第18話 仮初からの脱却
結婚して一月足らず。
ようやく魔道具学の研究の準備が整いそうだという今この時に、離縁の危機が訪れるなんて!
「な、何故でしょうかオスカーさま!?何か私、至らないことをしてしまいましたか?問題点があれば特定、改善策に着手します。ですから最悪離縁したとしてもこの地で魔道具学の研究だけは……」
「落ち着いてくださいまし、カナンさま!」
「がふっ!」
スパコーンと小気味良い音を立てて、マルゥが手にしていた全紙製の扇子が揺れる。
くっ……以前彼女の要望にあった『相手への物理的痛み、衝撃は最小限に。しかし音声刺激で意識覚醒や統一を促す』というオーダーを見事果たしている。さすがは製作者私、ではなくて。
「急に何をするのよ、マルゥ!」
「カナンさまがお一人で勝手に思い込んで暴走なさるからマルゥが引き留めて差し上げたまでのことです。見てください!あの旦那さまのショックを受けた姿を!ショゲ茸を間違えて齧ってしまった
「マルゥ。」
地の底よりも低いワイマンさんの言葉に私たちは二人揃って唇を結んだ。
けれどもショゲ茸を間違えて齧ってしまった
たしかにショゲ茸は栄養価がある反面余りの虚無の味に口にした生き物全てがえもいわれぬ表情をするというけれど。
半信半疑で目だけを隠れてオスカーさまのいらっしゃる方へと向けた私は全てを理解した。────うん。あれは、ショゲ茸を齧った
この世の全ての不幸を背負っているとばかりの悲壮感を漂わせ、若干じめっとした空気すら背負いながら丸まって座り込んでいる。
巨体のはずの旦那さまが、一回りどころか三回りは小さくなった気がした。
「(え、あれ私のせい?)」
「(他の誰のせいだと思うんですか!)」
目線だけでマルゥと通じ合う。
……うん、そうね。私と話していてすぐにあの反応、とあらば私のせいなのでしょう。
過程は分からずとも帰結は納得した。とあらば次は行動あるのみ。
「ええと……その、オスカーさま?申し訳ございません。お話を遮ってしまって。」
「…………、…………いや。そもそもそのように思わせてしまっていたことそのものがかつての私の過ちの帰結だ。気にしていない。」
気にしてないって声音じゃないんですが。
咄嗟に喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。彼が再び伸ばしてきた腕にも、今度は妙な声を上げずに済んだ。
「お……オスカーさま?」
「だからこそ、今、あらためて君に伝えたいのだ。君と、仮初ではない……本当の夫婦になりたい。」
仮初ではない本当の夫婦に……?
偽装婚というわけでなければ、国にも書類を提出しているのですからそれは当たり前のはずです。いまいち言葉を飲み込みきれていない私に気がついたのでしょう。ただでさえ赤みのある顔が耳や首まで真っ赤になりながらも、言葉が足されていく。
「君を、愛している。」
「は……、」
「最初は君の釣書を見せられたとき、こんなに凛々しく、美しい人がいるのかと思った。」
見目については、自分の魔道具開発の結果作成した美容液を自分で試したりしてますから。それなりだという自負はあります。大抵の殿方は会話の末に離れていきましたが。
「次に感じたのはその意志の強さだ。正しいことだと確信していても、目上の、恐ろしい噂が千々に流れている者に物申すなど簡単に出来ることではない。それに、魔道具について語る時の君の目はいつだって輝いている。私はこの通り臆病な男だから、君のその真っ直ぐとした瞳と意志を愛おしいものだと思っている。」
「ちょ、ちょっと、お待ちになってオスカーさま?」
この人こんなに喋ることができたのね?歯の浮くような内容に一杯一杯になる。せめて一度落ち着かせていただけません?
胸中のささやかな願いは、けれども一度スイッチの入った彼の前にはきれいに丸めてその辺りに置いておかれた。
「オスカーと。……公の場ならともかく、ここには私たちと、私たちの親しい人しかいないのだ。こんな場所でくらい、ただのオスカーとして呼んでくれないか……?」
「はゎ……」
救いを求めるように親しい人……マルゥとワイマンさんの方へ視線を向ければ二人とも生暖かい目で若干先ほどより距離をとっている。どうして!?
「婚姻の折に条件を立てたこと、それをはじめて会ったときに盾にしようとしたのは事実だ。それは謝罪したい。」
「い、いえ……、気にしていませんわ。」
「だとしても……だからこそ。改めて君に伝えたかったんだ。仮初ではなく本物の夫婦に、君となりたいと。……嫌、だろうか?」
再びショゲ茸を齧ったような顔をされて。
先程の勢いはどこへ逃げ出してしまったのかと聞きたくなるくらいのしおらしさを見せてくる。
嫌か、なんてそんな……。
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