第42話 闇魔術の師匠

「いい表現だな。腹の中、か――まあ元の洞窟はちゃんとあるんだぞ。その内側に《闇》を擬態させているだけだ」


 師匠が視線を誘導するように指を指した。

 人間ほどの背丈の岩だ。

 突如、ふわりと溶けるような闇に変わり、跡形もなくなった。

 砕いたのではない。最初から嘘のように消えたのだ。


「いつから気づいていた?」

「俺の《濡羽響》は探索用の闇魔術なので、同じ使い手で師匠みたいな格上の相手にはかわされるだろうなって思うんですけど、《波紋》はスキルなんです」


 俺は師匠の対面に移動しながら話す。

 《波紋》も探索用だが、これは《強感力》から派生したスキルの力。

 最初は薬草の色を見分ける訓練だった。

 その範囲を半年でどんどん広げていくうちに、身についた魔力探知のスキルなのだ。

 俺自身がよくわからない力なのに、まったく知らない師匠が欺けるとは思えない。


「《波紋》を使っている以上、いくら師匠でもずっと隠れ続けるのは無理だろうなって。もしそんなことができるとしたら、ずっと隠れていられるとしたら――ここに来たときから周囲に無数にある『同じ』魔力のどれかに擬態しているくらいしか思いつかなくて」


 それに、薬草を数多く感知してきたからこそわかる。

 魔力の質は均一ではないのだ。

 なのに、この洞窟に満ちた気配の大半が同じ気配というのはどう考えても無理がある。


「なるほどな……次からは魔力の質も変えるか」

「できるんですか?」

「やってみないとわからないが、《闇魔術》は繊細だ。短時間ならできるだろう」

「さすが師匠……」

「お世辞はいい。勉強になったぞ」


 師匠がかぶりを振った。

 そして、声のトーンを落として目を細める。


「ナギ、そうなると、この半年間、私がお前の真横ですべてを見ていたこともわかるな? アルメリーに隠れてこそこそ試していたことも含めて――だ」

「もちろんです」


 俺は深く頷いた。


「いいだろう。得体の知れないその腕の生物と――お前の持つ、『もう一つの魔力』を使ってみせてくれ」


 その瞬間、周囲の岩がすべて消えた。

 濃密な魔力が師匠の体に吸い込まれていく。

 ぞっとするほどの魔力量と、俺の視界にだけ映る金色のオーラの嵐。


 わかっていたけれど、この師匠はとんでもない化け物だ。

 なぜこの人の、ミュリカの名が、『世界告知』の10位以内に入っていないのか不思議で仕方ない。

 ガダンさんを超えているだろうに。

 それともガダンさんも本気を出すとこれほどの魔力をまとえるのだろうか。


「さあ、最後のテストだ。来い、ナギ。私を納得させてみろ」

「《強感力》――《白い箱(ホワイトキューブ)》解放」


 ブレスレットとなっていた白雪が、ゴマ粒ような黒い瞳をわずかに大きくした。

 その瞬間、形を変えた白雪が俺の右腕から胸のあたりまでを包み込むように薄く広がり、奇妙な紋様をその表面に浮き上がらせた。

 俺の目に映る、自分の右腕から立ち上る『白いオーラ』が、異常事態を示している。

 

