『伽藍の仮面』
「……
夕日が点滅する電車内。
紡は一時間程前、とある男——とある巨人に憎しみをぶつけた。それは決して八つ当たりではなく、正当な——対象を間違えてはいない行為のはずだった。
しかし——
「……恨めしいなあ」
紡は憎悪する。
巨人を、
巨人に悪意をぶつけた自分自身を——憎む。
延命菠希の態度は確かに紡の癪に触れるような物——無意識の内に自己保身に走るような物であった。だが、自分が知らず知らずに人命を奪っているだなんて状況で、果たして紡は言い訳をせずにいられるのだろうか。
「……無理だろうな」
明らか弁明するビジョンしか見えなかった。
菠希みたく、反省してる風に見せるのならまだマシだ。
紡の場合は逆上して怒鳴り散らすだろう。
——最悪だ。
自分でイメージして後悔する。
脳内で怒りの思いを溢れ出させる自身の姿をため息に乗せ、吐き出してみる——当然消えない。
「演劇みたいに大きな独り言にあからさまな……慰めてほしそうなため息だね——紡君、車両に人が殆ど居ないとはいえ……ちょっと恥ずかしいんじゃないかな?」
「なっ……最蘭和苗——お前いつの間に……」
にわか雨のような声の方を向くと、和苗が嘲るような笑みを紡に向けていた。
やはり仮面のような表情だ——と、紡は思う。
先までは独りぼっちであったはずなのに、和苗は当たり前のように紡の真隣に腰掛けている。
——いつの間に現れた?
紡は本心を——おそらく隠しており、且幽霊のような出現の仕方をした少女を前にして警戒していた。
紡を縛るこの緊張感は、怯え——とも言えるのだろう。
底が知れない。
正体を掴めない。
分からない物は——怖い。
「いつの間にって……ずっと居たよ、というか君が乗る前から私はこの鉄箱の中に収められていたよ」
「それは……流石に嘘だろ」
「嘘じゃないよ。横に座られたから、てっきり話しかけられるって思ったのにずっと一人でブツブツ言ってるからさ——私、そんなに存在感無い?」
和苗は今にも泣き出しそうな顔をする——顔を、造る。
「存在感は——ある方じゃないか?」
「うん、知ってる。私レベルの可愛さを持ってして存在感が無いだなんて嫌味になっちゃうもん」
「……」
「……冗談だって」
おそらく冗談では無かったのだろう。
自己評価の高さについては演技ではなく、心からの——本心らしい。
紡は和苗を人間であるとようやく思えた。
緊張が——緩む。
紡は強ばった表情を弛緩させる。
「——で、紡君は一体全体何を悩んでいたのかな? ヴィータマンがどうの怪獣がどうのとか言っていたから——ヴィータマンと怪獣の事なのだろうけど」
「そのままじゃないか」
「そのままじゃないの?」
「そのままだけどさ……」
そのまま過ぎる程にそのままだった。
ヴィータマンの事を考えていたし、
怪獣の事を考えていたのである。
「ここは学校一の聞き上手こと最蘭和苗ちゃんが紡君のお悩みを聞いてあげようじゃないの!」
「……最蘭——さんはさ、」
しばらく、視線をぐるりと振り回してから、
「ヴィータマンのファン、なんだよな?」
「うん。ファンだね。厄介ファンだね。同担拒否でもあるよ」
「……」
「……引かないでよ。まあ、ほら、君は同担どころかアンチだから拒否しないよ」
「……冗談じゃなかったのか」
「冗談じゃ無かったよ」
「……」
「引かないでよ」
——ここらで一旦仕切り直し。
「ともかく、ファンであるあんたに聞きたい事があってな」
「アンチである君が聞きたい事、ねえ?」
和苗は両手を組んで、上半身を海藻みたいに揺らし、しばらく唸って——露骨に悩んだフリをしてから、
「うん、いいよ。答えてあげるよ!」
と、快活な声で答える。
紡は窓越しに流れていく街並みを眺め、言葉を選ぼうとする。
しかし——当然というか……残念ながらというか、紡に対談相手に配慮した台詞なんて言えるはずもなく、すぐに思考を放棄する。
