雨上がりの空には

ボタニカルseven

雨上がりの空には



僕は高校生になったその日、初めて恋をした。他の女性とは比べ物にならないほどに美しい彼女に。その美しさは僕の穢れをも浄化してくれるほど。


「優里さん、何か手伝おうか?」

「あ、祐介君。うーん今はだいじょぶかな。ありがと!」


関われば関わるほど、彼女に恋をしていく。花が咲くように笑う彼女、自分のことを少し蔑ろにしても人のことを助ける彼女。その仕草に、その生き方全てに僕は恋をした。交際したいとは思わなかった。ただ彼女のことを見ていれればいいと思っていたから。そんなある日僕は彼女に呼び出された。


「どうしたの、優里さん」

「あのね、祐介君」


そう口を開く彼女の顔は真っ赤に染まっていた。


「私とお付き合い、して欲しいの」


その一言を聞いて、僕は殴られたような衝撃を受けた。こんな穢れている僕でも、普通の恋をしていいのか、普通の恋愛をしていいのか不安になった。彼女がここまで頑張っていってくれているのに、これを断ってしまったら僕は一生普通の恋愛ができないような気がした。だから。


「お願いします」


そう返した。僕の発言を心待ちにしていたかのように、木陰から彼女の友人らしき人が走って出てきた。きっと僕が彼女を振ってしまっていたら、真反対の表情をして僕を怒鳴りつけていたことだろう。


「連絡先、交換してもいいかな」


モヤモヤとした気持ちを抱えていれば、恥じらっている彼女が僕にスマホを差し出してきた。


「うん」


彼女の恥じらいに乗せられた僕は、顔に熱が籠るのを感じながらスマホを差し出し連絡先を交換した。僕らはその日彼女の友人に見守られながら、校門を後にした。


「ね、ねぇ裕介君」

「あ、歩くの早かった?」


しばらく無言で歩いていれば彼女が僕のブレザーの裾をクイっと引っ張ってきた。女性と歩くのは初めてだったし、彼女ができたということで気持ちが先走っていたかもしれない。ドキドキと鼓動がいつもより早いのを感じるし、手汗だっていつもより出る。


「ち、違うの。手、繋ぎたい」


そうもじもじしながらいう彼女はとても可愛らしかった。


「え、あ」

「いや、だったらいいの」


動揺する姿を見せれば彼女はしゅんとして顔を俯かせる。


「いやじゃ無いんだけど、緊張しちゃってて、手汗が」

「ふふっ」


慌てて弁明をすれば、彼女が笑った。その表情に僕は釘付けになる。


「あ、ごめんね。いつもと変わらない裕介君だったから緊張してないのかなって思ったの。だけど、私と同じみたいでよかった」


彼女は、綺麗だ。きっと僕と違って穢れをしらない。だから、僕が彼女の白さを穢しちゃいけない。思いもよらず交際に至れたけれど、きっといつかは僕のこれを話さなければいけない。それを聞いたらきっと彼女は幻滅して、僕のことを振るだろう。それまで、それまでの間だ。この楽園を堪能しておこう。










彼女ができて初めての朝。登校した学校は異常な盛り上がりを見せていた。何やら校門に入ってから視線を感じた。それは教室に近づくほどに強くなる。そして。


「お! 彼氏がご到着だ!」

「ねぇ、優里ちゃんと付き合い始めたってほんと!?」


教室の扉を開ければ、クラスメイトが僕に勢いよく飛びついてきた。身動きが取れないほどに。それにしても、なぜ誰にも言ってないはずなのにその噂がすでに広がっているのだろうか。あ、あの時の二人組か。きっと、彼女の友人が言いふらしたのだろう。


「これ、何の騒ぎ?」


教室に入ってから身動きが取れなかった僕の後ろから、彼女がやってきた。そうすれば、教室がもう一度湧き上がるのは明確で。


「お、カップルが揃ったな!?」


クラスメイトの言葉を聞いて彼女は頬を赤らめた。その反応は言葉を肯定するものだと皆解釈をする。


「ねぇどっちから?」

「きっかけは?」


色々な質問が飛び交う中、一つ異質な質問をされた。


「はいはーい、お二人はどこまでヤッたの〜?」


その質問にクラスは一度静まり返り、恥ずかしがるもの、火をつけられたものに分かれた。高校生という思春期真っ只中の連中には、とても刺激的なもので、興味の対象であった。


