ギフト
ソブリテン
本編
幸せというのはたぶん、そのほとんどが贈り物だ。
「あっ、ちょっと。これ落としたよ。」
だから感謝して生きましょうとか、そういうのではない。宗教や慈善団体の勧誘文句でもない。運命論も違う。群を抜いて違う。
「あ……ごめん、ありがとう……。」
何にしても。吉野くんと出会えたことは、僕にとって間違いなく贈り物だった。
「音楽プレーヤー……?今どきこういうの珍しいな。」
向こう岸の陽だまりみたいに。
「そう……だね。」
遠くに小さく見えていた光が。
「サブスクとかやんないの?」
その声が、目線が。
「うん……所有感が欲しくて。」
僕に向いて。
「なんだそれ。」
眩しくて。
「なんだろうね……はは。」
元々人と話すのはあまり得意じゃないから、というのもあるけれど。何気ない会話なのに、言葉が詰まって仕方なかった。言葉だけを塞ぎ止める見えない堰が、僕の喉を支配していた。
「いつもイヤホンしてるけど、どんな曲聴いてるの?」
その堰は、吉野くんにはないみたいで。同じクラスとは言え、ほとんど喋ったこともない僕に対して、やたらとグイグイ来るし、必要以上に距離が近かった。彼は僕の左肩に顎を乗せ、音楽プレーヤーの画面を覗き見ようとする。
「あ……えと……。」
頭の中がまっしろになっていく。不織布のなかで、表情筋が忙しくしている。どういう顔をすればいいのかわからなくて。どこを見ればいいのかわからなくて。目がどんどん泳いでいく。画面に置かれた吉野くんの視線とは、ねじれの位置の方へ。
「あ……。」
頭のユーフォーが、顔半分ごと窓の外へ勝手に飛んでいってしまった。
ユーフォーを回収したあと。僕たちは、ちょっとだけ音楽について話した。好きなアーティストとか色々聞かれたのだけれど。僕が吉野くんには聞き馴染みのない名前ばかり挙げてしまったせいで、会話はそこまで盛り上がらなかった。吉野くんが好きだというアーティストも、名前は聞いたことあるけれど詳しくはわからない……という感じで。正直相槌しか打てなかった。僕たちはきっと、生きてきた場所が違ったのだと思う。同じ校舎で生活してはいるけれど。興味とか、関心とか、そういう心の根ざす場所は、かなり遠く離れていたのだ。だから、僕たちはあまり仲良くなれない。そう、思った。だけど。
「あの曲聴いたよ。俺あんまりこういう曲聴かないんだけど、これは凄い好きだったわ。」
こんな感じで、吉野くんは。僕の好きなアーティストの曲を聴いては、その感想を言いに来きてくれるようになった。それも、ほとんど毎日。
「そっか……よかった。じゃあ、このアーティストの他の人気な曲もおすすめするね。えっと……。」
吉野くんみたいな人でも楽しめるような、万人受けして、ある程度有名で、人気のある曲。脳内のプレイリストをスクロールしながら、そういう曲を探して。夢中になって、少し黙り込んでいると。
「人気の曲じゃなくてさ。」
吉野くんは。
「ゆーふぉーが好きな曲を教えてよ。」
そう言って、僕の頭上のアンテナを指で弾いた。ユーフォーは、今日も飛んだ。
「相変わらずゆーふぉーは、顔が半分ユーフォーなのね。」
バスに揺られながら、やよいちゃんは眠そうな声で言った。
「それはまあ……生まれつきだし。いきなり変わりはしないよ。」
僕の顔は、半分ぐらいユーフォーだ。具体的に言うと、鼻より上の大部分。目や耳らしきもはあるので、眼鏡もイヤホンも使える。あと、頭の上によくわからないアンテナがついている。これは何を受信するためのものなのだろうか。それは自分でも、よくわかっていない。
「そう。可哀想ね。」
あきらかに興味なさそうな顔をして、分厚い本の頁をめくるやよいちゃん。自分から話し始めたくせに、と言いたくなるが、面倒なのでやめた。彼女はいつもこうだ。自分以外にも、自分自身にも関心を示さない。真顔で人間社会を拒むような生き方をしているのが、やよいちゃんという人間なのである。