 白いオーラ――これは創造神セレリールが纏っていたオーラの色だ。

 彼女からもらった白雪と無関係とは思えない。

 そして、左腕から漏れ出すのは金色のオーラ。

 右手に白。

 左手に金。

 俺は、二種類のオーラを扱えるのだ。

 そして――


 《火魔法・焔殺し》


 右手に緑色の魔術刻印が浮かび上がった。

 同時に何も無い空間に炎が立ち昇る。

 アルメリーにはとても適わないけれど、炎の塊が轟音を立てて発射された。


「初手に闇を使わない闇魔術師とはな」


 師匠はうそぶくように言い、空中からマントかコートのような布を取り出した。

 もちろんそれは《闇魔術》の産物で――《黒衣》と言う魔術殺しの、師匠の得意技だ。

 俺の火にあえてぶつけるように《黒衣》を振るうと、火炎が端から形を失って消えていく。


「単発では私を突破するのは難しいぞ」


 楽しそうな声が響く。


 《狂感力》《視覚欠損》


 相手の視界を数秒奪う技だ。

 俺にとっても負担が大きい技だが、白雪が痛覚を緩衝してくれるおかげで一瞬頭痛が走る程度。

 普通は驚くところなのに――

 師匠はあえて前に出た。


 左手には《黒衣》を。

 そして右手には俺と同じ《濡れ羽斬り》。

 すばやく俺も《濡れ羽斬り》を産み出し、師匠と刃をぶつけ合う。

 硬質な音を響かせながら、ギリギリと互いにつばぜり合いを行う。

 視界を失っているはずなのに、師匠の動きに何も戸惑いがない。

 一体、どうやって。

 刃をあてがうと分かる。経験値の差を嫌というほど感じる。


「《向日葵》」


 至近距離で師匠がつぶやくと、みるみるうちに背後で大きな向日葵が咲いた。もちろん真っ黒だ。

 靄のような闇が一気にその周囲の花弁に収斂する。

 黄金色のオーラが輝いている。

 ぎょっとした顔を見せてしまった俺を師匠は刀の向こうで笑う。

 もう《視覚欠損》の効果は切れたか。


「重ねるぞ。《暗夜航路》」


 視界が真っ暗になった。

 わずかに見える点で俺の《視覚欠損》とは違うが、本当に灯りのない真夜中のようだ。

 そちらに気が取られた瞬間、つばぜり合いの刀が強くなった。


「くっ……」

「《黒曜の対》」


 鈍く輝く刃が空中に現れ、俺の背後に向かって消えていく。

 まったく、どれもこれもいやらしい攻撃だ。

 俺を足止めし、視界を奪い、背後を警戒させながら、高威力の放出魔術をぶつけるつもりだ。

 闇夜の中でも《向日葵》の周りに金色のオーラが膨らむのが見える。

 膨張した魔力が花の中央に一点集中した。


 《共感力》《白雪》


 師匠の刀を何とか押し返して一歩距離を取った。もちろん《黒曜の対》への警戒は怠らない。

 右半身を覆っていた白雪が瞬時に俺を繭のようなもので覆う。

 しんと静けさが鳴った瞬間、師匠の《向日葵》が闇を噴いた。

 アルメリーの《焔鷹》をしのぐ濃い魔力爆発と衝撃波。

 それも至近距離だ。

 闇魔術が弱いというのが信じられないほどの威力。


「ナギの切り札はえげつないな」


 いつの間にか師匠は十数メートルの距離を取っていた。

 沼のように空間を覆い尽くす闇を、ずばっと切り裂いた。

 俺の右手には白銀の刀が握られている。

 白雪の形を刀に変えたのだ。白く明滅する刃から持ち手である俺に魔力が流れ込んでくる。


「私の魔力を吸ったか……戻したか……」


 考える時間は与えない。

 右手に《白雪刀》。左手に《濡れ羽斬り》を握り、師匠に肉迫する。

 上段から《濡れ羽斬り》の振り下ろし――

 だが、これはフェイクだ。わざと受け止めさせ、すかさず右手の《白雪刀》を突きの形で前に出す。

 しかし、師匠の手に魔術をいなす《黒衣》が握られている。

 《白雪刀》と《黒衣》の接触。

 バチッと光が輝き、白い刃が《黒衣》を貫通した。

 俺の勝ちだ。

 だが、踏み込んだ地面がぐにゃりと歪む――

 真下に映る金色の魔力の膨張。

 師匠がいつの間にか《黒衣》の裏から消えている。


 ――地雷だ。こんな術まであるのか。


「うっ――」


 足下で魔力が爆発し、俺は空中に吹き飛ばされた。

 足は繋がっているけれど感覚がない。やばい。

 目を閉じて命じる。


 《共感力》――白雪、回復だ。


