開発者に謝らせない
開発者の中には、『不具合は自分が生み出したもの』と深く理解している人がいる。その理解は正しい。不具合とは、製品を作る過程で、製品を作れる知識・技術を持つ人によって生み出される。不具合の創造主は開発者だ。開発者が作り出すのは製品だけではない。知識も技術もない者には、不具合すら生み出すことができない。不具合は、開発者が作り出しているのである。
『不具合は自分が生み出したもの』と頭の片隅で理解している開発者は、多くいると思う。しかし、理解を行動で示せる人に出会ったことは、数えるほどしかない。残念ながら、不具合を抱えたまま製品が世に出たのは、品質管理が不具合を見つけられなかったせいだ、となりやすいのである。自責の念に押しつぶされるより、他責に走ったほうが楽だろう。製品づくりという重責を果たしたあとなのだ。不具合への責任追及までされたらたまったものではない。販売元の陰に隠れ、一緒になって品質管理を問い詰めたら、いくぶんか心が軽くなるだろう。
品質管理の立場からすれば、理不尽きわまりない。自分の時間、家族や友人と過ごす時間、肉体と精神のあらゆるものをすり減らして作業に臨んでいるのだ。だが、抗ったところで、待っているのは自分だけが勝ったと思い込む、虚しい勝利である。明るい未来への道は開かれない。「不具合は誰が作り出したものか、考えてみてほしい」とは、間違っても口にしてはいけない。言葉にすれば、その思いは力を持つ。繰り返していると、やがて自らに非を見いだせず、年月を重ねても未成熟なままの人になってしまうだろう。品質管理のプロフェッショナルを名乗っておきながら、不具合を見つけられなかったことは、まぎれもない事実なのだ。責任の一端は、確実に品質管理にある。
けれども、一方的に責を問われると、どうしても気落ちしてしまう。そんなとき、まれに聖人があらわれるのだ。たとえ品質管理チームが不具合を見つけられなくても、聖人はこう言う。『このような不具合があるのは、わたしたち開発者の責任だ。わたしたちが悪かった』と。品質管理にはいっさいの責任を求めず、自分に非を見いだすのである。あるとき、こんな開発者に出会ったことがある。『わたしたちにできるのは、製品を開発することだけです。申し訳ないが、不具合を見つけることに関しては素人なのです。だからこそ、品質管理のみなさんに力を貸してほしい』と。
品質管理を仕事にするのなら、心にとどめてほしいことがある。不具合を世に出してしまった責任を品質管理のせいにされても、事実として受け入れてほしい。ただし、受け入れるのは責任の半分でいい。そして、前述のような聖人の存在を信じ、責任とは異なる感情を湧きあがらせてほしい。『自分と自分のチームが成長し、次こそは必ず十分な製品クオリティに届かせてみせる。開発者に謝らせるシーンなど、けっして生み出さない』と、ほかでもないあなた自身を、奮い立たせるのだ。
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