「頭のそれ、コントロールぐらいできるようになりなよ。吉野だっけ?あいつと居る時は特に。」
それでいて、やけに賢く、人の心を簡単に暴いてくる。そんなやよいちゃんが、僕はたまに怖い。
「吉野くんは、関係ないよ……。」
頭のユーフォーは、たまに勝手にどこかへ飛んでいってしまう。原理はわからないけど、原因は知っている。それは、僕の感情だ。怒ったり……したことはあまりないけど。どうしようもなく哀しかったり、嬉しかったり、楽しかったり。……それも、あんまりないな。とにかく感情が昂ったとき、ユーフォーは制御が効かなくなってしまう。
「あら、そう。あたしはてっきり好きなのかと思ってたけど?」
いきなり回転しはじめるユーフォー。急いで両手で押さえ込みながら、平常心の回復を脳と心臓に祈る僕。やよいちゃんはやっぱり、ちょっと苦手だ。
「そんなんじゃないから……。」
浅い深呼吸をして、車窓の向こうを見る。春に照らされた住宅街が、映り、移ろい、消える。また、映る。好きという感情は、どこにも見当たらない。どこかにあるのかもしれないけれど。僕はそれを、探そうとは思えない。でも。
「なんだ、勘違いだったのね。つまらない。」
それを存在しないことにしようとすると、どうしようもなく。ズキ。ズキズキと。心の根の音が、嫌に鳴り続ける。
心臓と脳が騒がしい日々。夜更かしを七回ほど繰り返したところで、少しだけ余裕が見えてきた。収まったわけでは、決してない。慣れてしまったのだ。慣れてしまうほど。慢性化してしまうほどに、僕は。この訳の分からない感情に振り回され続けている。映画を観ても頭に入ってこないし、音楽は鼓膜をすり抜ける。いちごたっぷりのコンビニスイーツは、大豆の味がした。風邪、なのかな。おでこにてのひらをあててみる。皮膚に伝わるのは、金属の冷たさだけ。機械仕掛けの頭では風邪なんて引けない。今はそれが、ちょっと寂しい。
「……。」
遠くの席の、吉野くんを眺める。胸が熱くなるのを、微かに感じる。この熱は、きっと偽りのものだ。どうか、どうかそうであってほしい。ユーフォー頭の僕なんかには、勿体ないのだから。
休み時間。チャイムが鳴り終わる前に、吉野くんが僕の席へ駆け寄ってきて。
「どうかした?」
きょとん、とした顔でそう尋ねた。つられて僕もきょとんとする。
「えーっと……?」
なんのこと……?と、表情と沈黙で聞き返す。表情の方は、顔半分がユーフォーの僕では中々伝わらないことが多いけど。
「じぃっとこっちを見てたからさ。なんかあったのかと思って。」
体内時計が五秒間停止して、その後すぐにユーフォーが真上へ飛んだ。ユーフォーは天井に激突し、その衝撃で蛍光灯から埃が舞い落ちた。
「けほっ」
吸い込んでしまった埃と恥ずかしさを、吐き出す咳。僕の頭にポトンと落下するユーフォー。さすがに気持ち悪がられたかな。それはすごく、嫌だな。とか考えながら、おそるおそる顔を上げる。
「大丈夫?」
吉野くんはいつも通りだった。教室もそうだ。天井に物体が激突するぐらい、振り向きはしても気に留めはしない。今この空間で、いつも通りじゃないのは。
「ぁ……。えと、えと……。」
僕だけなのだ。心臓が、場違いな空騒ぎを止めてくれない。揺るがない幸せが、恥ずかしく全身をめぐる。一文字を裏付ける証拠が僕を包囲する。やめて。やめてよ。高速回転するユーフォーを両手で抑える。不思議そうにこちらを見る吉野くんの眼球から、どうしても目を逸らせない。
それからまた一週間ぐらい経った頃、朝のバスでやよいちゃんが。
「吉野だっけ。あいつ、宇宙地下鉄の缶バッジつけてた。」
久しぶりに、皮肉や愚痴以外のトピックで話しかけてきた。それも、吉野くんの話題だ。
「宇宙地下鉄って、やよいちゃんがよく読んでる小説だよね。吉野くんも知ってるのかな。」
知る人ぞ知る名作SF小説で、現在十巻まで出ており、アニメ化の噂もある……らしい。全部やよいちゃんから聞いた話だけど。
