第9話
そんなことがあってから、源六親分の手下は姉妹の四文屋に構わなくなった。構わなくなったというのは少し違うかもしれない。
「おはようございます」
じゅんが挨拶すると、軽く手を上げて返してくれるようになった。見回りをしつつ気にかけてくれているらしい。源六親分に、そうするよう言いつかっているのだろう。
場所代というのも、滅茶苦茶な額を吹っかけられるのかと思ったら、かなり良心的なものだった。ひと月百二十文程度だ。
勘助が言うには、土手で客を引く夜鷹も含め、大勢が源六親分に場所代を支払っている。一人一人の額はたいしたことがなくとも、源六親分の元に集まるのは相当なものになるのだそうだ。
それから、姉妹が四文屋を始めて五日ほど経った頃、平太郎が広小路にやってきた。それも、血相を変えて。
「おじゅんっ」
何をそんなに慌てているのかわからないから、じゅんは難しい顔をしてしまった。
「何よ?」
「あら、平太郎さん、お久しぶりね」
りんはほんわかと平太郎に微笑む。平太郎は、黙って立っていれば男ぶりはよいのかもしれない。上背もあり鼻筋も通っている。ただ、小さい頃から知っているじゅんから見れば、昔の情けない時とそれほど違いはない。
あのわざとらしくずらした髷はなんだ、あの着物の派手な裏地はなんだ、といちいち癪に障る。
「おじゅんもおりん姉ちゃんも、何考えてんだよ」
いきなり難癖をつけてくる平太郎こそ何を考えているのかと思う。大体、りんはじゅんの姉であって平太郎のではない。気安く『姉ちゃん』と未だに呼ぶのも気に入らない。
ムッとしたじゅんだったが、平太郎はそれでもまくし立てた。
「商売を始めたって、素人が二人、無茶苦茶だろ。しかも、親分に目をつけられたって噂になってたぞ」
「目をつけられたっていうのは違うわよ。それならここで商売なんてできないでしょ」
「そ、それはそうだけど」
じゅんが言い返したら、平太郎は言葉に詰まった。大体、何かを買いに来てくれたのならまだしも、冷やかしならお断りだ。りんは何故かうふふ、と楽しげに笑っている。
「おじゅん、平太郎さんは心配して来てくれたのよ。きつい物言いはおよしなさいね」
心配と言うけれど、平太郎は人の心配をしている場合だろうか。祖父までもが平太郎の心配をしているくらいだから、当人がまず落ち着くべきだ。
「あら、姉さん。あたしはいつも通り話しているだけよ」
「そうねぇ」
と、りんは苦笑する。平太郎はため息をついていた。
「なんだってまた商売なんて。おじさんの商才のなさは絶対引き継いでるってぇのに」
「うるさいわね」
「こんなところで物売りなんざして、変なのに絡まれるのが落ちじゃねぇか。それともあれか? ここで玉の輿でも狙えそうな相手を見繕ってんのか?」
「うるさい。帰って。商売の邪魔よっ」
じゅんが怒ったら、平太郎は顔をしかめて背を向けた。そのまま何も買わずに帰っていくのだから、本当に何をしに来たのかと言いたい。やはり冷やかしなのか。
「おじゅん、だから平太郎さんは心配してきてくれたのよ?」
りんが、なおもそんなことを言う。しかし、じゅんにしてみれば、平太郎に心配される謂れはない。
「平太郎は人の心配をしている場合じゃあないわ。大家さんもいつになったら落ち着くのかって嘆いていたもの」
じゅんが呆れながら言うと、りんはまだ何かを言おうとして止めた。
しかし、あれと夫婦になれとは無理な話だ。小さい頃はまだ可愛げもあったけれど、大きくなってからは何かと突っかかってくるばかりである。見てくれはともかく、中身が子供なのだ。
「ほら、平太郎はいいから品物を売らなくっちゃ」
じゅんは大きく息を吸い込むと、屋台の前に出て声を張り上げた。
「美味しいお饅頭はいかがですかっ。豆腐田楽もございますよっ。どうぞお立ち寄りくださぁいっ」
大声を出すのはちっとも恥ずかしくない。むしろ、その声に客が呼び寄せられて屋台を覗いていってくれるのが嬉しかった。
「田楽ひと串くんな」
「はい、ありがとうございます」
ちゃりん、と銭の鳴る音が心地よい。
今日も二人は懸命に働いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます