第11話

 その翌朝、饅頭は三十個にした。

 もう少し、売れるという自信がつくまではこの数にしておこうと二人で話し合った。


「あ、また割れた」


 蒸し上がった饅頭の皮が割れていて、毎日のことながらすべてが割れずにできあがったことが一度もない。難しいものだ。


 すると、りんがじゅんの肩越しに饅頭を覗き込んだ。その時、饅頭を食い入るように見つめた。りんなりにどうすればもっと綺麗に仕上げられるか考えているのかもしれない。

 ふと、りんはじゅんの肩に手を添え、ぽんぽん、と叩いた。


「ああ、いいことを思いついたわ」

「え? なぁに?」


 じゅんが振り返っても、りんは笑うだけだった。


「うん、今日は無理だけれど、明日から試してみるわ。だから、明日からのお楽しみ」


 そんなことを言うりんは楽しげに見えた。一体何を思いついたのだろうか。



 その日、数を減らした饅頭は残らなかった。これくらいが丁度いいのかもしれない。けれど、ほどほどの数を作っていたのでは蓄えが増えない。もっと売りたい。

 りんに何かいい案があるようだから、それが上手くいくといいのだけれど。


 帰り道、りんは小豆と一緒に白いんげん豆も買っていた。


「『いいこと』って、もしかしてお饅頭をいつものに加えて白餡入りも作るってことなの?」

「それもいいけど、中身だけ変えてもお客様は食べるまでわからないでしょう? そうじゃないのよ」


 などと言って笑っている。じゅんにはちっともわからなかった。

 ただ、その日の晩はりんがいつまで経っても寝ようとしなかった。薄暗い中、行灯のほのかな灯りを頼りにいつまでも何かを捏ねている。甘い餡の香りが部屋中に漂っていた。


「姉さん、明日も早いんだから、そろそろ寝なくっちゃ」


 じゅんが没頭しているりんの背中に声をかける。それでも、りんは振り向かずに声だけ返した。


「うん、もう少し。もう少ししたら寝るから、おじゅんは先に休んでいて」


 色々と試してみたいのはわかるけれど、あれで明日の朝にちゃんと起きられるのだろうか。あまり根を詰めてもいけないのに。


「ほどほどにしてね?」


 じゅんはりんの背中に言うと、夜具に潜った。一体、りんは何を作っているのだろう。目が覚めたらわかるはずだけれど。



「――おじゅん、朝よ」


 優しいりんの声に眠りから覚まされる。じゅんは慌てて飛び起きた。


「ね、姉さん、おはよう」


 りんが起きられるのかという心配をする前に、自分が寝過ごすところだったのだから恥ずかしい。りんはどんなに遅く寝ても早朝には起きたのに。


「おはよう。さ、今日もよく働きましょう」

「うんっ」


 いつも通り、饅頭を蒸して田楽を焼く。蒸した饅頭は、今日も三個ほど皮が割れた。

 しかし、りんは割れた饅頭を見てもにこにこしていた。


「いいの。おじゅん、今日はそのお饅頭も一緒に並べて」

「え? これも?」

「そうよ」


 りんがそう言うのだからじゅんは従った。

 割れた饅頭の下の餡は黒い。それなら、昨日の白餡は一体どこへ行ったのだろう。


 じゅんが饅頭を盆の上に並べておいたら、田楽を焼き終わったりんが戻ってきて、その饅頭の盆に手を翳す。粗熱が取れたかどうかを見ているようだ。


 ひとつうなずくと、りんは棚の上に置いてあった皿を取った。被せてあった手ぬぐいを取ると、その皿には花が並んでいた。


「桜?」


 皿の上に花が咲いていたのだ。五枚の花弁を持つ、淡い紅色の花が。

 りんはくすりと笑った。


「ええ、昨日炊いた白餡を練りきりにして作ったの」


 白餡に繋ぎを混ぜ、細工できる硬さにして、それを桜の形にしたということらしい。花芯と五枚重ねた花びらとがそれぞれに着色され、食べるのが惜しいほどに綺麗だ。


「これをこうして」


 りんは割れた饅頭の皮を塞ぐようにしてその花を置いた。なんの変哲もなかった饅頭は、花が添えられてそれは上品な菓子になる。


「うわぁ、綺麗――」


 こんな饅頭はそうそうない。どこででも買えるものではない。ここでしか買えない、富屋だけの饅頭だ。


「これが四文なんて、安すぎるくらい」

「たくさん売れるならいいのよ。これで売れるようになればいいわね」


