四文屋姉妹

五十鈴りく

第1話

 姉のりんは春生まれ。

 妹のじゅんは夏生まれ。


 生まれ時で決まることばかりではないにしろ、折々でそれを感じる。

 それは、姉妹の父親である富吉とみきち臨終の際もだった。


 富吉はその名とは真逆に富むことのない人生を送り、そうして終えた。

 すべてにおいていい加減で、これといった取り柄のない父であったと、じゅんは亡き父にあんまりなことを思う。


 何せ、商才など欠片も持ち合わせていなかったのに、次々と手を出す。手を出して、しくじる。そのせいで幼い頃、一家で夜逃げしたこともあった。


 ここ、浅草で心機一転とばかりにまったく違う商売を始めるも、何せ常に思いつきで動くものだから上手くいった試しがない。ここ最近は少し大人しくなって、日傭取の仕事をこなしては、前に絵師になると言って無駄遣いした分の月済金つきなしがねを着々と返していた。


 だから、最近は父もまともになったものだと思っていた――いや、なってほしいとじゅんは願っていた。けれど、父はまた良からぬことを考えていた。


「おりん、おじゅん、今度は四文屋しもんやを始めるぞ」


 本当に、いい年をして童子のような目をした父だった。白いものが混じった無精髭とその落ち着きのない目がそぐわず、ちぐはぐである。そのくせ、目が合うと何故か逸らせなくなるのだ。


「おとっつぁん、またそんなこと言って。自分で何か始めるのは、もういいでしょ? それよりも人様に雇われている方がいいじゃない。合ってるわ」


 じゅんはいつも父に手厳しかった。そうしないと、調子に乗りすぎてはめを外すのが目に見えている。


 この時、じゅんは十七で、じゅんを産んですぐに亡くなってしまった母に似て器量よしだと言われていた。とはいえお転婆で、男の子に混ざって外を飛び回ってばかりいたから、日に焼けているのが玉に瑕らしい。

 そんなじゅんに反して――。


「おじゅん、おとっつぁんは私たち姉妹を養うためにあれこれと気を揉んでいるのよ。そういう言い方をしちゃいけないわ」


 おっとりと優しい物言いをする姉のりん。

 春の日差しのごとく柔らかく、りんのそばは心地よい。だからこそ、そんな姉に苦労をかける父にじゅんは手厳しくなるのだ。


 母を知らぬ分、じゅんにとってはこのふたつ違いの姉が母代わりでもあった。

 りんは人目を惹くほどの美人というのではないが、色白で肌がきめ細かく、どこか儚げに見える。りんとじゅんは何かにつけて違うのだ。器用なりんは繕い物などの内職で父を助けている。


 それにしても、父に悩みなどあるのだろうかと思えるほどにはいつも大声で笑っていた。


「がははっ、今度こそ上手くいく。上手くいくに決まってら。そうしたらお前らには長持に収まりきらねぇほどの着物を買ってやるからな」


 長持どころか押し入れすらない長屋暮らしである。言うだけならただで済む。


「はいはい」


 じゅんはため息交じりに受け流した。それは変わらない日常のはずだった。



 それなのに、父は前祝いだと称して酒を飲み、道端で転がり、寒い中で凍えて死んだ。春だというのに、その亡骸に霜が下りるほどの寒い朝であった。


 道端でむしろをかけられ、こちんこちんに硬くなった父の手を摩り、じゅんは父の生き様は一体何だったのかという気になった。これといって何かを成すこともなく、勝手に逝ってしまった。


「本当に、おとっつぁんは富吉なんて名前が皮肉よね。富むこともない貧乏のままだったのに」


 経帷子を着て逆さ屏風の前に寝かされた父に、じゅんはそう語りかけた。いつもだったら、へっ、今に見てな、と子供のような笑みを見せる父が何も言い返してこないから、じゅんはそれだけ言うと口をへの字に曲げた。

 それ以上、何も言えなかった。口を開けば、言葉の前に涙が零れそうになる。


 いつもだったら、うっかり大木戸が閉まる時を過ぎて入れてもらえなかったと、照れ笑いしながらの朝帰りだ。その都度、じゅんは呆れたけれど、それが富吉らしいとも思っていた。どんなに遅くなってもちゃんと帰ってくると思っていたからこそだ。

 それが、こんなことになるのなら、飲みに行くのを止めたのに。


 じゅんの強張った肩に、りんがそっと手を添える。


「おじゅんには私がついているから、心配しないで。今までありがとう、おとっつぁん」


 あたたかいそよ風のような言葉だった。りんは、己の悲しさは押し込めて、じゅんのために強くあろうとする。母の分も、そして父の分もと、じゅんを守ろうとしてくれる。りんの心を感じるからこそ、じゅんは余計に涙が溢れて止まらない。


 子供のように泣きじゃくるじゅんを、りんは優しく抱き留めてくれた。

 父は今、二人きりになった姉妹をどんな思いで見守っているのだろう。もう、それを知ることはできないからこそ、知りたかった。

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