ラピスラズリの首飾り ①

「孫娘ちゃんよぉ! これ、ちーっとしょっぺえぞ?」


 時刻は正午過ぎ。

 マーハの街はずれの麦畑では、奴隷たちが昼食のピタに食いついていた。

 袋になった薄焼きの生地に、挽いたクミンをまぶした炙り肉を詰めたもの。市場バザールで買ってみた塩漬けの羊肉を使ったはいいが、塩抜きが少々足りてなかったらしい。

「お、お前ら……こんな美味えもん食ってたんか? 天罰が当たるぜ……?」

「ぎゃははは、安いもんだぜ! 天罰一つで食えるならよ!」

 ピタを一口食べて困惑しているのは、今日から現場に加わった奴隷だ。

 ヒマールが昨日の事件のことを奴隷主に報告したところ、すぐに補充の奴隷が調達され、さっそく今日から投入された。そのヒマールは、一人でピタを食べながら脇腹をさすっている。奴隷四人という損失で、主人はヒマールに罰を加えたらしい。


「はいはーい! しょっぱいって人、こっちに飲みに来てくださいね!」

 孫娘ことサフィは、運んできた鍋から野菜出汁のアーシュをすくい、素焼きの器に注いでいく。

「かああ~っ! やっぱ美味えぇっ!」

 器の数が足りないので、飲み終わった器を返させては次の者に与える。順番を待ちきれない一人が「口に直接くれ」と言うので流し込むと、案の定アーシュで溺れ、打ち上げられた魚よろしく転げ回った。新しい顔ぶれも含めて腹の底から笑い、ひょうきん者は真似をして一緒に転がった。

 あんな事件の後だというのに、奴隷たちに気に病んだ様子はない。

 まるで、似たような惨劇を数知れず見てきたと言うように。


 ひと通りアーシュを配り終えると、サフィは二人分の昼食を持って歩いていく。シドルクが待っていた。積まれた土袋に並んで腰をかけ、ピタを同時に一口かじる。

 もっしゅもっしゅと咀嚼しながら、シドルクは一口かじった断面を見ていた。どうにも、はじめて食べるものや見るものを観察する癖があるらしい。

「美味い」

「…………あのさ、なに食べてもそう言ってない?」

「…………?」

 ごくん、と喉仏を一往復させてから、シドルクは向き直った。

「いや、婆さんの時は言ってない」

「ふぅん…………本当かなぁ」

 サフィは、また一口ピタを食べた。じゅわっと湧いてくる肉汁と塩気を味わいながら、ついさっき「しょっぱい」と言ってきた一人を思い出す。

 出逢ったばかりの頃の彼らなら、このくらいの塩辛さは美味い美味いと言って食べていたはず。ここ何日かの食事で舌が肥えた、というより、人らしい味覚を取り戻してきている。その変わりようが嬉しい。

 預かった食費を中抜きするために、「世話焼き婆さん」がどれだけ粗末な食事を与えたのかは想像できる。塩気も甘みもない砂粒だらけの練り粉。そんなものでも、極限まで飢えた彼らにとっては命の糧だったのだろう。口に入れた瞬間に「美味い」と言ってしまう癖がついても、仕方ないのかも知れない。

「言ってない」

「へっ?」

 雲が差したように、フッ……と日陰が落ちた。逆光に陰っているシドルクの顔。黒曜石のような曇りない瞳に、間の抜けた少女の顔が映っている。


 ぽかんと空いた口に、突然、塩の味がした。


「んむっ⁉」

 口に入れられたものを噛み、咀嚼する。同じ味だった。サフィの手元にあるピタと同じ、香ばしく炙られた塩漬け肉の味。

 美味しい。

 我ながら、お世辞が要らないくらいには、美味しい。

「…………嘘なんて、言ってない」

「んぐ…………う、うん…………ありがと」


 心臓に悪いよ!と声なき声で叫ぶ。

 これが女たらしの口説き文句なら辟易するところだが、この男の行動に裏なんてないのは、サフィが一番理解していた。



 一方その頃、ジュニは少し離れたあぜの斜面にいた。同い年の少年奴隷・リダの横に座りこんで、しきりに話しかけている。

「リダっち頼むよぉ! お前だって好きじゃんかぁ?」

「だから嫌だってば………見るだけ見とけばいいだろ、今のうちに」

 リダは斜面に腰をおろし、布きれを貼った板をひざで支えていた。粗末だが、それは立派なキャンバスだ。炭を削ったペンを走らせ、みるみるうちに一枚の絵を描きあげていく。

 描き上がったのはネコの顔だった。

 縦に長い瞳孔から耳に生えた産毛まで、炭ひとつで見事に表現している。まだ頭だけなのに、首から下の出来ばえは約束されていた。

 リダは絵描きの卵だった。一家離散して奴隷になるまでは一流画家の末っ子であり、最も才能のある弟子だった。

「ほらぁ! やっぱりリダっちしか居ないって! 頼むよぉ、今日の晩メシ半分やるからさぁ!」

「そんなに食べないよ。…………ていうか、いつも大きめの服着てるだろ。見えないじゃんか」

 ネコの絵に加筆しながら、ちら……と目線を上げる。

 畑をはさんで反対側に、ジュニの兄貴分である青年奴隷シドルクと、数日前に突如として現れた「孫娘さん」が並んで座っている。

「いや、俺は知ってるんだよ。あの布一枚の下に、すっげえ秘宝が隠してあるって」

「秘宝?」

「ああ、そりゃもう、大秘宝」

 ここぞとばかりに勿体つけて、ジュニがしたり顔を浮かべる。


「孫娘ちゃんな、あんまり背は高くねえけど…………でかいぜ」


 ふと、リダの筆さばきが止まる。

「で、か……っ⁉ なっ、何がだよ……⁉」

「おいおい、とぼけなくて良いんだぜ? 同志リダくん」

「み、みみみ見たのか……⁉ ……っ! お前、まさか……!」

「いひひ、安心しろよ。抜け駆けなんて野暮なことしねえって」

 正確には、野暮なことをしたくても出来ない。同じ場所で、石でなく筋肉で造られた守護獣が寝ている限り。


 リダの慧眼は、すでに「孫娘ちゃん」の長着アバヤに向いていた。


「想像してみろ? あおむけに寝てるとさ、あの島が二つ、寝息に合わせて浮いて、沈んで、また浮いて……」

「………………!」

「夜になると濡れ布巾で身体を拭くんだけどな? その時は向こうを向くんだけど…………背中越しに聞こえるんだよ。衣ずれっていうか、こう、あちこち拭こうとしてゴソゴソしてんのがさぁ」

「……! …………!」

「なあ、孫娘ちゃんは今日でお別れなんだぜ? 頼むよ、リダ画伯せんせい

 リダの右手は、煙が出そうな勢いでペンを滑らせ、止まった。


 毛の一本まで描画された写実的なネコ

 ――――—―の首から下が、やたらと豊満な女の裸体になっている。


「…………ごめん、思ってたのと違う」

「…………知ってる」

 少年たちは、生み出してしまった珍獣を砂に埋め、手厚く葬った。

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