 今までの客は男客が多かった。それから、お年寄り。けれど、こんな饅頭を扱っていたら、若い娘も飛びつくのではないだろうか。


「姉さん、これは他のお饅頭とは違うもの。これからは花咲はなさき饅頭って呼びましょうか。これから富屋の看板の品になるわ」


 じゅんが言うと、りんは嬉しそうに頬を緩ませた。


「花咲饅頭ね。今は桜の季節だからこうしたけど、季節によって変えてもいいと思うの」

「うんっ」


 今日はいつも以上に出かけるのが楽しみだった。きっと、今日はひとつも残らず売れるとじゅんは確信している。



 その予感通り、花咲饅頭は好評であった。まず、隣の勘助もこれを見て唸った。


「こいつは可愛らしいじゃねぇか。さすが若い娘が作るだけあるな。俺じゃあこうはいかねぇや」

「ありがとう、勘助さん。それから、屋号は富屋に決めたの。亡くなったおとっつぁんの名が『富吉』だから」


 そうじゅんが話すと、たったそれだけのことにも勘助は目を潤ませた。


「おとっつぁんの名か。そいつぁいい屋号だ。うん、お前さんたちは孝行娘だなぁ」


 ぐす、と鼻を啜る。大袈裟だと、姉妹は顔を見合わせて笑った。


「いらっしゃいませ、美味しいお饅頭はいかがですかっ。ほら、可愛らしい花が咲いていますよ。富屋自慢の花咲饅頭でございます。他所では買えないうちだけの品です。売り切れ御免、数に限りがございます」


 じゅんが高らかに述べると道行く人々は興味をそそられたらしく、屋台を覗いてくれた。


「うわぁ、お花が咲いてるっ」


 切り髪の幼い女の子が、目をキラキラと輝かせて饅頭を見ていた。その若い母親も顔を綻ばせる。


「本当ね。可愛いお饅頭。おやつに買って帰りましょうか」

「うんっ」


 ちゃりん、と椀に銭が貯まる。

 次の客はじゅんと同じ年頃の娘だった。


「あら、綺麗ねぇ。おちづちゃんにも見せたいわ」

「お土産にしましょうよ」


 ちゃりん。


「おっ、こりゃあ乙な饅頭だ。これから花見に行くんで丁度よかった。よし、五つくれ」


 ちゃりん、ちゃりん。

 今日も饅頭は三十個だった。だから、すぐになくなってしまった。


 饅頭の味は同じなのに、見栄えが華やぐだけでこうも違うのか。それとも、これもまた飽きられたら売れなくなるのか。

 それでも今は上手くいったと思いたい。


「姉さん、思った以上に早かったわね」


 今日は田楽よりも饅頭の方が先に売れた。田楽は毎日のように買いに来る客もいるので残らないとは思うけれど。

 りんは空になった台をじっと見つめる。


「ええ。明日はもう少し数を増やしてみましょう」

「あたしも何か手伝えるといいんだけど」

「ありがとう。でも、大丈夫よ。おじゅんは売ることを第一に考えてね」


 じゅんなら、手伝うつもりがりんに余計な手間をかけかねない。それがわかるので強くは言えない。

 それにしても、工夫次第で売れ行きがこんなにも違うのだ。商売というのは、知恵ひとつで大きく変わるということを実感した。その知恵を絞るのが難しいけれど、上手くいった時の喜びは確かなものだ。


 作り手としての知恵はどうしたってりんには敵わない。それなら、売り手としての知恵はじゅんが絞るべきなのではないだろうか。

 そう考えることにした。己にできることを探してりんの手助けをしなくては。



 そう考えることにした。己にできることを探してりんの手助けをしなくては。


 その晩も、りんはなかなか寝なかった。


「姉さん、そろそろ――」

「うん、もう少しで終わるから先に休んでいて」


 灯りを前に、りんは手を動かしている。その背中を見て、じゅんはもどかしい気持ちであった。りんみたいに器用であればよかったのに。作るのをりんに任せてばかりなのは申し訳ない。

 もうそろそろじゅんが一人で売りに行き、りんは品物作りに専念してもらわなくてはいけないかもしれない。


 じゅんも慣れてきたし、隣には勘助がいて、源六親分たちもついている。一人でもなんとかやれるのではないだろうか。作って売って、今のままではりんの負担が大きすぎる。

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