「知らない作品の缶バッジなんて、普通つけると思う?」
珍しくそわそわしているやよいちゃん。あまり他人に興味がなさそうな彼女だが、趣味を共有できる相手は欲しそうにしていた。僕はSFをあまり読まないから、その役には立てなかったし。……SFみたいな見た目はしてるけど。とにかくそういう相手を見つけることができるかもとなると、まあやっぱり嬉しいのだろう。
「まあ、それもそうだね。」
やよいちゃんは、吉野くんと共通の趣味を持っている……かもしれない。ああ、なんか。羨ましい、な。
友達に対して、変な嫉妬をしてしまった。笑ってしまうほどくだらないことで、口角が沈んでいくのを実感した。その後味が悪くて、なかったことにしたくて。
「宇宙地下鉄って、知ってるかな……?」
吉野くんに、話しかけた。
「知ってる、というかめっちゃハマってる。え、もしかしてゆーふぉーも?」
なんとも言えない、もごもごした感情を抑えて。
「いや、その……。友達が……。」
押し込んで、蓋を閉じた。なんでこんなに、苦しいんだろう。
翌日の朝七時。いつものように、バス停に並んでたそがれていると。
「あ、ゆーふぉーだ。」
僕の名前を呼ぶ声が聞こえて。やよいちゃんかと思って、反射で振り返った。その声は、あきらかにやよいちゃんより低くて、芯があって、あたたかかったことには。
「吉野、くん……?」
寝ぼけていたからか、少し遅れて気づいた。
一番後ろの、五人がけの座席で。右の車窓にもたれるやよいちゃん。その左隣に僕。そして。
「てかゆーふぉー、こんな近くに住んでたんだな。知らんかったわ。」
さらにその左隣には、吉野くんが広々と座っていた。
「うん……。びっくり、だね……。」
聞き慣れた車体の軋む音に、見慣れない顔ぶれがあまりにも似つかわしくない。これはやよいちゃん、気まずいだろうな……。そう思い、顔色を伺う。この顔は……あれ、そわそわしてる。そっか、宇宙地下鉄か。ふたりの共通の趣味。僕には入り込めない世界の扉。その鍵を、僕は持っている。やよいちゃんはきっと、自分から話しかけたりはしないから。僕が言い出さないと、ふたりの会話は始まらない。……友達と友達が仲良くなるのは良いことだ。吉野くんはそもそも、友達はたくさん居るし。今更ひとり増えたところで、妬む必要も権利も僕にはない。僕だって話すようになって間もないし。特別仲良いというわけでも、ないし。
「……。」
やっぱり、嫌だな。僕と話している時よりも楽しそうな吉野くんを、目の前で見たくない。吉野くんとの時間に、空間に、やよいちゃんが入ってきてほしくない。この鍵を、吉野くんとやよいちゃんを繋ぐ縁を。今すぐ木端微塵にして、なかったことにしてしまいたい。そう思ってしまう自分が、その根底にある排他的な熱が。吐き気がするほど、恐ろしくて。醜くて。
「吉野くん、そういえばなんだけどさ……。」
僕は、鍵を開けた。
その日の放課後。小さな地獄に揺られながら、僕は窓側の座席に座っていた。左にはやよいちゃん。そのさらに左には、吉野くん。
「新キャラがマジでかっこいいんだよな。」
「本当にそうね。あんなのを温存してたなんて驚きだったわ。 」
吉野くんとやよいちゃんは、異常なスピードで仲良くなった。
「アニメ化したら声優誰になるんだろうな。」
「誰が演じても違和感ありそうね。」
「確かに、それはそうだな。」
共通の趣味があって、それを心置きなく話せる相手の登場。そんなの、嬉しいに決まってるもんね。その仲介をできたことが、友達としてとても嬉しい。
「晃の好きなキャラって誰?」
「俺は……やっぱり車掌様かな。やよいは?」
……やっぱり無理だ。そんな風には思えない。僕より先に下の名前呼び捨てなんかしちゃってさ。お願いだから消え失せてよ。やよいちゃんなんか、居なくなればいいのに。吉野くんも、なんでそんなに楽しそうにしてるの?僕と居るときより、声が高いのはどうして?