 シュルシュルと布が解けるような音を立て、《白雪刀》が靄のように代わり、足に巻きついていく。

 金色の薬草の力を取り込んだ白雪の回復術。

 視線を下に向けるとすでに師匠がいない。

 ここで消えられると厄介だ。


 《闇魔術・蜘糸》


 投網のように広範囲を俺の魔術が広がった。

 師匠の姿は見えないものの、とある場所に膨らみがあった。

 すると、陰から滲み出てくるように師匠の体が見えてくる。


 《蜘糸》には《拘束》と《速度低下》の効果を付与している。

 俺はくるりと着地し、再び白雪を鎧形態に戻して右半身に装着する。

 師匠は正面から戦っても十分強いが、逃がすととても面倒な人だ。

 俺の力はもう確認できただろう。

 俺だって最初から負けるつもりはない。

 倒せるならこれで終わらせる。


 《魔術融合――闇、火》


 威力の火魔術と繊細さの闇魔術を融合させる。

 白雪の中で火魔術を作りだし、俺の闇魔術でそれを取り込む。

 これで黒い炎のできあがりだ。

 《濡れ羽斬り》の刀身が一気に熱を帯びた。


 この魔術は火と闇の良いところを同時に持っている。

 それを――


 《闇炎術》《黒蛇》

 

 いつか戦った山賊のメンバーが俺に使った術だ。

 これも白雪が記録した。

 師匠を捕まえるには最適の魔術だ。

 《蜘糸》で捕まえた師匠の体の外から《黒蛇》が巻きついた。

 さらに火炎のダメージもセットだ。


「……」


 俺はじっと目を凝らす。

 普通なら悶絶しているだろうに、師匠はその《黒蛇》を力任せに引きちぎろうと体を捻っている。

 だが、《黒蛇》の強度は並じゃない。

 いかに師匠でも短時間では無理だ。

 それに、この隙を見逃してのんびり眺めて待つようなヘマはしない。

 腰に《濡れ羽斬り》を構えた。


「《薄――」


 必殺の一刀を放とうと神経を研ぎ済ませた時だ。

 俺は素早く視線を上げた。

 師匠の頭上に巨大な魔術刻印が現れていた。

 

 直径三メートル級。


 この魔術刻印は緑色の線で描かれていて、俺の《強感力》でしか見えないものだ。

 魔術の発動前に生じる現象。

 一瞥する。

 読めないはずの文字が、俺のわかる言葉に置き換えられて頭の中に流れ込む。


 俺は構えたまま、《魔術刻印》を念の為もう一度端から読み取っていく。

 間違いない。

 奇怪な文字だが、俺にはわかる。


 ――カウンター魔術だ。


 魔術は刻印の集合で完成する。

 円環の形をした魔術刻印に力を流すことで、魔力の属性、発動条件、指向性や形、特殊能力などが決定され力が発動する。

 魔術刻印はその円環が絡み合うほど強力になり、三重円環となるとかなり高度な魔術らしい。


 師匠がいつか見せてくれた魔術も三重だった。

 見えていてる俺でも思うとおりの効果の魔術はなかなか生み出せないが、魔術刻印が見えない魔術師は、それを肌感覚で作り上げるらしいので頭が下がる。


「……死ぬ気ですか?」


 思わず声が漏れる。

 目の前の魔術刻印が尋常じゃない。

 四つの円環が絡み合っている――しかもバカみたいに巨大だ。

 俺やアルメリーの魔術とは比較にならない。


 刻印の大きさは込めた魔力量に比例するという。

 ただ、同じ魔力量でも属性によって威力に違いが生じる。

 闇魔術は弱くなりやすく、火魔術は強くなりやすい。

 これは、魔術刻印と個々の属性の間に、向き不向きがあるからだと言われている。

 簡単に言えば、火魔術は威力が強い代わりに細かい制御が苦手。

 闇魔術は威力が弱い代わりに細かい制御ができると言うことだ。

 

 ただ、見えない円環の制御は特に難解らしい。


 師匠の魔術刻印がじりじりと大きくなっていく。まだ魔力を注ぎ続けているらしい。

 師匠は弱い闇魔術を【累乗】――なんども同じ闇を掛け合わせる――の特性で強化することに成功したと言っていた。


 まさかそれを初めて見る瞬間が今とは。

 爆発の威力を何度も何度も掛け合わせれば、そこにいる師匠だってタダじゃすまない。

 負けず嫌いにも程がある。


「《狂感力》――《ペテン》」


 俺は《濡れ羽斬り》を解いた。

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