2-14 あと一人

 海棠かいどう家を出ていく学ラン姿の少年に、真っ先に気づいたのは美月だった。

「凛汰、梗介きょうすけくんが、外に……」

 楚羅そらの遺体を遠目に観察していた凛汰は、梗介の行動に気づくのが遅れた。はじかれたように振り返ると、全開になっていた縁側えんがわの窓の向こうを、気ままな黒猫のようによぎっていく少年の姿が一瞬見えた。海棠神社の境内けいだいを歩き去っていく梗介は、神域しんいきへの近道を目指しているに違いない。凛汰は、たたみの遺体を一瞥いちべつしてから、美月に「追うぞ」と声を掛けて、海棠家を飛び出した。

 拝殿はいでんの裏手に位置する御山おやまに入ると、前方に学ランの背中を見つけられた。一定の距離を空けて追ううちに、木々の向こうの参道さんどうから、誰かの足音が聞こえてくる。凛汰の前を行く美月が、左手に視線を走らせて、毒気どくけを抜かれた顔でささやいた。

浅葱あさぎさん……?」

 参道を歩いているのは、楚羅の遺体に寄り添っていたはずの浅葱だった。梗介が海棠家を出たことに気づいて、同じく後を追ってきたらしい。他に追従者ついじゅうしゃはいないようで、木々の隙間すきまから見える姿は、神職しんしょくよそおいの男だけだ。――と思いきや、凛汰と美月のはるか下方から、「おおい、待ってくれよ」と情けない声が聞こえてきた。顔半分だけで振り返ると、大柴誠護おおしばせいごが山道を上がってくる様子が見下ろせた。山道は不慣れなのか、歩みは遅々ちちとしたものだったから、凛汰は躊躇ためらいなく歩調ほちょうを速めた。

「美月。歩くペースを上げろ。絶対に、あいつに追いつかれるな」

「えっ? う、うん……」

 早足で御山を登ると、遠くから「待ってってば……一人にしないでくれよ……」と声がしつこく追ってくる。海棠家には村人の老人たちがいるだろう、と凛汰は心の中で吐き捨てたが、そういえば村人たちの中には、昨夜の〝姫依祭ひよりさい〟後の会合で、大柴に供犠くぎつとめるように言い放った者もいた。そんな薄情者はくじょうものたちに加えて、首吊くびつり死体まである海棠家にとどまりたくない気持ちなら、かろうじて凛汰にも共感きょうかんできる。

 とはいえ、背後の追跡者ついせきしゃ鬱陶うっとうしい気持ちは変わらない。苛立いらだたしさをてられたが、大柴の登場で思い出したこともあったので、凛汰は「美月」と小声で呼んだ。

「さっき俺が、あいつに海棠家で質問した内容を、美月も聞いてただろ。あいつが俺に答えた内容に、嘘は混じってたか?」

 背後に一瞬だけ視線を送ると、美月は歩調をゆるめないまま、困ったような顔をした。

「凛汰って、どうして大柴先生のことを、そんなに……あ、昨夜の会合での大柴先生の態度を、まだ怒ってくれてるの?」

「……。まあ、そんなところだな。それより、質問の答えは?」

「あ、うん……大柴先生は、凛汰の質問に嘘をついてなかったよ」

「確かだな? じゃあ、帆乃花ほのか補習ほしゅうは、いつも何時くらいまでやってるんだ?」

「さあ……ごめん、それは分からない。私は補習を受けたことがないし、いつも授業が終わったら、すぐに学校を出るように言われてたから……」

 妙な言い回しが引っ掛かり、凛汰は日当たりの悪い山道を歩きながら、追及ついきゅうする。

「――『すぐに学校を出るように言われてた』? 誰に?」

 美月は、なぜか少しもじもじしてから、恥ずかしそうに「浅葱さん」と答えた。

「放課後になると、私を校門まで迎えに来てくれてたの……」

「……はっ? なんで?」

「えっと……『受験生なんだから、早く帰って家で勉強したほうがいい』とか、『あの辺りはくまが出たことがあるから、大人と一緒に過ごしたほうがいい』とかって、言われて……大した距離じゃないし、帆乃花ちゃんと梗介くんだって普通に下校してるんだから、私だって一人で帰れます、って言ったんだけど……浅葱さんが用事で来られないときは、楚羅さんが来たよ。楚羅さんも来られないときは、村のおじいさんとおばあさんが……楚羅さんと村の人たちは、浅葱さんのお願いで動いてるみたいだった。それに、嘉嶋かしま先生が村に来てからは、嘉嶋先生に送ってもらったこともあるよ」

