第12話 感謝とお礼(2)

 日差しの中での朝食を終え、私とスーちゃんは森の奥に進むと空気を叩きつけるような騒がしい音が響いてきた。

 これは・・・羽音。

 スーちゃんは、歩みを遅くする。

 音が近づくに連れて見えてきたのは大きな木が並ぶ森の中でも一際大きな、プラムの木であった。

 美味しそうで赤々としたプラム、見てるだけで口の中に甘酸っぱい味が広がる。

 しかし、目的の食材はそれプラムではない。

 プラムの木の中央にそれはぶら下がっていた。

 大きな日傘をひっくり返したような形をした、太い幹にガッチリとしがみ付くように根差した巨大な蜂の巣。

 そしてその周りを飛ぶのは裕に私の体格を超えた黒いインクを垂らしたような赤い目をした蜂の群れ。

「赤目蜂・・・」

 私は、水色の目を細めて飛び交う蜂たちを見合う。

 これが私達の今回の目的、いや、正確には赤目蜂が守っている巣の中にある蜂蜜だ。

 赤目蜂の蜂蜜は高級品として知られ、その糖度と旨味は並の蜂蜜を遥か凌ぐ。その反面、市場には出回らないので幻の蜂蜜とも言われている。

 私は、スーちゃんの背から降り、3歩足を進めてから背中に背負った大鉈を抜く。

 コの字に折れた柄が真っ直ぐ伸びて連結し、鉄の塊をそのまま鍛え上げたような肉厚の刀身が姿を現す。峰の部分には黄金のレリーフが嵌められ、美しい戦乙女ワルキューレが彫られている。

 銘はないがメドレーで隊長に昇格した時に授けられて以来愛用しているあまりにも手に馴染んだ私の武器。

 これを握ると途端に私の心は戦場へと戻っていく。

"笑顔のないエガオ"と呼ばれていた頃へと心が落ちていく。

 私は、大鉈を真っ直ぐに構えて腰を低くし、左足を伸ばし、右足で大地を深く踏み締める。

 私から発せられる殺気を感じ取ったのか、羽をはさらに震わせ、赤い目を燃え上がらせ、お互いに身を寄せ合って陣形を組む。

 私は、その陣形を破る方法を頭の中で幾つも考え、どれが最適なのかを取捨選択していく。

 いかに効率よく敵を殲滅していくか、それだけに意識を絞っていく。

 赤目蜂達がゆっくりと動き、私とスーちゃんを囲んでいく。

 その瞬間、私の戦略が決まる。

 私は、目を細めて小さく息を吐き、大鉈を真横に引くように構え、右足で大地を蹴り上げて赤目蜂に飛びかかろうとした。

 その時だ。

 首の後ろがぐいっと引っ張られる。

 私は、予期せぬ方向からの力に思わずよろけて尻餅をついた。

 戦場で尻餅なんて初めての経験だ。

 何が起きたのか分からず顔を上げるとスーちゃんが首を傾けて赤い目で私を見ていた。

 同じ赤い目でもスーちゃんの目はとても綺麗だ。

 スーちゃんは、小さな声でいななく。何かを抗議するように。

 その瞬間、私の脳裏に昨夜のことが蘇る。

 

 キッチン馬車の閉店後、蜂蜜が切れたから山に仕入れにいくと言うカゲロウに「私が行きます」と言った。まだ勤めて半月ばかりだがお金を間違えたり、注文に手間取ったりと迷惑を掛けてばかりなのでお詫びのつもりで言った。カゲロウは、「危険だぞ」と顎に皺を寄せるが危険なんて慣れてるし、むしろウェートレスよりも得意なので「大丈夫です」と答える。

 カゲロウとスーちゃんは、2人で顔を見合わせ「それじゃあお願いする」と言われ、私は大きく頷いた。

「でも、これだけは約束を守ってくれ。俺達は蜂蜜を奪いにいくんじゃない。分けてもらうんだ」

「分けてもらう?」

 エガオは、首を傾げる。

 カゲロウは、顎を摩る。

「当然、蜂達にそんな事は理解出来ないけど俺達は、その事を忘れちゃいけない。敵対なんてしちゃいけない。感謝して接するんだ」

 私は、どう言う意味か分からなかった。

 感謝?敵対しない?

 それじゃあどうやって成果を得るの?

