閑話/神室倫道

 時は少し前にさかのぼり、神室倫道の実家にある自室。

 久重と五十鈴、そしてデルグレーネと貴重な休日を過ごした夜。

 皆と夕食まですませ帰宅した彼は、風呂上がりの体を涼めようと縁側に立つ柱へ背中を預ける。

 少しずつ大きくなる虫の声が秋の到来を予感させ、満月に近い大きな月が草木を照らしていた。


「……ああ、楽しかったなぁ」


 夜空に輝く星を見上げ、月光を頬に浴びながら独りごちる。


「バーリさん、生卵にあれだけ驚くとは…… くくっ」


 笑いが込み上げてくる。

 久重、五十鈴、レーネさん、そしてバーリさんを加えた俺たち5人は、純喫茶を後にすると街を散策しながら海岸線まで歩いた。

 浜辺でのんびりと海を眺め、黄金色に輝く夕日に満足すると、せっかくの機会と皆で夕食を共にする事となった。

 海岸からまた街中に戻ると、何を食べるか少しだけ揉めたが(久重と五十鈴が)結局は、五十鈴のお勧めの店へ行く流れとなった。

 さすが十条流家元の令嬢が薦める店はやはり格が違う。

 俺は些か緊張しながら歴史を感じさせる牛鍋屋の暖簾のれんをくぐる。こうして昼にも増して豪勢な夕食となってしまったのである。

 前菜を食べ終えて、中居さんが牛鍋の支度をしてくれると、バーリさんの笑顔が引き攣った。

 

『……ええ〜、生卵を肉に絡めるのかい……』

『めちゃくちゃ美味いっすよ。それに高いんだから、食わないと損っすよ』

『う〜ん、でも…… うぇ⁉︎』

『なに?』


 勢いよくパクパクと食べていたレーネさんに驚くバーリさん。

 その仰天顔のバーリさんと、彼の事を全く気にせず目の前の牛鍋を美味しそうに食べるレーネさんの姿に、俺と久重と五十鈴は腹を抱えて笑ったのだ。

 

 先日の訓練合宿では、沢渡さんや五十鈴が主に飯の準備をしていたが、全てでは無い。俺たちも準備を手伝ったところ、卵かけご飯という手抜きの一品が登場した。

 しかし、その手抜きな食事にレーネさんとリーナさんは興味を持ち、何やかんだで好きになったようだ。


『この国に来て、これを食べないのは勿体無い……』

『う〜ん…… まあ、君が言うのなら……』


 眉間に皺を寄せ、恐る恐る箸を口の中に運ぶバーリさん。

 意を決して卵に絡まった牛肉を何回か咀嚼すると、たちまち深い灰色の瞳を大きく開き感嘆の声をあげたのだ。


『――美味い!』

『でしょう! ほら、早く食べないとなくなっちゃいますよ』

『おっと、それはいけないね。ああ⁉︎ 久重! 僕の分も残して――』

『早い者勝ちっ――』

『行儀よく食べなさい!』

『……もぐもぐ』

 

(随分と騒がしい食事に中居さんも一緒になって笑っていたな)

 

 思い出して改めて笑うと、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。

 

 軍隊の門をくぐり訓練兵として日々を当たり前に過ごしてきた。

 このまま何の疑問も持たずに生きていくんだと思っていた。

 しかし、訓練の一環として訪れた須賀湾での警備任務の夜、俺の運命は変わった。

 カオスナイトメアとの戦い。そこでバーリさんとも出会った。

 久重、清十郎と共に妖魔カオスナイトメアとの攻防、運よく善戦はしたが実力は圧倒的に劣っていた。

 何度も攻撃を受け、もうダメだと死を予感したその時、濡れた様に輝く黒色の翼をはためかせ白金色の髪をした魔人に命を救われた。


「あの時は…… 月も影に隠れて暗かったか……」


 美しい後ろ姿、少しだけ向けた横顔は、影になってよく見えなかった。

 

 カオスナイトメア事件の後、俺たちは魔道訓練兵として八神教官の元、激しい訓練を再開していた。

 同じ訓練兵たちと寝食を共にし、その日の訓練で体力を使い果たしぐっすりと眠っていた夜。

 俺たちはまたしても事件へ巻き込まれる事になる。

 

 ユナイタス合衆国の魔法特殊部隊ノヴス・オルド・セクロールムの中でも精鋭部隊とうたわれるアルカナ・シャドウズが俺たちを拉致するべく基地へ強襲をかけたのだ。


「あの時は…… こんな月夜だったな……」


 俺たちは後ろ手に拘束され、トラックの荷台に荷物さながらに詰め込まれた。

 相手は格上の兵士。俺たちは手も足も出なかった。

 このまま連行されると恐怖に震えた矢先、デルグレーネさんとカタリーナさんが俺たちのピンチを救ってくれたのだ。


「あれもビックリしたな……」

 

