みえない糸に導かれて 6/暗躍の香り
デルグレーネと倫道たちが休日を過ごしている中、カタリーナは帝都東光郊外にある山間の村に足を運んでいた。
ここは
白亜の壁を彩るツル植物はいまだ青々としているが、洋館を囲む木々は秋の訪れを感じさせていた。
「あら?」
カタリーナの視線の先には庭の手入れをしている老婦人がいるが、こちらを気にする素振りも見せない。
気づいていない訳では無い。
来訪者には極力関わらない
彼女の様な存在は世界各地に多数おり、その名も
現地での情報収集や工作の根回し、そして日常生活の手伝いが主な仕事だ。
「彼女で何代目なのかしらね」
献身的に働く老婆に思わず独り言を呟き、軽く会釈してカタリーナは玄関の白く重厚な扉を開いた。
領域マネージャーであるエヴァン・モリスの執務室。
地図が壁を埋め尽くしている薄暗い部屋の中、多数の本に囲まれて彼は静かに座っていた。
「やあ、カタリーナ。調子はどうだい?」
「まあまあね。それより良い香りね。私にも頂戴な」
「勿論だ、しかし、ミルクはちょうど切らしていてね」
薄い色味のサングラスの奥で、悪戯っ子ぽく瞳を細めて首をすくめる。
「ふふ、レーネじゃあるまいし。私はブラックで構わないわ」
「はははっ、オーケー。まあ、楽にしてくれたまえ」
エヴァンはカタリーナへ着座をすすめて、自らはコーヒー豆の上にお湯を垂らしていく。
まるでカタリーナが訪問する時間を知っていたかの如く、コーヒーカップが事前に準備されていた。
(どんな情報網を持っているのかしら……)
ソファーに腰を下ろし、エヴァンを興味深げに見上げると、彼は片方の口の端を吊り上げニヒルに笑う。まるで彼女の心を読んだかの様に。
それに毒気を抜かれたカタリーナは、考えても
彼は
魔物の対応から世界情勢まで、あらゆる事態を掌握し管理しているのだ。
一介の
「さ、入ったよ」と言ってエヴァンが大理石製のローテーブルにコーヒーを置いた。
「……チョコレートも欲しいわね」
エヴァンは自分の分もテーブルに置き、一人掛けソファーに腰を下ろすと軽いため息を吐く。
「君もデルグレーネと変わらないよ……」
◇
「なるほど……」
帯同した遠野郷の報告をカタリーナから受けたエヴァンは、腕を組み背中を深々とソファーに沈めた。
合宿に行ったメンバーの詳細。訓練の内容。
合宿中に突如として現れた強力な魔物の話、そしてそれが倫道たち訓練兵の試験の最中に起こった事。
さらにその魔物が珍しい種であるなど、合宿期間に起こった事柄の詳細を一つ一つを丁寧に報告した。
特に時間を割いたのは、合宿の最終試験中に起こった魔物の襲来についてだった。
やがて小一時間ほどで報告を終えたカタリーナは、ぬるくなったコーヒーで喉の渇きを潤す。
彼女の言葉に深い関心を示しながら、静かに聞き入っていたエヴァン。両目を瞑りながら、しばらく黙考をしていたが、やがて口を開いた。
「……それで、君はそれらをどう思う?」
水を向けられたカタリーナは、カップの底に残っていたコーヒーを飲み干してから軽く首を振る。
「この一連の出来事は偶然とは思えないわ。いいえ、もっと前からかしら。訓練兵の彼らがカオスナイトメアと遭遇し、アルカナ・シャドウズに襲撃を受けた。どう考えても繋がっている気がしてならないわ」
「…………」
「そして、その中心にいるのは神室倫道…… そして……」
彼女は言葉を飲み込み問い詰めるような視線を送るが、彼は微動だにしない。
じれたカタリーナは、身を乗り出してエヴァンに詰め寄る。
ふわりと揺れたオレンジ色の前髪の下から覗く視線は射る様に険しい。
「貴方は何を知っているの? そして、御堂雄一郎という男…… 彼は何者?」
氷の様に冷たい視線が交差する。
お互いの腹の中を探る様に。
「詳しくは言えない…… いや、分からないと本心を伝えよう」
視線を外す事なくエヴァンが「あくまで想像の域を超えないが……」と断りを入れて続ける。
