第77話
花火大会が始まる。
そう放送が入り、少しでも良いポジションで花火を見ようと席取りへと向かう。
ただ、そこは人混みが多すぎて、これ以上俺たちが割り込む隙はなさそうだ。
一年に一回だけ開かれる最大の行事。地元民が全員参加しているんじゃないか。
そう思わせるほどに賑わいが増していく。
それも無理もない。
今から夏の風物詩——打ち上げ花火が夜空を彩るのだから。
「花火……ここからじゃあゆっくり楽しめないね」
そう寂しげに呟く彩心真優の腕を取り、俺は踵を返した。
花火を見ようと押し寄せる人々を逆に跳ね除け、後ろへと向かう。
その行動は、他の人々にとっては非常識な行動であることに違いない。
「彩心さん、ここから少し時間がかかるけど大丈夫か?」
「大丈夫だけど……どこに行くの?」
「来年はもうこっちに帰ってこないんだろ?」
そう訊ねると、彩心真優はコクリと頷く。
きょとんとした表情を浮かべる黒髪の少女を見て、俺は断言する。
「なら、最高の特等席で見たほうがいいだろ? 十代最後の見納めにさ」
都会に住む人々に理解を求めることはしないが、田舎に住む人々にとって「夏祭り」というイベントは重大な出来事。
別段、参加しなかったら、村八分に遭うわけでもないし、天変地異が起きることもない。ただ娯楽が非常に少ない田舎町にとって、夏祭りは欠かせない存在なのだ。
娯楽の少ないこの街に生まれたことが、幸か不幸かなんて考えたことはないけど。
これだけは絶対に言えるだろう。
地元民全員が一丸になって、盛り上げようと必死に頑張るこの祭りは大好きだと。
「ちょっと時縄くん、早いよ!! 私、下駄なんだよ、下駄」
花火大会が始まる前に、来年地元を離れる少女をとある場所に連れて行きたい。
その一心で動いてしまっていた。
俺は歩みを止め、普段とは装いが全く異なる浴衣美人に伝える。
「確かにそれじゃあ走りにくいわな。なら、こうするしかねぇ〜な」
彩心真優の前で屈み、俺は彼女に自分の背中に乗るように指示を出す。
突然の事態に普段はノリが軽い彼女も躊躇を隠せず、困惑の表情を浮かべている。
「どういうこと……?」
「時間がねぇーんだよ。ほら、さっさと行くぞ」
俺の言葉を聞き、彩心真優も理解したようだ。
今から俺が彼女をおんぶすることを。
突然の宣告に彩心真優は驚きを隠せないのか、手を振って答える。
「ええと、ちょ、ちょっと待ってよ。まだ心の準備が」
「心の準備なんて要らねぇーよ。必要なのは飛び込む勇気だけだ」
前に進まずに、グダグダ時間を潰すだけでは何の意味もない。
そうするぐらいならば、さっさと前へ飛び込んでしまえばいい。
どんなことをしても、必ず後悔というのは自分たちの後ろに付いてくるのだ。
ならば、何も迷わず、前へ前へ突き進んだほうが遥かにいいだろう。
「…………男の子の背中ってこんなに温かいんだね」
俺の背中に自分の身を預ける黒髪少女はそう吐露した。
彼女の吐息が俺の首筋に触れる。彼女の肌と密着している。
最愛の彼女——本懐結愛よりも幾分か重たさがある少女は言う。
「……今日はその屋台で食べまくったら重たくて。その、普段だったらもっと軽いから。ええと、それに浴衣って実は着付けをするために、重りを入れるのが当然で……私の場合だと、10キロぐらいの重りを括り付けてるから……その」
女の子という生き物は「重い」と思われたくないのだろうか。
同じ人間なのだから、同じ程度の重さがあるのは当然だというのに。
必死に言い訳を続ける彩心真優に対して、俺はハッキリと告げる。
「それが生きてるってことだろ? 重みがあるってのがさ」
「……時縄くん」
「だから、あんまり気にするな。お前は今日一日を全力で楽しむことだけ考えろ」
◇◆◇◆◇◆
【彩心真優視点】
八月二十五日。彼が大好きなあの子の誕生日。
私はあの子が大好きな彼——時縄勇太の背中に身を預けていた。
夏祭り会場は人通りが多く、周りからチラチラと変な眼差しを向けられている。
それが無性に恥ずかしいものの、彼は全く動じることなく歩みを進めている。
私から見えるのは、彼の後頭部と横顔のみ。