「そんなの、まだっ」


彼女はその質問に対し反応を示してしまった。真っ赤っかになって否定をすれば火に油を注ぐようなことと同じであるのに。そう冷静になる僕と、その姿が愛らしいと思う僕で喧嘩をしていた。


「じゃあ、今ここでキスしてみてよ」


その声をきいて黄色い悲鳴を上げる女子。盛り上がる男子。どちらも僕らをキスさせたい一心で、僕らをクラスの中心に押し込んでいった。混乱しながら、彼女は僕の前に立たされた。そして、誰かの仕業かわからないが、彼女が足をもつれさせ僕の上に倒れ込んだ。突然の衝撃に僕は支えきれなくて床に打ち付けられる。彼女が馬乗りになるよう僕の上にいた。


「ーー!」


その光景を見れば、今まで押さえていたものが一気にフラッシュバックをした。綺麗だった彼女が途端に黒く塗りつぶされ、得体の知れないもののように見えてしまった。その黒いものが僕の顔に触れようとして、僕は必死に振り払った。倒れ込む黒いものから僕は必死に逃げた。人でできた壁を掻き分け、ここがどこかわからなくなるほどに走った。必死に走って走って。


「ここ、は」


正気に戻った僕は、今いる場所が学校の屋上であることに気がついた。しかもかなりの雨が降っている。中に入らなければそう思うけれど、一向に足は動かない。頭の中でぐるぐるしているのは、さっきの光景。しばらくしまい込んでいたのに、途端にフラッシュバックしてしまったもの。それは、実の母親のこと。


「ゆう、すけ、くん」


かすかな声を聞き、扉の方を向けばそこには優里、彼女がいた。肩が激しく上下しているところを見るに、僕のことを走って追いかけてきたのだろう。雨であることを気にせずに、彼女は僕の方へ歩いてくる。一度彼女をアレに見えてしまえばもう戻れなかった。優里であることはわかっているのに、勝手にアレに脳が解釈をする。だから、もう全部話して終わりにしよう。一日もなかった僕らの関係を。


「僕は、幼い頃に母親に性的虐待を受けた。何もわからないまま、暗い部屋で母親が喘いでいた。怖くて逃げることもできなくて、僕は目を瞑り顔を手で覆って泣くことしかできなかった。僕は穢れているんだ。さっきだって、君をアレに重ねてしまった。だから、僕はもう無理なんだ。ごめん」


僕がそう告白すれば、彼女は衝撃を受けたような表情をした。そう、それでいい。そして、僕をふってくれ。君のためにも。だけれど、彼女は優しく笑った。


「私も」


小さくそう呟いた。今までに見たことのない弱々しい表情で彼女は吐き出し始めた。


「私も君と同じだよ。小さい頃に父親から、ね」

「うそ」

「嘘じゃない。私、君が初めてなんだ。いままでなら男性はみんな怖くて、何も触れることなんてできなかった。けど君が初めてなんだよ。こんなにも心が安らぐのは」


彼女の表情を見れば、嘘をついていないのは一目瞭然だった。


「僕は、君を穢したくない」

「私も、祐介君を穢したくないっておもってる」

「こんな僕は、白くて綺麗な君には不釣り合いだ」

「そんなことない、私は君がいいの。裕介くん」


ぽつりぽつりと漏らす声に彼女はゆっくり答えてくれる。


「本当にこんな僕でも恋愛していいの」

「それは私だって思ってる」


だんだんと雨が弱くなっていく。


「本当にいいの?」


これは最後の確認だ。これから先、何度もフラッシュバックして彼女を傷つけてしまうかもしれない。だから。


「いいよ。私は君が、裕介君がいいの」


そう言って、彼女は手を差し出した。僕はその手に触れようとする。一瞬彼女がアレに見える。だけど、彼女はアレじゃない。アレじゃないんだ。よく見ればその手はかすかに震えている。きっと、彼女も怖いんだ。男性に、僕に触れられるのが怖いんだ。だけど、頑張って彼女は差し出してくれている。それに気づけば不思議とアレは消えていた。


「優里さん、どうかこれからよろしくお願いします」


そう言いながら手を握れば彼女は笑った。


「うん。よろしくね!」


空には虹が出て、黒い雲はどこかに行ってしまっていた。きっとこれからどんなことも君となら、優里とならのりこえられるそんな気がした。



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