第16話

 じゅんが湯屋の二階に豆腐田楽を置いてもらった結果、富屋の豆腐田楽は好評であったとのことだ。作造が売り上げをじゅんに手渡しながらそう教えてくれた。


「残ったら味見しようと思ったんだが、二十五本全部売れたぜ? これならもっとうちに卸してくれたっていいくれぇだ」

「え? 全部? 作造おじさん食べなかったの?」

「悪ぃが、ひとつくれぇは残ると思ってたんでぇ。食いそびれちまった。次は俺も銭を払ってでも食うからな」


 じゅんは返された盆の上に載っている四文銭をざっと数えた。二十五枚そっくりそのままだ。場所代と手間賃を抜いてくれていいと頼んだのに。


「おじさん、場所代と手間賃を取っていないじゃない?」

「今度から取るさ」

「今度って?」


 じゅんがきょとんとすると、作造は口の端を持ち上げてうなずいた。


「いや、本当に評判がよかったから、今度はこっちから頼みてぇ。毎日は無理だろうが、たまにうちに品物を卸してみちゃあどうだ? そうだな、毎月|三日(さんじつ)ならできねぇか?」


 三日――つまり毎月、朔日、十五日、二十八日に湯屋に品物を卸してほしいと言うのだ。もしそれが上手くいけば、その三日は姉妹も品物を作った後に売りに行かず体を休めることができる。休むと実入りがなくなるから、蓄えが増えるまでは休めないかと考えていたので、願ったり叶ったりだ。


「いいの? こちらとしては置いてもらえたら嬉しいけど」

「ああ、それなら決まりだな。仕入れる数はその都度相談だ。おりんちゃんにもそう伝えてくんな」

「うん、ありがとうっ」


 じゅんは駆け足で家に戻った。早くりんに話したくて堪らなかったのだ。



 りんは外で屋台に饅頭を並べて支度していた。今日も仕込みはするけれど、見世先に立つのはじゅんだけで、りんは留守番である。平気なふりをしても、まだ本調子ではないはずだから。


「姉さん、あのね――」


 戻るなりじゅんは口早に湯屋でのやり取りを語った。りんはその勢いに押されながら相槌を打つ。


「そうなの? それはありがたいけど」

「上手くいったら、三日は休めるわね」

「おじゅんも毎日働き詰めだもの。作造おじさんに感謝しなくっちゃね」


 じゅんは今のところ、体がつらいということはない。丈夫なのが取り柄だ。ただ、時には忙しく追い立てられることなく、りんを労わりながら過ごしたい。


 まだ上手くいくかどうかもわからないのに、気持ちはすでに上手くことが運んだように思えていた。ほくほくとあたたかな気分でいると、りんが並べていた花咲饅頭に目が行く。


 徳次が作ってくれた花型を使って仕上げたのだ。どの花も綺麗に整い、数が並んでいると際立って華やかだった。

 そして、それを眺めているりんもまた、我が子を慈しむような優しい目をしていた。それがじゅんには微笑ましい。


「姉さんと徳次さんの合作よねぇ」


 つい揶揄ってしまうが、その都度りんは顔を赤らめる。


「ええ、おかげ様でとても助かったわ」


 徳次自身が、自分に想いを寄せるりんをどう見ているのかは知らない。まったく気づいていないなんてことはないと思うけれど、どうなのだろう。


 りんはどこへ出しても恥ずかしくない、誰もが嫁にほしがるような女子なのだ。少なくともじゅんはそう思っている。りんに思われて嫌な男などいないはずだ。


 ただ、徳次は職人だから、己の腕に自信が持てるまで所帯を持とうという気にはなれないだろう。だから、気を持たせるようなことは言わないのかもしれない。徳次ならありそうな話だ。それをりんが待てるのなら、なんにも障りはない。


「さ、早く広小路に行かなくちゃ」


 じゅんは軽く伸びをしながら言った。昨日は初めて休んだから、天麩羅屋の勘助もどうしたのかと気にしているかもしれない。


「行きだけはついていくからね」


 りんが念を押す。


「今日くらいいいわよ。本当はまだ寝ていてほしいくらいなのに」


 じゅんが言うと、りんはかぶりを振った。


「そこまでひどくないわ。もう無理はしないし、かえって迷惑になるってわかったから、ちゃんと休むもの」

「そう? わかったわ」


 家で休んでいてほしいと思いつつも、りんが一緒だと嬉しいのも本当だ。二人でからころと屋台を動かした。


 通りかかった土手の桜の花は少しずつ散り始めていた。それでもまた来年には拝める。風に舞う桜の花弁が通り過ぎてゆくのを、じゅんは寂しいばかりではなく労うような心で受け止めた。


 来年、またこの桜が咲く頃には富屋をもっと繁盛させることができるだろうか。

 そうなるように、じゅんもこの一年を大事に過ごそうと思う。

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