 トラックの荷台に張ってある幌を勢いよく吹き飛ばす風魔法。

 カタリーナさんが俺たちを文字通り吹き飛ばし、拘束を解いてくれたのだ。

 やがて山崎隊長と柳田副長も駆けつけてくれ、俺たちは訓練所に建つ射撃場へ身を隠した。

 そこで、アルカナ・シャドウズと闘う事となる。

 山崎隊長と柳田副長の指揮の元で必死に争っていると、天井を破壊して更なる強者が乱入してきた。

 ジェイコブ・ストーム。アルカナ・シャドウズの隊長、別名サンダーストライク。そいつが紫電を身に纏い現れたのだ。

 そして、もう一人。ボロボロになったデルグレーネさんも。

 ジェイコブは恐るべき力を持つ魔人であった。

 山崎隊長、柳田副長も善戦したが、やがて敗北を喫した。

 だが、そこまで奴を追い詰めたお陰で俺とレーネさんの共鳴した魔法がジェイコブを撃ち抜いた。


「いま思っても奇跡としか言いようがない……」


 全ての力を出し切り、あの時の事はよく覚えていない。

 だが、自分の中から魔力が湧いてくる、いや、体の外から魔力を取り込んでいる感覚が俺には残った。


「デルグレーネ・リーグさん……」


 一緒に魔人ジェイコブ・ストームと戦ったゲルヴァニア国の魔道兵。

 美しい金髪の少し小柄な女性。

 俺は、この人に何とも表現のできない感情を持っている。

 始めた会ったその日からずっと……


 そして、先日の合宿。

 柳田副長やレーネさんから地獄の様な特訓を受けた。

 だが俺は、その地獄の特訓の間中、俺の中にあるものが何なのか、ずっと考えていた。

 しかし、答えは出ない。

 

「あああ〜……」

 

 腹の底から鉛の様に重い息を吐くと、「ふぅ」と一息入れて縁側に寝転ぶ。板の間の冷たさが心地よい。


「それにしても久重のやつ…… 俺が何も気づいていないと思っているんだろうな」


 実際、俺だってそこまで鈍くない。

 少し前から五十鈴が俺のことを憎からず思ってくれているのは、何となく気づいていた。

 色々と世話を焼いてくれて、心配をしてくれて。それでも、いつでも笑顔で俺のそばにいてくれた。

 

 そんな彼女をみていたからこそ、久重が五十鈴を目で追っているのも気がついた。

 俺に取っては大事な二人。

 どうするべきか悩んでいると、俺の前にデルグレーネさんが現れた。

 彼女を一眼見た時から、俺の胸の中で何かが溢れたのだ。

 これが恋慕なのか俺には分からない。ただ彼女から目を離すことができなかった。


 今となっては、カオスナイトメアから俺たちを守ってくれた白金色の長い髪をした美しい魔人。夢に見る少女。そして、いま目の前にいるデルグレーネ・リーグが全て重なって見えていた。


「ラウラ……」


 思わず口から溢れでる言葉。

 これは夢の中に出てくる少女の名前だと今でははっきりと思い出していた。


「ラウラ…… 君が誰なのか。レーネさん、貴方は……」


 満点に輝く星空へ、俺の言葉は飲み込まれていく。

 キュゥと胸が締め付けられる。

 彼女たちの事を思うと、温かくも切ない感情で俺は揺れてしまう。

 この胸の奥にある気持ち。

 命の危機に瀕した時に解放された記憶の断片。

 黄金に輝く左目と湧き上がる魔力……

 俺は自分自身の気持ちや体のことさえも分からない。


「俺は…… いったい何なんだろうな……」


 ゆっくりと体を起こし、立ち上がる。

 軽く柱を右拳で叩くと、苛立ちを殴り捨てる。

 夜空に浮かぶ大きな月へ向かって軽く頭を下げた。


「何も分からなくていいかもしれない。今日みたいに皆が楽しく…… どうか…… 皆が幸せに暮らせます様に……」


 俺の声に先ほどまで騒いでいた虫たちは合奏を止め静まり返る。

 数秒が経ち、やがて1匹、また1匹と中断された演奏会は再開された。


 大層な願い事ではない。皆が人生を当たり前の様に生きて欲しいと願っただけだ。

 しかし、俺の願いは早々に叶わぬものとなり、やがて更なる激動のうねりに俺たちはその身を焼き焦がすことになってゆく。

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