「あたしも車掌様。奇遇ね。」
「まじか!やっぱかっこいいもんな、車掌様は。わかる。わかるわ……。」
皮膚が崩れ落ちてしまいそうだ。聞きたくない。酸素が汚い。重力が痛い。いやだ、いやだ、いやだ。ユーフォーが鈍い音をたてて回転する。いっそ、飛んでいってしまえばいいのに。押さえる僕の両手がそれを阻止する。友達に対して、凄く酷いことを言った。心のなかで、だけど。その後味は排気ガスだ。真っ白な雪も汚れてしまう。汚れた雪は、その冷たさは。自分自身にはもう、隠すことはできない。
「ゆーふぉー、大丈夫か?」
周りにだって、いつかバレてしまう。この邪魔なユーフォーのせいで、僕の感情はバレバレだ。どうして、どうして僕は。こんな姿で生まれて、こんな気持ちを抱えてしまったのだろう。
『バスが完全に停止してからお降り下さい。』
車内アナウンスが、僕を世界に引き戻す。世界は、見慣れた景色に埋もれていた。それがやけに、僕の心臓を突き刺した。
「ごめん、僕、ここから歩いて帰るねっ!」
家とはかけ離れたバス停で降りて。暴れるユーフォーを必死に押さえ込みながら、夕暮れに紛れていく。こんな眼じゃ涙も出なくて。ただひたすら、息を切らす。
この感情をどう言い表せばいいだろうか。日本語にすら嫌われていくのがわかる。苦しいよ。ただひたすら、苦しいんだよ。苦しいと思ってしまうことが、どうしようもなく苦しいの。やよいちゃんに、酷いこと思ってしまった。友達が友達と仲良くなるというだけで、その距離が縮んでいくのを目の当たりにするだけで。こんなにも僕が濁っていく。このままじゃきっと、吉野くんにも嫌われてしまう。想像しただけで血を吐きそうだ。今すぐあの優しい声を聞きたい。聞いてすぐに、泣いてしまいたい。泣いて、泣き止んで。最後に吉野くんの顔を見て、そのまま存在ごと消えてしまえたのなら。願いとは裏腹に、ユーフォーの暴れる音は一向に鳴り止まない。
その日の夜。月が綺麗すぎて、苦しくて。泣いて、泣き疲れて早く寝て。吉野くんとやよいちゃんが結婚式を挙げる夢を見た。最悪すぎるし、気が早すぎるし。目が覚めた瞬間、もう誰でもいいから僕を笑いにきてよという気分になった。
一日で最も忙しない時間帯の札幌市。凶器みたいな眩しさが、東から昇る。昇って、照らす。照らすは、やよいちゃんの後ろ姿と。彼女に駆け寄る、吉野くんの笑顔だった。バス停に続くヒトの群れに紛れて、ふたりは談笑をはじめる。僕には、気づかずに。吉野くんの方は、時に顔を前のめりにしたりして、あからさまに楽しそう。やよいちゃんはいつも通り無感情で、泰然としているように見えるけれど。その目は、とても輝いていて。
「……。」
僕は、次のバスに乗ることにした。
すべての幸せはきっと、贈り物に過ぎない。贈り物を貰ったら、お返しをしなければならない。幸せはそうやって巡っていく。自分の手元には、決して残ることはない。
「あ、ゆーふぉー。おはよ。」
教室に入るや否や、吉野くんが声をかけてくれた。こんな奇天烈な見た目をしている僕にも、普通に接してくれる。あんなよくわからない行動をした、その翌日にも関わらず。
「昨日さ。なんかあったん……?」
いつにも増して優しい声。目線。表情。やよいちゃんに見せていた、気の抜けた笑顔とはかけ離れている。気を遣ってくれてるんだな。そんなこと、元々わかってたのに。どうしようもなくつらくて。つらくて。
「おい、大丈夫か?もしかして体調悪かったり?」
心配までかけてしまった。このままじゃよくない。何か言わなきゃ。頭ではわかっていても、声帯がそれを拒み続ける。だって。だってさ。こんなに醜い心で、どんな言葉を紡いでも。吉野くんに見せられるぐらい、綺麗なものにはならないんだよ。くだらないことで塞ぎ込んで。自分を嫌いになって。誰かを、妬んだ。ただそれだけなのに。こんなにも世界が、終わっていく。
