ツイン・スカーレッド

秋竹芥子

序章/出会い_Rose Mary

1−1

 結局さ、みんな自分を誤解しているんだよ。

 わたしもそう。高校二年にもなって、夜の校舎に魅力を感じるなんて全くの嘘だ。

 床の冷たさに同調するように、震えた白い息を吐いた。


「緋茉莉ちゃんはさ、よく褒められるでしょ?」


 タイル張りの廊下に立つ友達が言う。

 消灯された廊下には人工的な明かりはない。夜空に浮かぶ月明かりだけが彼女を照らした。

 わたしと同じ赤髪の女の子。肩に乗っかる髪が、ふんわりと浮いていた。


「まず顔が綺麗。メイクとかしてないでしょ。モデルまではいかないけど、だからこそ羨ましがられるんだよ」


 そうかな。自分の顔が綺麗だとは思ったことがない。いつも不愛想な表情が張り付いている顔を鏡が映す度、吐き気しか感じない。


「あと雰囲気だね。ミステリアスっていうの? どこか掴みどころがないのが良い。図書館にいる令嬢、みたいな?」


 雰囲気は分からないけど、図書館は嫌いだ。

 静かな場所に多くの人が集まるから、集中できないし休めない。


「緋茉莉ちゃんが気付いてないだけだよ。知ってる? B組の佐藤くん、いつも緋茉莉ちゃんのことを見てるんだよ。あとそれから、女子の渡辺さんも」


 知ってるよ。佐藤くん、付き合わないかって、強引に言ってきたの。

 佐藤くんと付き合ってる渡辺さんが、わたしに嫌がらせをしてくるのも、知ってる。


「良いよね緋茉莉ちゃんはさ。自然と人を寄せ付けるのかな。いい子だもんね、緋茉莉ちゃん」


 わたしは、微かに首を振った。

 そんなのじゃないよ。赤信号なのに普通に歩いちゃうし、人が困っていても素通りしちゃうし。タバコも吸ったこともあるし。タバコは、すぐやめたけど。


「わたしもね、緋茉莉ちゃんが大好きだよ」


 知ってるよ、そんなこと。

 だったらさ……



 なんでわたし、死にそうになってるんだろ?



 夜風が吹きすさぶ。割れた窓ガラスから、冬の冷たさを運んでくる。

 凍えるような冷たさが背中に伝わる。同時に、生温かい感触が、肌を伝う。

 赤。濃い赤色が、一面に広がる。どくん、どくん、と脈打つごとに、それは溢れる。

 自分のお腹に、目を向ける。

 透明なガラス片が、脇腹に深く突き刺さっている。

 その傷から溢れ出す、大量の血。

 紺色のブレザーが、黒く染まっていく。

 声も出ない。いや、声を出しても誰も来てくれないだろう。誰もいないのを見計らって、来たんだから。

 この学校にいるのは、わたしと彼女だけ。


「すごくすごく好きだから、見て欲しいの。だって緋茉莉ちゃん、わたしを見てくれなかったでしょ」


 変わらない声色で、彼女は言う。

 確かにわたしは、彼女を見ていなかった。

 いつも実験室にいる彼女と話すことはあった。でもそれは表面的なもので、決して親密にはならない会話の応酬だったと思う。

 でもさ、分からないよ。

 話していたのが幽霊だなんて、分かるわけがない。


「安心して。緋茉莉ちゃんを一人にはしないよ」


 赤髪の女の子が、ゆっくりと近づく。たん、と足音が廊下に響き渡る。幽霊なのに足はあるんだ、と呑気に思ってしまった。

 わたしの足元まで近づいて、妖しく微笑む。


「緋茉莉ちゃんはね、『わたし達』と同じになるの。ずっと、ずぅと一緒にいるの。これなら、見てくれるでしょ?」


 彼女は膝を折って、わたしの上へと乗った。お腹辺りに跨って、上半身を屈ませる。顔が近くなって、赤い髪が上から垂れてくる。

 でも、何も感じない。上に乗られたら、刺さった傷が更に痛んでもおかしくないのに、苦痛が上乗せされることはない。左手をわたしのおっぱいに置いているのも、右手でわたしの頬に手をかけているけど。不快感も嫌悪も、何もない。