「親父まで……?」

 美月が、村に馴染なじんでいない養女ようじょだから? 次期じき憑坐よりましさま〟の巫女みこ候補を、村を挙げて大切にしていたから? 過保護かほごの理由は、いくらでも適当なものを思いつく。だが、きっと、真相は――黙り込んだ凛汰に、美月はが鳴くような声で言った。

「こんな話をしても、事件を解くための推理材料にはならないよね……」

 肩をすぼめた美月に、凛汰は「そうでもないぜ」と返事をした。心からの言葉だった。

「やっぱり浅葱さんは、美月を大切にあつかっていることを、再確認できたからな」

「……そういう特別扱いも、帆乃花ちゃんの気にさわったのかな」

 さびしそうに呟いた美月は、顔を上げた。木々の切れ目かられる日差しが、前方でひときわ大きく光っている。白い輝きの中に梗介の姿が消えたので、目配せを交わし合った凛汰と美月は、御山の出口を目指してけ出した。

 本日三度目に訪れた神域は、潮風に幾度いくども洗われてなお、焦げ臭さが残っていた。正面にそびえた丹色にいろ鳥居とりいと、黄泉よみへと続くような断崖絶壁だんがいぜっぺきが、鎮守ちんじゅの森から一直線に見通せる。息をはずませていた美月が、引きった小声を上げた。

「嘘……どうして……」

 神域の異変に気づいたのは、美月だけではなかった。凛汰たちとほぼ同時に、参道のルートから御山の頂上ちょうじょうまで到着した様子の浅葱も、昨夜の〝姫依祭〟で木船きぶねが燃えた砂地すなちのそばで、双眸そうぼうけわしく細めている。視線の先には――鳥居の向こうで、岩肌にぺたんと座り込んだ、蛇ノ目じゃのめ家の若き当主とうしゅがいた。

 不意に、背後から木々をさわがしく踏みしめる音がした。凛汰は、茫然ぼうぜんとしている美月の腕を引いて前に進み、追跡者から距離を取る。鎮守の森から転がり出てきた大柴は、太腿に手をついて「待ってって言ったのに……」とうめいていたが、顔を上げてから、事態を把握はあくしたのだろう。死人のごとき白さの顔で、震える声を響かせた。

「帆乃花ちゃんの遺体が……ない……」

 断崖絶壁には、こちらに背中を向けて座る梗介しかいなかった。無残むざん裸身らしんさらしていたはずの少女の遺体は、神域で遺体が見つかった嘉嶋礼司かしまれいじと同様に、現場から忽然こつぜんと消えている。凛汰は、まずは浅葱に言ってやった。

