第7話  木島香の困惑(7)

「でも、そんな事あり得るかな」

 飲食も禁止されているし入れ替えるくらいに本が汚れる事なんかあるだろうか。

「例えば図書室に水なんかが持ち込まれる様な事はないかな? 掃除の時とかはどう?」

「水拭きする時にバケツを入れるっていうことはあったと想うけど」

 そうだ。あの書庫の掃除をした時も水拭きをする為にバケツを持ち込んだっけ。

「うん、書庫で掃除をしていたことがあるって話だったよね。それも件のあまね先輩と」

「あ、うん。あったけど……でも、それがどうかしたの?」

 私は何気なく言った言葉に妙に食いついてきた友人に少し面食らいながら答える。

「で、その時盛大にすっころんだんでしょ」

「も、もう。それを言わないでよ。恥ずかしい」

 私は顔を赤らめて言い返した。あの時の無様な様はなるべく思い出したくない。

「まあまあ、そう言わないでさ。でもさ、そもそも、何ですっころんだんだっけ?」

「それは、だから。あまね先輩が脚立に乗ってて、それがガタガタ揺れてたから、あせっちゃったんだよ」

 そうだ。危ないと想って思わず駆け寄ろうとしたのだった。でも、トーコは更に言い募ってくる。

「それだけ? ただ駆け寄ろうとしただけじゃそんなにはならないんじゃない?」

「え? それだけって?」

 トーコの聞いている意図が分からず私は一瞬混乱した。が、そんな私に対して彼女は冷静に問い返してくる。

「下が濡れてたんじゃないの? だから滑ったんでしょ?」

「ああ、そうそう。水拭きしてたのがまだ乾いてなかったんだよね」

「うん、香の方はそうだったんだよね。じゃあ、先輩が脚立を揺らしてしまったのは何でだと想う?」

「いや、それは……私がちゃんと抑えてなかったからかもしれないけど」

 脚立で高所作業をする場合は下で押さえなければならない。それを怠ったという意味では私にも責任があるのかもしれない。が、トーコが言いたいのはそんなことではないようだった。

「そういう事じゃなくってさ。結構上の方で作業してたってことでしょ」

「ああ、そうだったと想うよ。でも、それがどうかしたの?」

「ちょっと想像してみたんだけどね、グラついた状態になったのは棚の中を拭いている時じゃないと想うの。だってさ棚の中を拭いている時って言うのは棚に重心がかかってるって事でしょ」

「ええと。ああ、そういう事になるのかな」

 ちょっとわかりにくいけど言いたいことは分かる。雑巾を掛ける時は棚に顔をつっこむような形で作業をするのでグラついたりする可能性は少ないということだろう。

「じゃあ、更に聞くけど、その棚には本が入ってたのかな」

「えっと……。上の方はあんまり入ってなかったと想う。あったとしても二、三冊かな」

 本がぎっしり詰まっている棚は一度本を別な場所に移して作業するのだが、少ない場合は一々そんな事はせずに本を少し移して雑巾で拭いていたと想う。

「なら、脚立がぐらついたのはその時じゃない? 中にある本を手にとって別な場所に移そうとした時」

「ああ、確かにその状態なら重心を崩すこともあるかもしれないね。でも、ねえトーコ。何が言いたい訳? それって本の入れ替えと関係あるの?」

「下の床は濡れてたんだよね」

「うん……。え? ひょっとしたら、その本を下に落として汚したっていいたいの? でも、濡れた床に落としたくらいじゃ交換するほど汚れないと想うけど」

 バケツを置いていたならそこにボシャンと落っこちた可能性も否定できないが、片付けていた筈だった。

「いや、そんな話をしたいんじゃないよ。私が言いたいのはその後、あんた、すっころんでどうなったんだっけ?」

「いや、だから言わなかったっけ? 尻もちをついて露わな姿を見せちゃったんだって」

「それだけ?」

「それだけって……あ、後。靴もすっとんでっちゃったって……もう、更に恥ずかしい事思い出させないでよ」

「その靴ってどこへいったかは確認した?」

「いや……。それどころじゃなかったし。後で先輩が持ってきてくれ……」

そこまで言った時、私は何だか胸騒ぎがした。何か大事なことを見落としているようなそんな感覚。それに対して、トーコは言葉を続ける。

「仮に先ほどの想像が正しいとするよ。先輩は手に本を持っていた。脚立はぐらついた状態でね。慌てていたからちゃんともててなかったかもしれない、例えば、指がページの中に入ってしまって本が開いた状態になってしまった、なんてことは考えられないかな。そして、そこに靴が飛んで来て当たってしまい、そのまま挟まる様な状態になって……」

 本はそのまま下に落ちる。そんな状態であればぐしゃぐしゃになりページの中身はぐっしょりと濡れて靴跡も付いて……

「えっと……。じゃあ、つまり」

 ここに至って余りの予想外な答えに呆然となる。そんな私に友人は飽くまで静かな口調でその言葉を口にした。

「うん、単刀直入に言うよ。本を汚した犯人。そして先輩が庇っていたのは、香。あんた自身だったって事じゃない?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る