「ゆーふぉー、やっぱり今日なんか変だぞ。大丈夫か?」
言って、吉野くんは。僕の肩に手を触れた。やめて。もう、贈らないで。返せるものなんて何もない。僕のすべてを奪わないで。怖い。怖い。
「ごめん……。」
今にも飛んでいきそうなユーフォーを押さえつけながら。涙にならない涙を隠して。僕は、教室から逃げ出した。どうして謝ったのかは、自分でもわからないまま。
走って、躓いて、転んで。頭を押さえ込んで。校舎を抜け出してきてしまった。そろそろ授業が始まっている頃だろうか。戻らなきゃ。そう思えば思うほど、真上にひろがる青が僕を圧倒する。
「ゆーふぉー!」
近付く足音に、響く優しい声。太陽みたいに暖かい声。僕は溶けきって、汚れだけが残ってしまうの。追いかけてきてくれたあなたに、僕は目も合わせられない。
「もう、ほっといてよ。」
違う。こんなこと言いたいわけじゃないのに。また僕は、僕に嫌われてしまう。でも。
「そんなことできない。友達だろ。」
吉野くんは、僕を嫌いになってはくれないみたいで。僕はさらに、呪われていく。
「ほっといてって、言ってるのに……。」
吉野くんと話すと、僕が壊れていく。僕が僕ではなくなっていく。脳を掻き乱されて。心臓の花火が鳴り止まなくて。もうこんなのいやなんだ。吉野くんと一緒にいるのは、もうつらいんだよ。吉野くんなんか、もう。
「吉野くんのことなんかっ……!」
だいきらいだ、と。言うことはできなくて。ユーフォーが、ものすごいスピードで飛んでいった。
「あ……。」
五感が乖離していくのを感じる。もう、いいや。このまま、どこか遠くへ。取り返しのつかないほど遠くへ、飛んでいってしまえばいい。そうすればきっと、僕は。僕は、どうなるんだろう。
「待てって……!」
吉野くんの声で、我に返る。こんなに遠くまで飛んだのに。吉野くんは、それでも走って追いかけてきた。息を、切らしながら。
「やっと……追いついた……。」
吉野くんは、手を伸ばして。届かなくて。よろけて。倒れ込む、その前に。僕の本体が追いついて、吉野くんを支えた。そこへぽとんと落下するユーフォー。
「ははっ、器用だね。」
屈託なく笑う吉野くんに、呆れて僕も笑ってしまう。
「なんで学校抜け出したりしたん?」
ああ、やっぱり。好きだな。
「忘れ物取りに帰ろうと思って。」
好きで好きで、どうしようもない。
「なんだそれ。」
言って、吉野くんは。僕のアンテナをつついた。瞬間、熱が胸を苦しくする。目の前の陽だまりに、吸い込まれてしまいそうになる。こんなの、恋以外のなんだっていうんだ。
「なんだろうね……。わかんないや。」
この恋は僕に、未知の感情をたくさん教えてくれた。ほとんどが醜いものだった。そのせいで、僕は。吉野くんを好きになればなるほど、自分のことを嫌いになった。やよいちゃんのことも疎ましく思った。
「教室、戻らなきゃだな。」
これも全部、吉野くんからの贈り物だとしたら。受け取った僕が、幸せを感じてしまったのならば。
「そう、だね。」
ほんとはやっぱり。吉野くんにも僕を好きになってほしいし。
「その前にさ、吉野くん。」
それを諦めるつもりもないし。お返しだって、ちゃんとしていきたいけど。
「なんだ?」
ちょっと、難しいかもだから。せめて。
「今聞くようなことじゃ、ないかもだけど……。」
好きという気持ちが、たとえ醜いものだとしても。見せられないものだとしても。ユーフォーが、飛んでも。それをなかったことにはしないで。ちゃんと認めて、抱きしめて。そして。
「誕生日、教えてよ。」
この出会いに、いつか。僕からもギフトを贈ることができたら、嬉しいな。
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