「あんたらの仕業しわざじゃないんですか? 親父の遺体を始末したみたいに、帆乃花の遺体も始末したってところか?」

「私は、誰にも何も指示していない」

 淡々たんたん釈明しゃくめいした浅葱に続いて、大柴が「それじゃあ、まさか、梗介くんが」と言って、義侠心ぎきょうしんにじませた声を張った。

「その場所から、お姉さんの死体を、海にてたんじゃ……梗介くん、答えてくれないか。帆乃花ちゃんの死体を、どうしたんだ!」

「……へーえ。クソ雑魚ざこ教師も来たんだ。……はは、ちょうどいいや」

 立ち上がった梗介が、振り返った。ここに来る道すがら、また泣いていたのだろうか。両目は赤く、表情も気だるげだったが、あどけない顔にはゆるい笑みが浮かんだ。

「村のジジババ共は、ついて来なかったんだ。楚羅さんの死体を見たショックが、相当大きかったみたいだね」

 梗介が、一人ずつ目を合わせていったメンバーは、凛汰、美月、浅葱、大柴――油彩画『楽園の系譜けいふ』にえがかれた九人の中で、今も地獄を生きびている者たちだ。

「まず、クソ雑魚教師の質問に答えてあげるけど、僕は帆乃花の死体を海にててないよ。僕を追ってきた凛汰と美月ねえも、それを証明できるでしょ?」

 戸惑い顔の大柴が、凛汰と美月を見た。美月の前に立った凛汰は、浅く頷く。

「ああ。梗介が神域に到着してからすぐに、俺と美月も御山を登り切った。その間に、何かが崖下がけしたに落ちたような音は聞こえなかった」

「ほらね。どうせ浅葱さんも、僕を疑ってたんでしょ? でも、残念でした。僕の仕業じゃないよ」

 浅葱は、険しい眼差しのままだった。「それなら、なぜここに来た」と追及して、断崖絶壁に一歩近づいた。腰にいた刀が、んだ音をかなでている。

「なぜって、帆乃花のそばにいたいからだよ? 楚羅さんのそばから離れたくない浅葱さんと、同じだよ。そういえば、楚羅さんの遺体のそばに、臆病おくびょう無能むのうなジジババ共を残してきて、大丈夫なの?」

「全員、家から追い出してきた。私が戻るまで、あの家には誰も入れさせない」

 端的たんてきな答えを聞いた凛汰は、だから大柴は居場所を失くしたのか、と納得した。梗介は、大げさに肩をすくめると、帆乃花がいなくなった断崖絶壁から、正午に差し掛かった青天せいてん大海原おおうなばらを眺めて、ぽつりと言う。

「〝憑坐よりましさま〟が、帆乃花を連れていったのかな……」

 教え子の言葉を受けて、大柴が神妙しんみょうな面持ちになった。恐る恐るといった様子で「そうかもしれないね」と言って、白波しらなみが立つ海を見つめている。

「〝憑坐さま〟は、海に所縁ゆかりがある神様だから……神様に供犠くぎささげる場所として、ここ以上に相応ふさわしい場所はないからね」

「ふーん、お前も〝憑坐さま〟のことを知ってるんだ」

「あ、当たり前だよ……まだ二年しか暮らしてなくても、僕だって村人なんだから」

「そっかぁ。じゃあ、覚悟はできてるよね?」

「えっ?」

 ほうける大柴に答えずに、梗介は「浅葱さん」と呼んだ。穏やかにいだ表情で、自らがつかえている家の当主と見つめ合う。

「僕、供犠になるよ」

 美月が、息をんだ。「梗介くん?」と呼んだ声に応えるように、梗介は達観たっかんのぞく微笑を見せた。

「そんな顔をしないでよ、美月ねえ。だってさ、帆乃花が死んじゃったのに、僕だけが生きる意味なんてないじゃん。これはただ、それだけのことに過ぎないんだよ」

 浅葱の眼光がんこうが、いっそう鋭くなる。「本気なのか?」と訊く声に、梗介は「もちろん」と軽やかに応じたが――次の瞬間、笑みに暗いすごみがりついた。

「でもね、条件があるんだ。そんなに難しい話じゃないから、聞いてほしいな」

 ざあ、と潮風が吹きすさび、森の木々を揺らしていく。浅葱が黙っている間に、梗介は芝居しばいがかった明るさで語り始めた。

「死んだ〝まれびと〟は、嘉嶋かしま先生と記者さんの二人。村から差し出す供犠は、帆乃花、楚羅さん、そして僕……これで三人。あと一人、足りないよね……? 死んだ〝まれびと〟一人につき、供犠は二人必要なんだからさ……」

 ――梗介が何を言いたいのか、凛汰は察した。美月も、おぞましい取り引きに気づいたらしい。両手を口元に当てた表情は、恐怖の色に染まっている。大柴だけは、話を理解できていないようで、混乱の表情で浅葱を見ていた。無言のうったえを無視した浅葱は、黙したまま梗介をにらんでいる。

「〝憑坐さま〟の巫女である美月ねえにおうかがいを立ててもいいけど、楚羅さんがいなくなった今、次の〝姫依祭ひよりさい〟をり行うのは宮司ぐうじの浅葱さんだけだから、海棠家の当主さまにも、了承を得ておこうかな。――ねえ、浅葱さん。僕が供犠になる条件として、あと一人の供犠は、僕に選ばせてくれる?」

 浅葱は、梗介をしばらく見つめてから、おごそかに言った。

「聞くだけ聞こう。お前は、誰を供犠に選ぶつもりだ?」

 梗介は、満足そうに笑ってから――童顔どうがんから笑みをぎ落して、神域につどった人間の一人を凝視ぎょうしした。学ランにそでを通した右腕を持ち上げて、その人物を指でさす。

「大柴。供犠は、お前だよ。〝憑坐さま〟のために、ここで死ね」

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