第36話 反魂香
036 反魂香
こうして、我々一行は、アドリア海に広がるクロアチアまでやってきた。
スミリャンという村が目的地である。
彼の兄が埋葬されている墓がそこにある。
「本当に兄にあえるのでしょうか?」
「神に祈りなさい」
「おお、神よ」彼の宗教は、セルビア正教である。
恐らく私の信奉している神ではないが、彼の宗教には、精霊だの父だのよくわからない表現をするため、その中の一つの形態として月の女神があるに違いない。
私はそのように確信している。
何よりも信じる者は救われる。
イワシの頭も信心からとよく言われるのだ。
深夜、墓場に人気はない。
仮に、生き返ったら、棺桶ごと埋まっていることになるため、棺桶を掘り出しておく必要がある。しかし、なんとも罰当たりな風景に見える。ランプを傍に置いて、スコップで掘る。
ザクザクと掘り進む。
彼ら親衛隊(青年奉仕団)は、訓練で自らの蛸壺を掘る訓練を十分に積んでいる。
私はそのような罰当たりな行為に参加しない。
背信的行為、冒涜的行為。
死者の墓を暴くなんて神をも恐れぬ行為だ。
よくこんな行為を家族が許しているものだ。
家族のニコラがそれを複雑な表情で見ている。
だが、これで生き返らない場合はどうなるのだろう。
私の立場が無くなってしまう。この後に及んで、自分の立場を守ろうとしている奴も大概である。
今まで実験したことが無いため、これが初である。
本当は、乃木長男で試すつもりだったのだが、隣の山口に激しく詰られたので、辞めたのである。失敗したとしたらすべて山口が悪いのだ。そう、山口の所為にしよう。
だが、神の使徒たる私が、動揺を見せてはならない。
何事もないように、掘り進むのを眺めている。
蚊取り線香が良い働きをして、やぶ蚊を近寄せないのだけは嬉しい。
そういえば、まだ蚊取り線香を生産ラインにのせていなかった。
これも製品化して、日本の富を収奪しなければならない。
そんなくだらない考えをしている間も、彼らは掘り進み、ついに棺桶を発見する。
「本当に、行なうのですね」私が、ニコラに問う。
勝手に始めたのはお前のはず。
「兄に会えるのですよね」これだけのことをしておいて、あえなかった場合どうなるのだろう。
「あなたの信心の力次第です」似非宗教家はすぐに人の所為にする。
本当に力はあるのだが、あなたが本当に信じていないから発揮できないのである。
そういう、理論のすり替えは、似非宗教家の間では普通に行われている。
「信じています」
「アーメン」無暗に棺桶を開けて呪われたくなくて知っている呪文を手繰り寄せる。
棺桶の蓋が開けられる。
その中には、ボロボロになった布切れ、小さい頭蓋骨が空虚に宙を睨んでいた。
「子供の骨のようです」
だから、数十年前に兄が死んだのだ。兄は子供だったに違いない。
「では、始めます」
適当に呪文のようなものを諳んじるようにモゴモゴと口のなかで呟く。
「汝デンの御霊よ、甦れ!『反魂香』急急如律令!」
そして、薬包紙の中身を死骸にかける。
これでわたしは、ネクロマンサー確定だ!
だが、それは決して生き返ることは無かった。
不味いな!時間だけが過ぎ去っていく。
張り詰めた空気が、私を絡めとる。
外したな!山口の視線がそう語っている。
そもそも、死体を生き返らせることなど不可能なのだ。
額に大粒の汗が浮かんでくる。
実力者なら、ニコラの祈りが足りないとか、喜捨が足りないとか最もらしいことを言うところである。白々とした空気が流れる。
だが、その時、空から光の玉が降りてきたのである。
「これは!?」
「兄さん!」
本当に?ただの燐が燃えているだけじゃないの?
光の玉は、ニコラの前で漂っている。
このようなオカルト現象が起こるとは!
「おい、玄兎!あれは」
「あれは、ニコラのお兄さんの魂です」内心の動揺を見事に押し隠し、説明する。
「さあ、お兄さんが来てくださいましたよ」
「兄さん!」火の玉を掻き抱かんばかりにニコラは、うずくまり涙を流した。
大好きだった兄の魂が今、目の前に現れたのである。
「僕は、兄さんに負けないように勉強頑張ったよ!」
彼は、自分よりできの良かった兄に認められるためたくさん勉強し努力を重ねてきたのである。
だが、その努力も凡人には理解しがたいものとして、ほとんど評価されなかったのである。
そして、今は、金もなく職もなく漂泊しているのである。
魂の光がひときわ耀いた。
そして、玉は、急速に上昇し、東方に向かって飛び去った。
「どうですか、お兄さんとは話せましたか?」
「ああああ、神よ、神よ」ニコラは泣き崩れた。
結局、生き返ることは無かったな。
少し残念な気持ちはあったが、それよりも、この場をごまかせるだけのことは起きたので、とりあえずセーフだ。
さ、さすが神の使徒たる、私。
その力は、世界の物理法則すら捻じ曲げるのだ!はははは!
しかし、魂はいずこかに飛び去ったのか、確か登場シーンでは、空中から降ってきたのだが、そこには、帰らずどっかにいっちゃった。
まあ。問題ない。これも想定内だ。
私は、『機関』を出し抜いたのだ。ざまあみろ。
「すまんが、棺桶を埋めておいてくれ」
「は!」
こうして、見事欺かれたニコラ・テスラは、日本行を承諾したのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます