鈴蘭をもう一度 著者:テオドール・ヘルキャット
干月
第零輪ー逆行
逆行、というものをご存知だろうか。
ご存知でない方のために簡潔に説明をするなら、いわば記憶を持った状態での人生のやり直しだ。もっと分かりやすくいうなれば、推理ゲームをもう一度プレイする感覚に近い。否、現実世界はプログラムでは無いため、一周目とは全く違う形で進むこともありうる─というよりむしろ、プレイヤーである俺自身が全く違う行動をとったゆえに、何もかもが異なる展開を迎えたのだが、それはまあよしとしよう。
十五歳で私の人生は一度幕を下ろした。死んだわけではない。
精神は確かに病んでいた部分はあったが、それでも自殺を試みるほど私は愚かではなかった。
親友を思い何をするでもない時間を過ごす時間もあったが、それでも人生を諦めようとするほど私は愚かではなかった。
そうしてしまうと、親友は悲しむだろうと分かっていた。私は私なりに、彼と再会した時に、人生を謳歌したと胸を張って言える人生を送りたかった。
私の親友は、十四歳で命を落とした。悪魔を殺すことと引き換えに、英雄となってその生を終わらせたのだ。
彼はあの瞬間、間違いなく皆にとってのヒーローであった。
私が所謂逆行をしたと気付いたのは、その彼が花を散らした翌朝のことである。
その夜は眠れやしないだろうと思っていたが、みっともなくも泣き疲れたのか、私は気絶するように眠りについていた。
私は朝、本来するはずのない声で目が覚めた。私は研究室で、一人泥のように眠りについたはずだ。研究室には他に人などいなかったはずで、誰かの声が明瞭に聞こえるなどあろうはずもない。
しかし私はそんなことを考える頭などありやしなかった。ただでさえ、親友の死に動揺し、気が狂いかけていたのだ。寝起きで違和感に気づけるほど、私は冷静ではなかった。
おかしい、と思ったのは、身体を起こしてからの話である。
昨晩いた部屋ではない、けれど見覚えのある部屋。
幼少の頃はよく目にした部屋だった。
次に、私はベッドから降りようとした。ベッドはそう高くはなかったはずだというのに、足が床につかない。その上、見えている足が明らかに小さい。どうみたって、百八十近くある男の脚ではなかった。
私は慌てて鏡を見た。鏡には、ただでさえ童顔の顔が、余計に丸く幼くなっていた。
次いで私は、日記を見た。三歳か四歳辺りから、私は毎日欠かさず日記をつけていた。日記の最終日さえ分かれば、今が何日かを把握することはできるだろうと思った。
実際その考えは当たっていた。文章があまりにも子どもらしく無さすぎて笑ってしまったが、確かに日付けが記されていた。何年かまでは分からなかったが、ある程度予測はついた。
私はそれが「逆行」であるということに、初めは気づかなかった。皆様もお思いかと思うが、非現実的すぎるのだ。
もしかしたらここが地獄なのかもしれないとすら思えた。私が地獄に行くようなことを何かしたとは思っていなかったが、この環境自体は私にとって地獄でしか無かったためである。
そうでないと気付いたのは、幼き親友にほんのりと仄めかして現状を伝えたところ、「時間が巻き戻ったのかもしれないね」と言ってきたためである。
神様が助けてくれたのかもしれないし、もしかしたら私が生きたと思ったこの十年は夢で、私にチャンスをくれているのではとすら思えた。
何はともあれ、私はここで目標が定まった。
次は、親友を死なせない。
この本は、そんな私の奮闘の一部始終を書いた、エッセイ本である。
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