第15話アイスは溶けないように迅速に。

「おっ、五十嵐君おはよう。どう? 慣れた~?」


 まだ仕事を始めて2日目・・というのを分かっていてこのオーナーは聞いて来ていた。軽い冗談なのだ。

 高校生など社会に出るのが初めての子たちは大抵「えっ」とか「えーと、そのぅ」という反応を示す。


 これが社会人になるとオーナーの冗談だと読んでうまく返せるようになる。若い子でも頭の回転の速い子だとちょっと気の利いた返事をして面白いのだ。


 さてキングこと宏樹はどうか・・。


「おはようございます。もう完璧ですね、今日オーナーに教えて貰う事が多すぎて困るくらい」

「はははっ、意味わかんねー」豪快に笑う。オーナーは宏樹の事を気に入ったようだ。


 夜勤の仕事はレジ業務の他に店舗や事務所のゴミをまとめて片付ける事、新聞や雑誌の返品業務、などなど1日の締めくくり的な業務が多い。

 今日は冷凍食品の納品があった。大きな保冷バッグにアイスクリームや冷凍食品などが入って入荷してくる。保冷バッグから取り出して急いでストック場の大きな冷凍庫へ運ぶ。


「アイス類はね段ボールごとアイスクリームの冷蔵庫に入れてそこから陳列していくよ。順番もあるからね~氷菓系が先でアイスクリーム類がその次、最後がモナカ類。要は溶けやすいのから陳列だね」


 オーナーは宏樹にアイスを任せて自分は事務所の冷凍庫へストックを運ぶ仕事を始めた。


(ふむ、溶けてはいけないのだな)


 客は誰もいない。オーナーも事務所と店舗を行き来している。宏樹の手は常人の目では追い付かない速さで動き始めた。まるで早送り再生のようにアイスクリームは次々と陳列されていく・・。


「あれ? もう終わったの?」


 宏樹が空になった段ボールを畳んでいるとオーナーが驚いて声を掛けた。


「はい。お客様が誰も来なかったのですぐ終わりました」

「おおーいいね、仕事が早くて」


 深夜2時少し前、一人の酔っ払いが買い物に来て水のボトルを1本購入した。


「お兄さん、トイレどこぉ?」

「こちらです」宏樹はトイレの場所を手で指した。


 ところがこの客、10分経ってもトイレから出てこない。20分、30分と時間は経ち、40分を過ぎた頃オーナーがトイレに立った。


「あれ、誰か入ってる?」トイレの鍵がかかっている事に気づいたオーナーが聞いて来た。

「さっき男性が入りましたが、もう40分位出てきませんね」

「まじか・・それ酔っぱらい?」


「そうですね」


 その50代くらいの男は確かに酒臭かったし、ろれつも回っていなかったと直樹は思い返していた。


 オーナーが何度もドアを激しくノックしても中から返事は無い。


「参ったな、これ中で寝てるな・・」


 オーナーはトイレの鍵を事務所から取って来て声を掛けながら鍵を開けた。「ご気分が優れないですか? 緊急を要するといけませんので鍵を開けますよ~」


 案の定トイレの便器にもたれかかってその男は眠っていた。


「お客さん、起きて下さい。タクシーに乗りますか?」オーナーが声を掛けてもまともな返事が返ってこない。相当な酩酊状態だ。これではタクシーに乗せても行き先を告げられないだろう。


「仕方ない交番に連れて行くか」男を肩車して起こそうとするが、この男無駄にガタイがいい。オーナー一人では引きずってしまいそうだった。


「くそ重いな。こりゃ二人がかりじゃないと無理だな」


 交番は駅のすぐ横にある。少しの間だけお店を閉めようかとオーナーが考えていると後ろから宏樹の声がした。


「僕が行ってきますね」


 振り返ると酔っぱらいを背負った宏樹が立っていた。宏樹は背は高いがそこまで力があるようには見えない。軽い驚きと共にオーナーが言った。


「大丈夫か? 交番が近いとはいえ、そいつ結構重いだろ?」

「まぁ大丈夫です」


 宏樹にしてみると男の体重はジャケットを羽織ったくらいの物だったが、それは秘密だ。


 店を出るまでは重そうにして、オーナーの視界から出ると酔っぱらいを軽くつまむようにして交番まで連れて行った。


「戻りました~」

「お、ご苦労さん。じゃちょうど時間だし上がっていいよ」

「はい。ではお先に失礼します」


 帰りに廃棄のお惣菜やパンを沢山貰った宏樹は周囲に誰もいないのを確認して駆け出した。

 宏樹が走っている姿を目で追う事は不可能だった。道路わきに止めてあった自転車は走りすぎる時の突風に巻き込まれて倒れた。角を曲がる時には減速したので、人の目には角から角へと瞬間移動したように見えたかもしれない。見た者が居ればの話だが。


 宏樹が帰るとリビングに明かりは付いていたが家の中は静まり返っていた。直巳はもう寝ているのだろう。宏樹もパンを少し口にした後静かにベッドに入った。




_______




「なんかさ、女性客が増えたってオーナーが言ってたぞ」


 宏樹がコンビニでバイトをはじめて早3か月。レジ登録には男女の区分けをするので女性客が増えるとはっきり分かる。


「そうであろうな」そんな当たり前の事をなぜ改まって言うのだ? 宏樹の顔にはそう書いてあった。


「当たり前だって言いたそうだな」

「鏡を見れば一目瞭然ではないか。しかし話しかけられることが多く業務に支障をきたして困る」宏樹は肩をすくめた。


「真面目かよっ」


 おばちゃんとかイケメンに長々と話し掛けそうだもんな・・そう言った俺はすぐ思い出したように付け加えた。「お前、いくらモテるからってまた女を連れ込むなよ!」


「今の所そのような誘いは無い。安心しろ」

「今の所ねぇ・・」


「それより、この世界に来てもう3か月過ぎたのか。ここは平和で居心地がいい。ずっとここに居ても悪くない気がしてきたぞ」

「俺は困るよ、いつ父さん達が日本に帰ってくるか分からないからな。勝手に同居を始めたって知れたら怒られるよ」


「では許可をとればいいではないか」

「何て言うんだよ? ゲーム中からこの世界に来たので家がないから住まわせてやってくれって?」


「真実ではないか」

「信じて貰えないよ」

「何と言うかはお前にまかせる」


 宏樹はそう言いながらミートボールをポイポイ口に放り込んでいる。俺がキングに出会ったのは梅雨が明ける頃。今は暑い夏も終わり秋が近付いてきていた。


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