「家族や友人、友人未満でもいい——とにかく顔と名前を知っている人間がヴィータマンの戦いに巻き込まれて死んだ事って無いのか?」
「んー……友達が五人くらい行方不明になっていて、怪我した人なら……どうだろう、二十人は居るかな?」
五人が行方不明——多分、死んでいるのだろう。
踏み潰されたのか光線に消し炭にされたのか——それについては分からないが、しかしどちらにしたって死体は見つからない。
死体は——残されない。
精々残って染み程度なのである。
「……ヴィータマンの事、憎くなったりしないのか?」
「別に……そもそもとしてヴィータマンの戦いに——じゃなくて怪獣の破壊に巻き込まれて、っていう認識だからね」
「……」
紡だって分かっている。
和苗の認識が正しいだなんて事——紡だって、分かり切っているのだ。
「ヴィータマンが戦わなくちゃ、私だってとっくのとうに死んじゃってるだろうし」
それも、分かっている。
「勿論君だって——ねえ?」
和苗は煽り立てる風に言う。
ヴィータマンが居なければ死んでいるのだろう——なんて事、重々承知だ。
「それに……キツくないの? ずっとずっと憎しみを抱えて——あ……いや……ごめんね」
「ッ——?」
和苗は突然言葉を止める。
調子良さげに、楽しそうにして語っていたというのに——何故だ?
一体何故、最蘭和苗は発言を止めた——そんな怯えたような——仮面ではなく、顔で——本心から——?
紡には分からなかった。
だが、向かいの窓を見て、すぐに理解する。
否——窓ではなく、窓に映る自分自身。
自分自身の——顔。
顔が描く——表情。
仮面ではなく——怒りという怒りに染め上げられた、弟切紡の表情。
最蘭和苗を憎悪していた。
また恨む。
また憎む。
「——はあ」
当然のように憎悪を溢れさす自分を目の当たりにしてため息をつく。
和苗の言葉が思慮に欠けた物であったのもあるだろうが、しかしそのような返答をあると分かった上での質問だったのだ。
なのに、期待通りの返しだったというのに——
と、
発作みたいに自己嫌悪していた時——
「おァアッ……!」
大地が波打つ。
電車が打ち上げられた魚みたいに大きく跳ねる。
鋼鉄の白鰻の胃の中の紡と、和苗も跳ね上がり——車両の横転により天井の上に寝かされる。
「ただの地震じゃこうはならないッ——」
——間違いない、怪獣だ。
そう理解してすぐ、紡は立ち上がり逆さの窓から外の景色を視界に収める。
それは蛇だった。
しかしただの蛇ではなく——蛇であり、人である怪獣。
球が零れ落ちるのではないかと思う程に開かれた眼、
一直線に街を——人々を圧殺する胴体。
そして何より、往来の蛇であれば到底有り得ないであろう人間の上半身——筋骨隆々、そう表すしかない肉体が、大蛇と融合している。
「ッ——」
蛇の目が——紡と和苗を睨まれる。
二人はまるで、蛇に睨まれた蛙のように——メドゥーサの眼を見た生命のように——動けなくなる。
実際に石になった訳ではない。
しかし、一切の動作が不可能となる。
怪獣はしばらく二人を見つめた後、飽きたとでも言うようにゆっくりと視線を外す。
縛りを解かれた紡と和苗は過呼吸のように激しく息を吸う——呼吸さえもが禁じられていたのだ。
「目が合ったら動けなくなる——怪獣か」
紡は思う。
これまでの怪獣とは——自分が戦った訳ではないので、これまでにも、こういうタイプは存在したのかもしれないが——とにかく一線を画している。
目が合う。
ただそれだけの事で動作——つまり戦闘の為の全てを奪える。
強い、強過ぎる。
これなら、
これならば——今度こそは——
と、
そこまで思考して気付く。
鏡に反射する自身の表情に。
怒りに満ちた表情ではなく——笑み。
弟切紡は怪獣を前にして、ヴィータマンの敗北を予感して——
嗤っていた。
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