禁じられた旋律 2/禁忌(2)

 管理者メルキオールが衛兵に連行されて数時間後、『調和の間』では、ザイオンとアフロディアだけが自分の席に座り、お互い干渉する事なく過ごしていた。

 天井から吊り下がる豪奢なクリスタルシャンデリアの光の下、ザイオンは分厚い本を何冊も机に積み上げ、そのうちの1冊を熱心に読んでいる。

 アフロディアは、数多くのモニター画面を展開し、〈魔世界デーモニア〉〈人間界オートピア〉〈死世界タナトピア〉3世界の様々な地点を映す映像をつまらなそうに眺めている。

 重い空気の中、2人は一切の会話もなく過ごしていた。


 この部屋の最後の住人フォルセティはというと、チームの代表として事件の説明を受けに招集された為、この場にはいない。

 呼び出しに応じ、かれこれ4時間が経とうとしていた時、彼は重厚な扉をゆっくりと押し開き部屋に入ってきた。


「……ただいま帰りました」


 疲れた顔をして自席に座わると、体の全てを背もたれに預けて大きく息を吐き出す。

 その所作で、彼がいかに疲弊しているか2人には感じ取れた。


「お茶、飲むかしら?」

「――えっ?」


 アフロディアが席を立ち、優しげな眼差しを向ける。

 灰色の瞳を丸くしてフォルセティが絶句すると、彼女は返事を待たずに紅茶の準備を始めた。

 思わずこぼれそうな言葉を飲み込み、礼を言う。


「ありがとうございます。頂きます」


 あのアフロディアが、自ら進んで他人の分の茶を入れるなんて滅多にない。

(一体どういう風の吹き回しですか?)と心で思っても決して口には出さなかった。


 暫くすると紅茶の良い香りが部屋を満たしていった。


「はい、ザイオンも」

「ああ、すまない」

「いただきます」


 思わぬアフロディアの行動に2人は驚きを隠せなかったが、鼻腔をくすぐる芳醇な紅茶の香りが心を鎮めていく。

 しばし紅茶を楽しみながら、フォルセティが話を切り出すのを2人は待っていた。


「先ほどの集まりでは、事の具体的な詳細までは分かりませんでしたが…… エディットが言っていた通り、メルキオールが管理する世界への過度な干渉が原因とのこ事です」


 フォルセティは、ティーカップをソーサーに置くと、背もたれから体を起こしテーブルの上で指を組んだ。


「まだ調査段階で確証はないとの事ですが、まとめると――」


 ザイオン、アフロディア両名と視線を交互に合わせ、彼は落ち着いた声で語り始める。

 

「メルキオールは、私たちの管理する3世界と非常によく似た別の世界群を管理していました。彼はその世界、我々で言う所の〈人間界オートピア〉に特別な力を持つ人物を彼自身の手で作り出しました。勿論、他の2人の管理者には秘密にして……」


 フォルセティは、やや辛そうに声のトーンを落とす。


「この行為は、知っての通り、ある種のバランスブレイカーとして機能し、禁じられた介入と見なされています。メルキオール自身は、自らの行為を通じて、3つの世界に新たな変化や可能性をもたらせると信じていた様です。彼は研究熱心で真面目な人物であり、その行為は彼の深い考察と、世界に対する真の願いから生じたものだったのでしょう。しかし、その信念は徐々に狂気へと変わり、『真なる調和』を目指し、3つの世界を無理やり1つの世界へ統合するべく魔王を作り出す計画へと発展していった。と言う事です」


 フォルセティの話に、ザイオンは腕を組み両目を閉じて、アフロディアは蒼みがかった美しい黒髪を指でくるくると巻きながら黙って耳を傾けた。

 フォルセティの話が終わり、しばしの沈黙が流れた後、やがてザイオンが口を開く。


「で、メルキオールは?」

「今のところ衛兵の管理下の元、留置場にて拘束されているようです。直ぐに審問会が開かれ、彼の処遇は神フレイヤ様の名のもと、断罪されるでしょう」

「どれ程の罪状となるのかしら?」


 アフロディアの問いかけに、フォルセティは顔をしかめて小さく首を振る。

 

「……これが事実であるとするなら…… 良くて……」

「良くて?」

「このアースガルズからの追放…… これは魂の消滅を意味します」

「じゃあ、悪くて?」

「永遠の投獄…… 未来永劫、彼はその罪を背負い監禁されます」

 

 フォルセティが重い口を閉じると、部屋の中ではまたもや息詰まる沈黙が支配した。

 しばらく続いた沈黙を破ったのは、やはりザイオンであった。

 彼は、メルキオールの行為に対して絶対的な拒絶と怒りを示したのだ。

 