「良い子だから、ね。────《いいだろ、小坂?》」


 口調が変わる。女の子から、男へ。無駄に年を重ねただけの、上からの声に。


「《心配しなくていいんだ。あとは、先生に任せればいいんだから。お前は、大人しくしていればいいんだよ》」


 どこかで聞いた声だと思ったら、思い出した。喚くだけの体育教師。いつもわたしのことを見ていたっけ。でも確か、先生は死んでない筈だけど。それでも、幽霊になるんだ。


「────ね? 緋茉莉ちゃん、一緒になろ」


 女の子の声に戻って、囁かれる声。月光にあてられた赤髪が、微かに揺れる。

 わたしは彼女の赤髪を見つめた。わたしと同じだ、と内心思って、口を開く。


「──うん、いいよ」


 生きる意味なんてない。生きながら死んでいる今を肯定する理由はない。

 渦巻くのは後悔ばかりで、最後には泣いてしまって。

 楽しかった思い出なんて、一つもない。

 覚えているのは、鼻腔を擽る赤い香りだけ。

 記憶に焼きつくのは、赤い花。

 赤、赤、赤。────赤い、罪の味。

 生きていては償えない罰。それを裁いてくれるなら、


「一緒になろう。……死なせてくれる?」


 掠れた声で、わたしは言った。

 それが甘美に響いたのだろう。

 女の子は、その顔に似合わない三日月のような笑みを浮かべて、首に手をかけた。

 ぐっ、と首にかけた手に力を加えて……



「悪いけど、それは勘弁願いたいなあ」



 ふと、懐かしい声が耳に入った。

 瞬間、視界に光が射し込んだ。

 瞼を閉じる。だがすぐに開けた。強烈というほどでもない、微弱に近い光源……四角いスマートフォン……はわたしの横に落ちていた。

 わたしの上に乗っていた女の子は消えていた。数メートル離れた位置まで退いている。

 動物のように、背を低くして警戒する。わたしの、後ろにいる人物に。


「生者が陰府に落ちるのを見るのは偲びない。知り合いなら尚更だ」


 落ち着いた青年の声。多分、同い年か一個上くらいか。

 かつかつ、とブーツの厚底で叩く音が廊下を満たしていく。

 足音が耳元で止まって、黒い影がスマートフォンを手に取った。そこでようやく、姿が分かった。

 耳を隠すくらいまで伸びた白髪。日本人離れした顔に丸眼鏡。本当に、どこかの教会にいる司祭か神父のような雰囲気を纏わせた青年。

 ……知ってる。わたしの中学の頃の、一年上の先輩だ。


「宇野──先輩?」


 夕焼けの屋上で出会った、生徒会長を思い出す。

 その面影と数分違わない姿で、先輩……宇野銀次先輩は立っていた。

 なんで、どうしてこんなところに?


「久しぶりだね緋茉莉ちゃん。ちょっと待ってて。すぐ終わらせるから」


 柔和な笑みを浮かべる。優男という言葉が相応しい噂通りの、わたしの知っている先輩の姿だ。


「聖蹟教会……悍ましい執行者!」


 女の子が、声を荒げる。先程まで聞いていた女の子とも体育教師のものでもない。誰かも分からない複数の『雑音』ともいえるものだった。


「その女は、僕らのものだ! 邪魔をするな、信徒!」


 吠える亡霊に、先輩は浅い溜息を吐いた。


「雑念が生者に縋るとは、醜さを通り越して痛々しい」

「なにっ⁉︎」

「囀るなよ。彼岸のものに対話なんて望んでない」


 低く冷たい声を、女の子に向ける。


「聖蹟教会の使命は、この世に敵する悪鬼死霊どもを、塵に返すこと────宇野銀次。我が責を持って、お前を灰に帰そう」


 空気が、変貌する。

 バリン、と窓が割れる。割れたガラスが鋭利な破片となって、宙を漂う。

 ああ、そういえば、アレにわたしは刺されたんだっけ。


「死、ね!」


 女の子……いや、幽霊たちの号令と共に、破片が矢のように放たれる。 三十は超える刃が、飛翔する。

 危ない。わたしは身体を起こそうとして……


「────我が故郷、レーゲンスブルクへと告げる」


 呟かれた、瞬間。

 わたし達を取り囲むように、青白い線が走り出す。淡い光が、円陣を作る。何かの言葉だろうか、線を添うように文字が浮かび上がる。

 破片が迫りくる。刹那、

 円陣が、光を帯びた。

 先輩の声と呼応するように、甲高い音を奏でた。

 青い盾。花弁を思わす青い盾が、展開された。

 破片が、粉々に砕け散る。先端から塵へと還り、透明な砂となって消えていく。

 幽霊は、苦虫を噛み潰したような表情で、先輩を睨みつけ、


「コ、ノォ!」

「芸がない。三流が、彼女に手を出すな」


 冷たい声色で先輩は言う。向かってくる破片に目を向けて、


「ここにおられ、かつておられた人よ」


 淡い光が、先輩の頭上から発生する。氷が罅割れるような音とともに、白い光は姿を現す。

 白い剣。凹凸のある奇妙なソレは、剣というより鍵を思わせた。

穢れを知らぬ純白の輝きが、先輩を守護するように頭上へと佇む。

 その切先は前方へ。光を恐れる、暗き幽霊へと。


『ソノ光……! アァ憎イ、憎イ、憎イイイイィィ! ソレヲ、向ケルナアアアアァァ‼︎』


 拒絶、或いは本能からくる恐れ。絶叫する幽霊たちは、散らばった破片を再び操り出す。

 破片が集まる。意思を持っているかのように、不均等に空中に留まる。

 震える透明な切先。硝子に映るのは、射殺す聖職者。

 腕が振り下ろされる。無数ともいえる破片が一斉に放たれる。

 白剣が煌めく。激しく燃え滾る白炎が、動いた。

 ガラスが舞う。輝きが反射して、暗く満たされた空間が乱れていく。

 そして。


「ガッ──ぁあ────」


 破片が落下する。砕ける音が虚しく響き渡る。牙を向いていた敵意の凶器は、それを披露することなく、粉々と散っていった。

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