第7話 祖母と孫
翌朝、窓から差し込む陽光に目を覚ますと、既に太陽は高く上がり始めていた。
……さすがに眠いっすね。
異なる世界に、過密すぎる体験、さすがに体も精神も疲れ切っていたのだろう。重い頭をふらつかせながら、店舗へつながるドアを開ける。
「おはようございますーっす」
投げかけた言葉の先、テーブルに座る和服姿の若い女性がこちらへ振り向いた。
「なんだいなんだい、初日から寝坊とは弛んでないさね? 蜜希?」
なんか知らない人にいきなり説教を食らってしまった。
「あ――、それに関しては申し開きもないっすけど、ええと、どちら様っすか?」
「あん? 自分の祖母を忘れるたぁいい度胸してるさね?」
…………
「My grandmother?」
「Yes. of course.」
「Oh……」
こいつは重症だ、流石に自分と同じくらいの年の祖母は身内に居ない。
――この世界、脳のお医者ってあるんすかねぇ……
「おい、今完全に失礼な事考えてるさね?」
僅かに部屋の温度が下がった様な錯覚に、背筋に冷や汗が浮かぶ感覚。とはいえ、そんなことを言われても覚えがない物は仕方がないし、どうしたものかと思考を巡らせていると、
「希、姿、姿」
「あん?」
目玉焼きを皿に乗せて運んできたアージェの言葉に、見知らぬ女性は自分の手をじっと見つめ、ふと得心がいった様に手を叩く。
そして、ややあってから指を弾けば、まるで煙を纏う様に姿が切り替わった。
「悪い悪い、そりゃあの姿じゃ分かるわけないさ、――これで分かるさね?」
「…………希おばあちゃん?」
「ほかの誰に見えるってんだい? まだ寝てるようなら水ぶっかけてやるけど?」
うん、この返しは間違いなく自分の祖母だ。ここでボケを返すと本気で水を掛けられる。
なので一度息を吸い込み、片手を上げて言葉を作る。
「えーと、今の女性は?」
問いかけに、祖母がもう一度指を鳴らす。すると、今度は煙を拭うかのように若い姿に切り替わった。
「アタシに決まってんだろう? こんだけ目の前で見せて分からんさね?」
一瞬倒れこむように意識が遠のいていくのを、何とか踏みこたえて体を起こす。
「いやいやいやいや!! 何でここにいるんすか!? ていうかその姿はなんすか!? 超絶若作り!!?」
ドゴォッッ!! とでも言うべき音が鳴り響き、自分の真横の床が殴られたように一段低くなった。
「次は当てるさね」
うん、この怒り具合とノリは間違いなく祖母だ。そう確信したのも束の間、であればこそ、何故ここにいるのか、その姿は何なのか、それが疑問となって脳を駆け巡る。
「蜜希ちゃん、こちら、知ってるでしょうけど貴女の祖母の旧姓秋楡・希。彼女はかつて、私とギラファちゃんと一緒に、この世界を救った英雄よ」
「――は?」
呆気に取られる自分を置き去りに、祖母は呵々々と喉を鳴らし、
「そん時の影響で歳を取らなくなっちまってね。だからこっちが本来の見た目で、年老いた方は術式で見た目をいじった仮の姿さね」
情報量が多すぎて脳がパンクしそうになるが、竜の加護のおかげか次第に思考がクリアになっていく。
あー、こういう時も使えるんすね竜の加護。
「えーと、つまり希おばあちゃんは、昔、私みたいにこっちの世界にやって来て、そこで二人と一緒に世界を救ったと」
「ああ、こっちの時間だと、大体五百年前くらいの事さね」
さらに情報量を増やさないで欲しいものだが、つまり地球換算で五十年前、祖母が今年で74歳の筈だから、五十年前なら今の見た目と辻褄は合うことになる。
しかし五百年前に知り合ったとなると、アージェとギラファも最低でも500歳というわけで……多分アージェは祖母と同じで見た目は全く変わっていないのだろうが、ギラファはどうなのだろう、昆虫っぽい見た目の通り、幼虫だったり蛹になったりとかしていたのだろうか。
それとも見た目に反して不完全変態で、小さいギラファさんだったりしたのだろうか。どちらにせよ後でアージェに当時の記録がないかを詳しく聞かねばなるまい。
「あ――、竜の加護込みでも頭痛くなってきたっす」
