第22話 私の望み

「――ライサ」

 呼びかけと同時に、肩に分厚い手のひらが乗った。突然のことに驚き、ライサは悲鳴を上げて肩を震わせる。

「ご、ごめんな。驚かせて。何度も呼んだんだけど」

 顔を上げると、ザックが申し訳なさそうに自分を見下ろしていた。

 ライサは彼の顔と部屋を見回し、自分が夕飯の後片付けもせずにボンヤリと椅子に座っていたことに気づく。


「私こそ、ごめんなさい! 後片付け……」

「いいよ。おれがやっといた」

 ザックは笑いながら言った後、困ったように眉を寄せた。ライサの隣に椅子を引き寄せて腰かける。

「ライサ、シャトゥカナルで何かあっただろ?」

 ライサの心臓が大きく跳ねる。安心させるような穏やかな口調で、ザックが話を続けた。


「無事に家庭教師の人と話はできたんだろ? ドミトリーのじいちゃんが『おかげでなんとかなりそうだ』って安心してた。けど、シャトゥカナルから戻ってきた後から、ライサずっとぼんやりしてるぞ」

 そんなに、あからさまだったのか。ライサは気まずくて視線を逸らす。


 無理に話さなくても良いと、ザックは柔らかく微笑んだ。躊躇いながらも、ライサはもう一度彼と視線を合わせる。

 言葉とは裏腹に、暖炉の灯のような赤い瞳は、自分の言葉を待っているような気がして。ライサは唇を開くと、慎重に言葉を選んでいく。


「あのね、私、タチアナ様の事情を聞いたの。タチアナ様の結婚、やっぱり訳アリだった。私と――似た境遇だったわ」

 ローズマリーに喧伝しないようにと釘を刺されたし、そもそも広く言いふらすことでもない。

 ライサは、タチアナの実家での待遇があまり良くなかったことと、今回の婚姻が政略結婚であることなどを、なるべくぼかして告げた。


「そっか。そういう訳があったかぁ」

 ザックは納得したように相槌を打った。話したことで、少し心が楽になったような気がする。ライサは膝の上で握りしめていた拳を、そっと解いた。寒風が家の窓をガタガタと揺らす音がする。

 ふと、ザックが椅子の背もたれから身を乗り出して、顔を近づけてきた。


「それで、ライサはどうしたいんだ?」

 え、と小さく声を発して、ライサは彼の顔を見つめた。

「これだけずっと悩んでるんだ。何かすっきりしない事とか、迷ってることとかあるんだろ? おれに話してくれたら嬉しいな! ニーナのばあちゃんも、悩んだらよくロジオンのじいちゃんに話をしてたんだ。正直、良い意見が返ってくることなんて滅多になかったんだけど、話をすることで、思いつくこともあるんだってさ!」


 ザックはニコニコと、無邪気に笑っている。

 物語をせがむ子どものようで、ライサは状況にも関わらず、つい口元を緩めた。

「私は――」


 私は一体、何が引っかかっているんだろう。ライサは改めて考える。

 タチアナに大嫌いと言われたことだろうか。いや、確かにショックだったけれど違う。今、心に影を落としているのは、そのことではなくて。

 思考を整理するように、ライサは言葉を紡ぐ。


「最初は私、タチアナ様が私にだけ口調や態度が冷たいことに怒ってしまって」

「あー、かなりあからさまだったよなぁ。おれもいい気はしなかった」

 ザックが気づいていたことに驚きながらも、ライサは言葉を続ける。


「でも、タチアナ様の事情を聞いて、あの人が私を嫌う理由が分かった。同時に、タチアナ様が誰にも愛されてないなんて、そんな訳ないって思ったの。それで、ローズマリーさんの態度にも、なんだか納得できなくて」

 家族には愛してもらえなかったかもしれないけれど、あれだけ魅力のある人なのだ。

 間違いない、あの人は人だ。


「だからローズマリーさんには、ちゃんとタチアナ様に気持ちを伝えて欲しいし、タチアナ様には、自分を大切に思っている人がいることを知ってほしい。それで……そうね」

 彼女は自分の同情や手助けなど必要としていない、むしろ嫌がるのではないかという気持ちもある。

 けれどライサは、同じような寂しさや不安を抱えていた者としてこう思うのだ。


「タチアナ様に、幸せになってほしい」

 彼女の相手がどんな人かもムロツィフスキー家がどんな家かも分からない。無責任に願うことは残酷なのかもしれない。

 けれど。


「身勝手で我儘な人に見えるだけど、悪い人じゃないと思うの。だって、あの方は一度だって、スノダールの皆を馬鹿にしたり蔑んだりしなかったもの。だから私は、あの方の幸せを願いたい。それと、もしできるなら……タチアナ様の幸せを願っている人の背中も、押してあげたいの」

 ライサの手に、大きな手がそっと包み込むようにして乗った。

 見上げると、ザックが満足げな笑みを浮かべている。


「良かった! ライサのしたいこと、ちゃんと見つかったな。思ったより簡単じゃん! だったら、おれたちのするべきことは、一つだけだろ」

「え……?」

 疑問の声を上げたライサに、ザックはなんだか得意気に言う。

「おれたちが依頼されたのは、ご令嬢の嫁入り道具を作る事だろ? だったら――」

 彼の提案に、ライサはブルートパーズ色の瞳を大きく見開いた。

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