 そんな私の様子を察したのか、カゲロウは口元に笑みを浮かべて私の頭に手を伸ばして優しく撫でる。

 とても温かくて気持ちいい。

 私は、頬が熱くなるのを感じる。

「お前ならその内分かるよ」

 カゲロウは、スーちゃんを見る。

「スーやん、悪いけどこいつの面倒を頼むな」

 スーちゃんは、了解と言わんばかりにいなないた。


「つまり・・・蜂達を倒さずに蜂蜜を手に入れろってこと?」

 私が訊くとスーちゃんは小さく頷く。

 その途端、私の頭の中に描かれた全ての戦略が瓦解する。

 敵を倒さずに成果を得る・・。

 そんな方法、今まで考えたこともない。

 闘いとは倒すか倒されるかどちらかしかないはずだ。

 大鉈を握った私の手が途端に震え出す。

 どうしたらいいのかまるで分からない。

 そんな事を考えている間に赤目蜂達は私とスーちゃんの周りを旋回しながら距離を詰めてくる。

 私は、何の戦略も立てられないまま彼らの動きを目で追う。

 そして次の瞬間、赤目蜂の1匹が私に向かって襲いかかってくる。

 私は、大鉈を握るもその後をどうしたら良いか分からず行動に移すことが出来ない。

 赤目蜂は、尻から針を出して私に向けて突き出す。

 私は、死を覚悟する。

 しかし、次の瞬間、スーちゃんが私の前に立ち、黒い毛に覆われた長い尻尾で赤目蜂を打ちつけた。

 赤目蜂は、羽の動きを止め、そのまま地面に落ちる。

 私は、水色の目を瞠る。

 赤目蜂は、地面に落ちたものの身体を小さく痙攣させているだけで生きていた。

 仲間がやられたのを見た瞬間、他の蜂達は距離を取る。

 私は、スーちゃんを見る。

 スーちゃんは、「分かった?」と言うよりに目を細める。

 そうか。手加減すればいいんだ。

 何でそんな単純なことが分からなかったんだろう?

 私は、動揺する心を沈めながら大鉈を構え直す。

 でも、手加減ってどうやったら?

 刃を向けなければ良いの?

 峰の部分で打てばいいのかな?

 私は、再び頭の中で戦略を考えるがまるでアイデアが出ない。

 スーちゃんが小さく鳴く。

 目を向けるとスーちゃんが尻尾を何度も大きく尻尾を振り、その度にヒュンッと風を切る音が立つ。

「あっ・・・」

 私の中に一つの戦略が浮かぶ。

 私達が襲ってこないと知った蜂達が再び陣形を組み直し、今度は一斉に襲ってくる。

 今度は、スーちゃんは動かない。

 赤い目で私をじっと見てるだけ。

 私は、大鉈の刀身を腹が見えるように構え、大きく振り上げる。

 赤目蜂達が針を突き出し、迫ってくる。

 そして針の先端が間合に入った瞬間、私は大きく身体を回転させて大鉈を振り回す。

 大鉈の腹に空気の壁がぶつかり、旋風を巻き起こす。

 巻き起こった風は、襲いくる蜂達を四方に吹き飛ばす。

 蜂達は、木の幹にぶつかったり、風に舞い上がって上宮まで上がり、地面に落ちたりと様々であったが誰も死んではいない。身体を強かに打ち付けて動けなくなっているだけだ。

 私は、ふうっと大きく息を吐き、大鉈の柄の先端を地面に突き立て、身体を支える。

 恐ろしく手加減したのに恐ろしく疲れた。

 スーちゃんが目を細めて鼻の頭を私に擦り付ける。

 よくやったと褒めるように。

 私は、スーちゃんの頭をそっと撫でる。

「ありがとう。スーちゃん」

 私は、スーちゃんにお礼を言う。そして倒れている赤目蜂を見回して深く頭を下げる。

「手荒な真似をしてごめんなさい。貴方たちの蜂蜜を少し分けて下さい。今は何も出来ないけど私に出来る事でしっかりとお礼します」

 私の言葉が伝わったのかは分からない。

 しかし、不思議と赤目蜂達から敵意が消えたような気がした。

 私とスーちゃんは、赤目蜂達の巣に近寄る。

 真下から見るとさらに大きく、8角形の穴一つで私の身体くらいならすっぽりと収まりそうだった。

「どうやって採取すれば良いのかな?」

 私は、スーちゃんを見る。

 しかし、スーちゃんも流石にそれは分からないみたいで首を傾げる。

 私は、スーちゃんのお尻にぶら下がった大きな皮袋を見る。

 とりあえずあれが一杯になるくらい蜂蜜を入れれば良いんだよね。

 私は、再び蜂の巣の穴を見る。

 穴の中にじんわりと黄金色の蜂蜜が溜まっているのが見え、濃厚な甘い香りが鼻腔に入る。

 スコップでもあれば掻き出せそうだ。

 そう思ったところでパッと頭にアイデアが浮かぶ。

 私は、まだ鞘に収めずに手に持ったままの大鉈を見る。

 誰も傷つける事なく、汚れる事なく、鏡のように綺麗な大鉈を。

「良し、これで」

 私は、スーちゃんに謝って彼女の背中に乗って立ち上がると左手に封を広げた皮袋と右手に柄の先端をしっかりと握った大鉈を持つ。

 作戦は至って簡単。

 大鉈の刀身で蜂蜜を掻き出して皮袋の中に入れるのだ。

 スーちゃんが不安そうに私を見上げる。

 私は、大鉈を持ち上げて切先を巣穴に突っ込んだ。

 その瞬間、視界が黄金色に覆われた。

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