「いや、アンタ今途中から思い切り関係ないことに思考を割いて無かったさね?」
なんでわかるんすか希おばあちゃん。昔から此方の心情や思考を言い当ててくるタイプではあったが、もしかして本当にそういう能力を持って居たり……いや、ギラファさんの幼少期は個人的に超重要事項に該当するので関係ないわけがない、そう開き直ることにする。
「それで、じゃあどうやってこっちに来たんすか? というか、何しに?」
疑問に、髪を軽く耳の後ろへかきあげながらアージェさんが答えた。
「私が呼んだのよ、蜜希ちゃんが希の孫なのは一目見て気が付いたから、連絡したら『すぐにそっちに行かせろ』ってせっつかれてね」
それを肯定する様に、祖母が首を縦に振り、
「アタシは十年くらいこっちに居たからね、十二分に縁は残ってる。普段は術式で蓋してるけど、今回はアージェに頼んでこっちに呼んで貰った訳さね。 ――そんで」
一つ呼吸を挟み、続く言葉は真っ直ぐに自分に向けられる。
「こっちに来た理由なんて一つしかないだろう? アンタの様子を見に来たんさね、蜜希」
「私をっすか?」
「ああ、突然こんな右も左も分からない様な世界に落っこちたんだ、さぞ不安になってるんじゃ無いかと思って来てみれば、なんだいなんだい、随分と楽しそうにしてるじゃないさね」
呵々、と喉を鳴らして、祖母は続ける。
「ギラファとアージェから話は聞いたよ、アンタが本気でここを見てみたいってんなら、好きにするといいさね、引き留めやしないし、邪魔もしないさ」
「……希おばあちゃん」
「それから、向こうについては心配しなくていいさね。会社には休職届を出しておいてやるし、家族にはアタシが上手くいっておいてやるさ」
「至れり尽くせりっすね……なんか申し訳ないっす」
「莫迦、可愛い孫の為なら、出きる事は何だってしてやるさね」
そうだ、この人は昔からこうだった。
いつもは厳しく、それでいて子供の様に楽し気に接してくるのに、本当に大切な時や、私が不安に思っている時は、何も言わないでもそばにいてくれて、そっと背中を押して助けてくれる。
愛されているのだと、そんな当たり前で、とても大切なことを改めて気づかせてくれる。それが私にとっての祖母だったのだ。
「どうしてもこの世界にいるのが嫌になったら、アージェに頼んでアタシを呼びな。八大竜皇だろうが神様だろうが、ぶん殴ってアンタを連れ帰ってやるからさ」
そう言って、祖母が自分を優しく抱きしめる。
慣れ親しんだお香の香りが鼻をくすぐる。同時に感じる懐かしい腕のぬくもりに、思わず零れそうになる涙を必死で堪えて笑顔を見せる。
「ありがとう、希おばあちゃん」
「楽しんでおいで、蜜希」
「うん!」
抱き締められたまま、祖母の視線が自分の後ろへと向けられる。
アージェは祖母の後ろに居る、それなら、自分の後ろに居るのは――
「孫を頼んだよ、ギラファ」
「――ああ、この命に代えても守り抜くよ、希さん」
「阿呆、アンタが死んだら蜜希が悲しむだろう。だから死ぬんじゃないさね、約束だ」
そう言って、祖母がゆっくりと抱き締めを解く。その離れ際、自分にだけ聞こえる声で、そっと祖母が耳打ちしてきた。
「蜜希、ギラファの奴は鈍くない、アンタが本気で惚れたなら、直ぐにそれは伝わる筈さね。だけどアタシの孫だからってことで、まず自分から手は出さないさ」
だから、
「好きならアンタからガンガンアプローチしていきな、じゃなきゃギラファは捕まらんさね」
「んなっ……!?」
呵々々、と祖母が笑う。
「色々頑張るんさね、蜜希。 ――またね。」
その満足そうな表情に、自分は赤く染まる頬を自覚しながらも、本心からの笑みを口元にうかべて、
「――うん、希おばあちゃん」
言う。
「ありがとう、またね!」
その言葉を合図にするように、アージェの紡いだ糸が祖母を包み込み、解けたときには、もう、そこには誰もいなかった。
ただ、祖母のお香の香りだけが、確かな証として、暫く自分の周りを漂っていた。
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