『漆身呑炭に縛られて』


「憎しみ——か」

「そう、憎しみ……俺を縛る呪い、いや——違うな」


 紡はしばらく、考え込むようにしてから、


「罪——だ」


 罪。

 紡は憎悪を罪と言う。

 憎しみの要因は紛れもなく両親を……他でもない俺が殺した事であるというのにも関わらず、彼は、自分自身の責任であるかのように語ったのだ。

 俺には到底理解し得ない。

 多分——強いのだろう。

 人間性というか——魂、というか。


「……あんまり長く黙るなよ——殺したくなる。抑え切れるモンじゃない」


 その眼差しは鋭く……赤ん坊の頃から何も変わらぬ俺の精神など、いとも容易く壊されそうであった——いや、殺されてしまいそうであった。


「そうは言ってもな、俺はただヴィータマンの力を持っているだけの一般人——以下、だ」

「ヴィータマンの力を持ってして、それを、——扱い、か。気楽なもんだな」


 気楽——理由は分からないが、その言葉は深々と心に刺さり、そして……抉る。

 単に、責め立てる言い方のせいなのか、

 はたまた、紡の台詞が図星であるのか、

 どちらなのかは分からない。

 けれど——まあ、どうだっていい。


「ヴィータマンに出来る事は殺すか、生かすか、それだけだ。能力を使えば手術は出来るだろうけど……精神科医にはなれない。心を治すのは力じゃなくて——」

「言葉か」


 紡は繋げる。

 憎悪を殺すのは言葉である——なんて事、彼は最初から分かっていたのだろう。

 ヴィータマンだからといって、

 絶対的な力を持ち、そして仇そのものである俺だからといって——憎しみの灯火は消せやしない。


「……両親、だったか」

「そうだな。お前はそれを踏み潰した」


 俺の、目の前で——


「捨てタバコでも踏み潰すみたいに、それが命であると気が付かず普通に殺した」

「……」


 やっぱり——殺したのか。

 今更になってその事を現実だと理解する。

 脳が、ようやく納得する。

 捨てタバコを踏み潰した事なんて無いのに、

 それでも人を踏み潰した事はある——多分、あり過ぎるくらいに、ある。


「なあ……俺はどうすればいい? なあ応えろよ……ヴィータマン」

「……」


 何も言えない。

 何も考えられない。

 何を——すればいい?

 何も出来ぬまま、ただ俯いて、沈黙していると、


「ッ——!」


 紡がちゃぶ台を叩く。

 俺は……おそらく、十歳は離れているであろう少年の、そのまま感情を受けて、身を強ばらせる。

 情けない——としか言いようがない。


「だから、殺したくなるって言ってんだろ……! 俺だって分かってるッ——あんたが戦わなきゃヤバいってのは、その戦いには……必ず、犠牲が伴うんだってのは百も承知だ!」


 それでも——と、紡は声を震わせ、今にも泣き出してしまいそうな声で続ける。


「憎しみが湧くんだ! あんたに対してだけじゃない、俺はあの日から、から! この世の全てを憎んでしまう! 憎くて憎くて仕方がない。親の居るアイツやアイツやアイツやアイツが! 親をヴィータマンの戦いで失おうと懸命に、真面目に生きている奴がッ——憎くて、憎むしか出来なくて……」


 紡はもう、泣いていた。

 悲しみじゃない。

 怒りでもない——その感情が一体なんという名を持つのか、俺は知らなかった。


「そんな自分が、憎くて、殺したくなって、でも——死ねなくて、その殺意は憎悪の要因たるヴィータマン——つまりあんたに向けられる……」


 他責の果ての、自責思考。

 強弱の入り交じる精神は——おそらく、熱と冷気を交互に浴びせられた岩石のように、脆いのだろう。

 紡の心は強いのに、弱い。

 強くて弱いから、多分——簡単に壊れてしまう。


「俺はどうすればいいんだ……俺は——」

「……」


 答えなけれらならない。

 何を言えば良いか分からない——どちらにしたってどうだっていい——なんて言葉で済ませていい場面じゃない。

 何でもいい、その場しのぎでもいい。

 ヴィータマンとして、

 彼の父と母を奪い、その人生を歪めてしまった者として、せめてもの償いをしなければならない。

 五十音、たった五十個の音を並び替えるだけだ。

 それだけで良いのだ。

 なのに、だというのに——俺は何も言えない。

 タイムリミットらしい。

 紡は涙を拭って、ふらつきながら立ち上がる。


「……殴りかかったり、切れたり——悪かった。けど本人に向かって叫べて……少しスッキリした」

「……そうか」


 そうか——たったそれだけ。

 何と無愛想な事だろう。

 紡はそれ以上何も言わず、戸の所まで行き、開く。

 部屋を出て、扉を閉ざそうとした所で——口を開いた。


「スッキリしたからと言って……憎しみは消えねーからな」


 恨み節だった。

 捨て台詞だった。

 そしてそれは——自己嫌悪だった。


「……はあ」


 ため息をつく。

 そういえば、昔ため息をつく度寿命が縮まるという話を聞いた——まあ、どれだけ吐こうと、ヴィータマンである俺の寿命は縮まりようがないのだろうが。


「早く終われよ……こんな人生」


 やけになって呟く。

 多分、最低な言葉だった——紡に聞かれてしまえば修羅場なんて言葉じゃ済まなくなるだろう。

 そのまま床に、布団を敷かずに寝転がり、瞼を下ろす。

 視界を暗闇が覆った。

 やがて暗闇は意識までも覆い——俺は、眠りに落ちた。

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