いたのがゴールにつながったね」


 マーク相手の芦ケ原を追いかけていたから不自然ではないとはいえ、谷端が最終ラインどころか中盤のラインまで追い抜く勢いでクリアに向かったのはピッチ上のほとんどの者にとって想定外だった。その勢いの分、威力のあるヘディングが新木のところに落ち、そこから得点へと繋がった。


「立神と榊原は互角だろうけれど、下田と園口の走り合いは下田側に軍配があがるね」

「そうですね」

「これで園口はやりづらくなるだろうな。天宮君はどうするか」

「うーん……」


 結菜はピッチを見降ろした。


 陽人は後田と話をしていた。慌てる様子は特にないし。


「うん?」


 気のせいか、結菜には陽人が笑っているようにも見えた。



「やるなぁ、谷端……」


 陽人はつぶやくように言った。後田が首を傾げる。


「陽人、何かうれしそうだな?」

「……まさか。点を取られてうれしいはずがない」

「でも、ちょっと笑っていたぞ。緊張してそんな感じになったって風でもなかった」

「そうかぁ?」

「どうするんだ? やっぱり前半は我慢するのか?」


 後田の指さす先には園口がいる。


 完全な走り負けで下田への意識を気にしているようだ。失点前よりも二歩ほど後ろにいるように見えた。


「あそこ、狙われると思うぞ」

「分かっている。ただ、さっきも言ったけど前半はこのままで行く」

「このままだと2点3点と取られるんじゃないか?」

「だから、それはまず現状の状態として認識しないと」


 陽人は慌てる様子はなかった。



 立神が鈴原とワンツーを混ぜてドリブルしようとするが、榊原がついてくる。抜くには抜けるが、ついてこられる分、スペースに制限を受ける。ミドルシュートのコースもない。


 難しいと見て、陸平に下げた。更に林崎に回したところで新木と下田がプレスに来て、サポートに来た颯田へと回す。


「怜喜のパスを希仁が決めていたらなぁ……」


 後田がぼやく。


 少し前に、陸平が珍しくシュートに直結するボールを出したため、深戸側は林崎や陸平にもプレスをかけていた。自由にできるのは鹿海と武根くらいだ。


「……雄大」


 陽人が隣にいる後田に呼びかける。


「何だ?」

「……俺はひょっとするととんでもない勘違いをしているのかもしれないが、何故か試合終了までに3点は取れる気がしているんだ」


 当然、後田は唖然となる。


「マジで? このままだと手詰まり感があるんだけど」

「手詰まり感はある。だけど、相手の3トップは怜喜や大地にもプレスにいくからかなり無理をしている」

「まあ、それは……」


 後田も否定しない。


 元々、深戸の方が間延びしていて走行距離が長い。トップの走行距離はその中でも長い。しかも、手詰まり感があるとはいえ、キープはこちらがかなり長く、その分相手を走らせているという実感もある。


「ボクシング的に言えば、2Rにダウンしたけど、後半何とかなるんじゃないか感がある。正直、あと一、二回ダウンしたとしても……」

「本当かあ?」

「仮に今、うまくいかないところを直そうとしたとする。うまく行ってもハーフタイムにしっかり修正される。そこから更に修正するだけの手札は俺達にはない。今は我慢して後半に仕掛けた方が、俺達の時間帯は増えると思う」

「……俺はとても心臓が持たないけど、監督は陽人だ。陽人がそう思うのなら、それで行くしかないよ」



 下田と園口の走力の関係性は深戸側にも分かっている。


 得点後、高踏側のミスでボールを取ると、深戸サイドはまず下田を探すようになった。


 22分、瑞江がコントロールを失い、杉尾から安井へと繋がる。


 安井は左に短く出して、下田を見た。その動きに園口はもちろん、陸平も一瞬つられる。安井は左に蹴りだした。榊原がボールを確保し、立神が追う。クロスを阻んだがコーナーになった。


 コーナーキックを安井がショートで出した。市田が入れたクロスに長身の杉尾と武根が競りかける。


「俺が出す!」


 ゴールキーパー鹿海がパンチングではじき出そうとしたが、はっきりと聞き取れなかったようで武根は飛び上がっていた。勢いが殺されて、パンチングが不十分、エリアを出ないボールに谷端が食いつき、落としたところに新木がいた。


「あ~」


 溜息があがった。



 2-0。


 やはり深戸学院は強い、という空気がスタジアムを包む。

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