息を切らしながらも、前へ前へと進む彼を見て思うことは——。
——あぁ、彼は真っ直ぐな人なんだと。
これだと決めたらそれに全てを意識を持っていかれる人なんだと。
周りからはどう思われてもいいとは大げさかもしれないけど。
彼は、多分周りのことを気にしていないわけではなく、見えていないのだ。
「悪いけど、俺のスマホ持っててくれねぇーか?」
彼にそう強引に渡され、私は訊ね返す。
「別にいいけど、どうして?」
「走ってたらポケットから出てくるかもしれねぇーだろ?」
「別にいいけど」
このときの私は知らなかった。
この判断が、後々私のちっぽけな心を苦しめることになるなんて。
その苦しみが訪れるのは、数分後であった。
「何かおかしいか?」
「おかしい……? ん? どうして?」
「いや、さっきからお前……クスクスって笑ってるだろ?」
「えっ? 全然笑ってないけど」
「いや、お前の身体が震えるから分かるんだよ」
指摘されるまで自分でも気付かなかった。自分が笑っていたとは。
両手で頬へ触れてみると、普段よりも緩んでいるように感じる。
それにいつも以上の動悸が止まらないし、何だか身体が軽くなったように思える。
それって——。
(やっぱり……私、この人のこと大好きなんだ。諦めきれてないんだ、まだ)
彼と触れ合うだけで。
彼のにおいを嗅ぐだけで。
彼を眺めるだけで。
私の心臓は鼓動を早めてしまう。
その理由はもう知っている。彼のことを未だに愛しているからだ。
自分の中ではもう終わった問題だと思っていたばかりに、その事実には驚かされる。ただ、この初恋は決して叶うことはないのだ。
彼は私のことよりも大好きな女の子がいる。彼は私のことなんて眼中にない。
それを知っているからこそ、私は心の中で「今だけは」と言い訳を作った。
(今だけは、少しぐらい大好きな人に甘えてもいいよね?)
そう強く思い、私は彼の背中に顔を埋めてみた。
深く呼吸を行うと、体内の酸素全てが彼のニオイでいっぱいになった。
(この瞬間が永遠に続いてしまえばいいのに……)
変態じみた行為をしているとは思いつつも、私が幸せを噛み締めていると——。
『結愛』
彼から受け取ったスマホのコール音が鳴り響いた。
まるで、それはズルをした者を裁くように。
私は胸に冷たい針が突き刺り、瞬き一つもできなくなった。
あの子だ。彼が大好きなあの子からの電話だ。
どうしてこんなときに、どうして?
今は嫌だよ、今だけは嫌だよ、今だけは——。
——今この瞬間だけは、私の時間だ。
「さっき電話みたいだけど、誰からだった?」
彼の問いかけに、私は一瞬言葉を失う。
嘘を吐いてはいけないという良心。
彼との幸せな時間を奪われたくないという欲望。
この二つが心の中を渦巻き、結局私が選んだのは——。
「知らない番号からだったよ」
言い終えた瞬間、私は上手く呼吸ができなくなった。
息をするように平然と嘘を吐けてしまった自分が恐ろしい。
本当に自分なのかと疑ってしまう。ただ紛れもない自分が言ったことは事実だ。
「……間違い電話かもな」
そう呟く彼の横顔を眺めつつも、私は「ごめんなさい」と小さな声で囁く。
けれど、その声は風を切って走る彼には決して届かない。
それを見越して言っている自分に情けさを感じつつ、私は彼のスマホをもう一度見る。渡されたとき、それは消音モードに設定されていなかった。
消音モードに設定したのは、私だ。彼を奪われたくなくて、私が切ったのだ。
「うん。間違い電話って結構掛かってくるもんね」
私は最低な嘘吐きだ。
彼が大好きな彼女さんからの電話だったのに。
彼と過ごす時間を奪われたくなくて、私はまた嘘を重ねてしまった。
二人の恋愛を応援すると決意したはずなのに、また私は悪女になろうとしている。
悪女になる度胸もなければ、裏切る真似もできない小心者のくせに。
でも、今だけはこの幸せな時間を他の誰かに奪われたくない。
——ごめんなさい、結愛さん。私、まだ時縄くんのこと好きだ。
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