第9話 美月の家で①

 そして待ちに待った美月の家に御呼ばれしている日、日曜日になった。


 前日は戸惑いと混乱と興奮でまともに眠れていない。


 美月とは朝十時に港南中央駅で待ち合わせた。


 休日だし美月もきっと私服だ! 大丈夫だ! と自分に言い聞かせつつ、やっぱり制服なんだろうなぁと脳内で右往左往しているうちに美月は相変わらずの制服姿で現れた。以前にも見たスカイブルーのセーラー服が目に眩しい。


 ううぅ。いつもながらの苦さを感じる。それから二言三言挨拶を交わして中央地区にある美月のタワーマンションにまで案内された。


 数棟が立ち並ぶ緑豊かな敷地。壮観で、世間から隔絶している富裕層のための空間だと思い知らされる。


 美月の家。その認識が、否が応でも俺の心の臓のドキドキを高めて行く。


 落ち着け、俺。まだ美月の自宅に招待されたというだけの事だ。お付き合いしている仲ならば不自然なことじゃない。美月はそれから先の関係に進むなんてことすら考えていないかもしれない。だから落ち着け、俺。と、興奮を押さえようと努力しつつ平静を装って声を出した。


「すごいな。世間一般の家庭とは隔絶してるな」


「うちは母子家庭なんだけど、ここに住んでるのは私だけよ。母とは別に暮らしているけれど仲が悪いわけじゃないわ。行きましょう。ここの四十四階よ」


 美月は、淡々とした事実だけを並べてから案内をしてくれる。


 エントランスを抜け、エレベータを昇って、俺は美月の住居内に「お、お邪魔します……」と足を踏み入れた。


 落ち着かない目線で室内を見回してしまう。


 フローリングの通路を通ってLDKに入る。


 シックで落ち着いたブラウンの色合い。広々として木目が美しく、リビングには何人でも座れそうな巨大なソファーセットがしつらえてあった。


 外から想像した通りの高級感あふれる屋内。だがなんだろう? 同時に妙な違和感がある。なんというか、生活感がない。片付け忘れている食器だとか放ってある服だとか、そういう物が一切ない。まるでショールーム、モデルルームの様な感覚。いや、置いてある観葉植物などが心地よさを醸し出してはいるのだが。


 だからうかつにも口に出してしまった。


「すごく……片付いてるな……」


「ハウスキーパーさんを雇って、掃除洗濯から食事までお願いしているから」


「…………」


 返答に窮する。それはスゴイ……んだが流石になんだかなーと思って訊ねてみる。


「お嬢様……なのか?」


「そうじゃないの。家事はできないことはできないんだけど、それを任せてるのは仕事に全振りしてるから。ちょっとソファに座ってて。今、飲み物をもってくるわ」


 言うと美月は室内を出て行った。それから少しして、ソファに腰を下ろしていた俺の所にトレーを持って戻ってくる。テーブルに、ジュースの入ったグラスと水の入ったグラスを置いて、立ったままひらりと自分を披露する様に身体を一回転させてみせた。


「どう? 私の姿は? 興奮してくれる?」


 自信を持って尋ねてきた美月は、服を着替えていた。


 今日の朝駅前に現れた時は、前にも見た事のあるスカイブルーのセーラー服だったのだが、今はより畏まったブラウンのシングルブレザーに黒のジャンバースカートを身にまとっていた。ソックスも合わせたように黒に赤いラインの入った折り返しタイプだ。美月のファッションセンスには常々驚かされている俺なのだが、うならざるを得ない。


 それから美月は広いLDKをランウェイの様に歩き出す。腰に手を当ててポージングを取りながら、真っ直ぐな体幹、綺麗な姿勢で、背をピンッと伸ばして胸を張って。


 観客は俺一人。その俺に見せつけるがごとく、華麗な脚運びでまるでモデルの様にウォーキングする。


 端で綺麗にクルリとフルターンして今度はこちらに前面を向ける。自信を形にした様な面持ちで俺を見つめながら、歩き姿でゆっくりと近づいてくる。


 俺は思わず息をのんでしまった。


 美月は眼前に達し、制服姿を披露しながら聞いてくる。


「どう? 少しは『制服美少女』の私を好きになってくれた?」


「…………」


 なんと言おうか迷った。


 何故美月にそんなことができるのかは謎だったが、一般の高校生というレベルではなく、普通のファッションモデルがする様なウォーキングだった。俺からみても、特段ケチをつける部分がない。というより教科書のお手本の様な綺麗な歩きだった。


 それより目を見張ったのは、ウォーキングは本来服を見せるものなのだが、むしろ美月本人が物凄く魅力的に見えた事だ。制服が美月の形良いスレンダーなスタイルを引き立てていて、同時に美月自体の男にアピールする魅惑的で蠱惑的な香りも醸し出している。


 制服美少女として完璧な姿がそこにあるのは『わかっていた』。理性では。


 だが同時に、俺の心の奥に突き刺さっているトゲがその姿を受け入れるのを拒否していた。


 苦かった。別の意味で心臓が脂汗をかいている。口の中に得体のしれない苦汁のようなものが広がっていた。


 だから……なんと答えてよいのかわからなかった。


 美月が真っ直ぐな目で俺を見つめてくる。


 俺の心の奥底を見通すような黒い瞳で。そのまなこに射抜かれながら、俺はうめくように言葉を発した。


「すごく似合ってる。わかる。でも……苦しい……」


 それが精一杯の答えだった。


 美月の表情に少しだけ険しさが走った――気がした。のち次の瞬間、美月が俺の懐に飛び込んできて俺を抱きかかえる様にして引き倒した。


 俺と美月はもつれながらソファに倒れ込み、俺が美月の上にのしかかる形になって二人の動きが止まった。

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