「デルグレーネが何らかの鍵を握っている可能性が高い。そして、彼女と因縁のある神室倫道もまた同様にだ。彼女はイレギュラーな存在として〈魔世界/デーモニア〉で生まれたと聞く。魔素を際限なく取り込み自身の力にしていく稀有な魔人だ。その力は常に増大し限界まで行くと世界が滅びるほどの力を持つとな」
「……ええ、そうね。そして、その特殊な力は倫道にも発現した。ただ、彼の場合はその場で全て使い果たして元に戻るみたいだけど」
「報告によるとそうみたいだな」
「じゃあ、彼女達の持つ能力が様々な事件を引き寄せているというの?」
「それも有るかもしれない。しかし、それだけでは無い気もする」
「どういう事?」
エヴァンもカタリーナと同様に身を乗り出して低く小さい声で言い放つ。
「各国の軍部やそれに準ずる魔物たちの介入…… または、我々と同様の立場の者たちが裏で動いている可能性もある……」
「私たち
「ああ、もしそうであれば……
「それって……」
瞠目するカタリーナ。
それ以上の言葉を継がせない様にエヴァンは瞳へ意志を込める。
彼の言いたい事を理解した彼女は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
時が止まったかの如く空気も動く気配がない。ただ、壁にかかる時計の時を刻む音が執務室に響いていた。
やがてエヴァンが勢いよくソファーに倒れ込むと天井を見上げる。
「ここから先は慎重に行こう。何があるか分からない」
「ええ、そうみたいね……」
「私も出来る限り調べてみよう。君には引き続きデルグレーネは勿論、彼女の周囲について気にかけてくれ」
「分かったわ」
「……今回、派遣されてきたのが君で良かったよ」
「あら、お世辞?」
「いや、本心さ」
エヴァンは、笑いながら2人分のコーヒーカップを手に取り立ち上がると、2杯目のコーヒーの準備をする。
「飲むだろ?」
「ええ、いただくわ」
火にかけたヤカンから蒸気が漏れ出し、シュンシュンと音を立てる。
「それと……、御堂と私の間には過去に何度もの接触があった。彼が若い頃、欧州に来ていた時にな」
「やっぱりね」
「しかし、彼がこの件にどう関わっているのか、私にもまだ見えていない」
「彼は
「いいや、それは無い。しかし、近しい立場なのは間違いがない。我々の活動理念を理解し、協力体制にあると言ったところかな」
「まあ、今までの事を考えると納得と言ったところかしら」
差し出された2杯目のコーヒーを飲み干すと、カタリーナは「ご馳走様」と言って席を立った。
「エヴァン…… いえ、なんでも無いわ」
「そうか、次の連絡は――」
◇
帰りの道中、車で来ていたカタリーナはあまり整備もされていない峠道を運転をしながら思い出す。
それは先ほどのエヴァンとの会話。
「神室倫道がデルグレーネの特異能力である魔素吸収をした…… その後、彼に変化はあったか?」
「う〜ん…… 特に変わった所は感じなかったかな。彼の場合、一種の覚醒状態になると周囲の魔素を吸収して魔力を底上げする感じね。でも、その後の彼の魔力は吸収前と変わらない…… と思う」
どこか歯切れの悪いカタリーナにエヴァンは視線で先を促す。
「体には変化がないけど…… 倫道は今、前世の記憶を取り戻しつつあるみたいね」
「それはデルグレーネが探していた人物の…… という事か?」
「ええ、彼女の態度からすればそうでしょうね」
「まさか……」
思わず口元を抑えるように右手が動く。
「なるほど…… デルグレーネの魔力因子が入っているからか。普通は同じ魂の輪廻だとしても、記憶があるなど――」
「でも、前世の記憶を持つ人間もいるわよね?」
「確かに記録はある。しかし、極めて稀なケースだ」
一際大きな段差に車体がバウンドすると、カタリーナの意識も一緒に戻った。
そして、エヴァンの言葉を
(極めて稀なケース…… そんな事は分かっている。でも、あの二人を見ていたら私だってと思うじゃない! ヨアヒム…… きっと私たちも出会えるから)
陽も落ちて暗くなっていく山道。
フロントガラスに映る彼女の顔が、とても悲しそうに微笑んでいた。
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