「ふん。当然の報いだな。メルキオールの行為は、私たちが守るべき原則に…… いや、創造主たる女神フレイヤ様に対する背信行為だ。ヤツがどれほど世界を想い、真摯たる意図を持っていたとしても、その方法は許されるものではない」


 天板の分厚い執務用デスクを殴りつけ、ザイオンの声が『調和の間』に響き渡る。

 彼の言葉は、長きに渡り管理者としての自負から来る重みを持っていた。

 そして、その大きな体からは、常に正義の実現を求める強い意志が感じられる。


「しかし、ザイオン、私たちは新たな可能性を常に求めてきたはずよ。メルキオールの行動には確かにリスクが伴うけれど、その中に見出されるかもしれない新しい調和の形を、私たちは全て否定すべきではないわ。彼の研究がもたらすかもしれない新しい世界観、それは私たちが今までに見た事がない景色かもしれない」


 一方、アフロディアはザイオンの意見に反論した。

 緩くウェーブのかかった前髪をかきあげて挑発的な視線を送る。


「なんだと! アフロディア! お前はメルキオールの行為を肯定すると言うのか⁈」

「そうは言っていないわよ。確かに彼は禁忌を犯した。ルール違反を支持するつもりはない。でもね、全てを頭ごなしに断罪する愚を憂いているだけよ」

「何を馬鹿な! ルールは絶対だ。創造主の意志の中、我々は敷かれたルールの中で全うする事が全て。ヤツは禁忌を犯した。断罪せねばならぬ。どんな理由や考えがあってもだ!」

「ふん…… 思考停止ね。話にならない」

「貴様! もう一度言ってみろ」


 ヒートアップする2人に、珍しく声を荒げてフォルセティが割って入る。


「2人ともいい加減にしてください!」


 いつも彼が発する声より、いくぶん低い声が部屋に響く。

 興奮していつの間にか立ち上がっていたザイオンとアフロディアも、あまり感情を出さないフォルセティの怒りを含んだ声に驚き、冷静さを取り戻すと静かに席へ腰を落とした。


 フォルセティは、2人の顔を交互に見ながら複雑な表情を浮かべた。


「私は、メルキオールの行為を支持する訳ではありません。しかし、彼が追い求めた理想が何であったか、それを理解しようとする事は私たちにとっても重要だと私も考えます。私たち管理者は、世界の調和を保つためにここにいる。だが、その調和が何であるか、時には新しい視点で見直す必要があるのではないか。メルキオールの考え方がもたらす新しい調和の形、それは彼が残した問いかけでもあり、私たちも考える価値があると考えます」


 アフロディアの意見に同調する様なフォルセティの言葉に、アフロディアは大きく頷き、ザイオンは眉間に皺を寄せ怒りの表情を見せる。

 彼の言葉は、管理者たちが抱える根本的な問題を浮き彫りにしたのだ。

 それは、彼らの使命と、その使命を果たす方法に関するものであった。

 ザイオンは絶対的な秩序と規律を重んじ、アフロディアは新しい可能性と変化を求める。

 今まではフォルセティがその中間に立ち、どちらの意見にも耳を傾け、最終的な調整をする役割を担っていた。

 しかし、今の発言はアフロディアに近しい。ザイオンが不満を持つのも無理はない。

 だが、フォルセティの話は続いた。


「しかし、最終的には、メルキオールの行為は裁かなければならない。彼の行為は、世界を彼の意向で捻じ曲げることを意味します。それは、私たちが観察すべき世界の均衡を脅かす。そして、それは私たちの使命に反し、主神の大いなる意志である、『自発的に成長し調和の取れた世界の創造』に叛く行為です」

 

 フォルセティの声は重く、彼らの前に立ちはだかる決断の重さを象徴していた。


「この件に際して、我々がどうこう言う権利はありません。審問会で結論が出て、我々はそれに準じます。そして、我々は2度とこの様な事を起こさない為に各自が気を引き締めなければなりません。私たちの使命を今一度思い出し、仕事に取り組みましょう」

「勿論だ」

「……分かっているわよ」

「なら、この話はここまでにしましょう。我々の所にも調査の手が入ると思いますので、現状の資料などをまとめておいてください」


 最終的にフォルセティが話した内容にザイオンは納得をし、アフロディアは渋々ながらも同意はする。

 

 この事件をきっかけに、彼らは管理者としての重責を改めて感じる機会となった。

 それは、彼らがそれぞれの見解と感情を超えて、最終的には世界の調和を最優先するという共通の理解に基づいていたからである。

 そして、この深い議論は、彼らが直面している課題の複雑さと、その解決に向けた彼らの使命の真の意味を彼らに思い起こさせる事となった。

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