第73話
夏の陽射しが嫌なほどに差し掛かる昼休み。
俺は予備校一の美少女と名高い彩心真優のご指導の下、数学の成績を一点でも伸ばそうと必死に勉学に励んでいた。
『わからない問題があったら、お姉さんに何でも聞いてね』
彩心真優は最初そう言い、ウインクまでしてきた。
まるで、女子大生風家庭教師を装うかのように。
『ちなみにこの問題が全部解けたら、お姉さんからのご褒美がありまぁ〜す』
俺はへいへいと適当に返事を出し、彼女から提出された数学の問題を解いたわけだが。
「凄い!! 凄いよ!! 全問正解だよ、時縄くん!!」
彩心真優は、俺の急成長っぷりに度肝を抜かれ、声を張り上げていた。
と言えども、別にこれは凄い話ではない。
彼女から出された問題は、何度も自分で解いた問題なのだから。
彩心真優が言うに、数学は同じ問題を何度も解くことが一番良いらしい。
「俺を甘く見るなよ、彩心真優。俺は日々成長しているんだからな」
数学の学習方法は以下の通りだ。
① 問題が解けない場合は潔く解法を確認する。
② 解法を読み込み、どのような形で問題を解くかを理解する。
③ 解法の理解を終えた後、実際に問題を解いてみる。
言うは易く行うは難し。
特に、②の解法を読み込み、問題の解き方を理解するステップが難しい。
ただ、逆に言えば、その点をクリアすれば、問題は解けたも同然となるのだから。
「やっぱり何か変なものでも食べちゃった?」
「お前じゃねぇーから変なものを食べたりはしないよ!」
「なら、消費期限切れの食べ物を食べたりとかは?」
「もったいない精神が溢れ出て、エコロジーな現代社会にはピッタリだけど、絶対にそれはお前のエピソードだろ!!」
「床に落ちちゃったものでも、三秒以内ならセーフだと思って食べちゃったりとか?」
「三秒ルールを信じていた時代が、俺にもありました……」
ただ床に落ちたものを食べるとしても、それ以上に手のほうが汚いと思うがな。
特に、現代人なんて、スマホを触りまくってると思うし。
手を洗わずに、コンビニのおにぎりを食べる奴だっているし。
そう考えると、衛生面的には、床に落ちてもギリセーフなのかもな。
「で、時縄くん。どうしてニタニタしてるの? 気持ち悪い笑みを浮かべて」
「気持ち悪かったとしても、それを本人に言ったらダメだぞ。傷付くんだからな」
「ごめんごめん。悪気はなかったの。ただ素直な気持ちが出ちゃって」
「素直な気持ちって……余計人を傷付けることってあるよね。小さな子供の言葉って」
ねぇ、お兄ちゃんって、学生でもなければ社会人でもないんだよね〜?
なら、何者なのぉ〜? 教えてよ〜お兄ちゃん〜。
という近所の純粋なガキが現れたら……俺は発狂する気しかないぞ、マジで。
親戚の集まりとかで、小さな子供に聞かれることあるけど……マジで耐えきれないわ。
「で、何があったの? もしかして、私のブラが透けて見えてた?」
「エロガキかよ!! デジタル世代の俺は女性の裸を見飽きてるわ」
「それとも、眼鏡姿の私に見惚れてたとか?」
「いや……確かに気になってたよ。お前が眼鏡を掛けてるのはな」
彩心真優は視力が悪くないはず。
それにも関わらず、赤縁の眼鏡を掛けているのだ。
普段と異なる姿に、多少ドキッとするし……。
知的な美人さんに見えなくもないのは事実なのだが……。
「それが原因でニヤけてたわけじゃねぇーよ、俺は」
「あれ〜? おかしいなぁ〜。普段と違う私に惚れてたと思ってたのに」
「どんだけお前の中での、俺は惚れやすい性格をしてるんだよ」
「言ってる本人が一番惚れやすい性格をしてるんだけどね」
「自分で言っちゃうのかよ!!」
彩心真優は、惚れやすいが、飽きっぽい性格だと思う。
うん、ただ思うだけだ。実際はどうか分からないけどな。
「結愛がさ、言ったんだよ」
ニヤけ顔になっていた原因はこれに違いない。
「俺と一緒に夏祭りに行きたいってさ」
八月二十五日。本懐結愛の誕生日。
この日、俺は結愛と一緒に地元の夏祭りに参加する。
今年は特大の花火が打ち上がるらしいし、最高の思い出になることだろう。
「夏祭り……そっか、もうそんな時期か」
彩心真優は遠い眼差しを浮かべ、そう呟いた。
夏祭りや花火大会と聞けば、夏というイメージが湧くかもしれない。
しかし、逆に言えば、それは夏が終わるということを意味する。
俺たちが住むこの街では、夏祭りは一年に一回しかないのだから。
それも、八月下旬の頃にしか。
「で、お前からのご褒美ってのは何だよ?」
「……えっ? ええと……ご、ご褒美とかないよ?」
「問題を解く前に言ってたよな? 全問正解ならご褒美があるって」
「何もないよ。あ、でもよかったら、私の胸でも揉んどく?」
「いいのか??」
「興味津々だねぇ〜。本当時縄くんはダメな男の——」
「とでも俺が言うと思ったか?」
俺は呆れたように言う。
生憎だが、クズでダメな彼氏は卒業したのだ。
今後俺は彼女を第一に考え、彼女に尽くし続ける最高の彼氏。
最近は少しばっかし、ダメな部分が目立ったけども……。
これから先は、もう結愛しか見ない。結愛だけを見ると決めたのだ。
俺はあの子のために少しでも頑張ろうと思っているのだから。
あの子の幸せこそが、俺の幸せでもあるのだから。
「それじゃあ、俺はそろそろ教室に戻るわ」
「うわぁ。抜け駆け禁止でしょ!!」
「抜け駆けじゃないだろ? 席に戻って予習をやっときたいんだよ」
「えぇ〜。私よりも勉強を取るんだぁ〜。時縄くんは」
「あぁ、凡人な俺が天才に勝つためには地道な努力しかないからな」
俺はそう別れを告げ、お手製の単語カードをペラペラと捲りながらトイレへと向かう。
誰もいないのを確認し、個室にひっそりと入る。
そこで、俺はズボンも脱ぐことなく、便座の上に座り、頭を抱え込んでしまった。
「ははははははははは」
地道な努力といえば、聞こえはいいかもしれない。
ただ俺は勉強に縋りたいだけだ。
勉強に集中さえすれば、嫌なことを全て忘れられるから。
もう遠いようで近い将来——本懐結愛がこの世を去ってしまう現実から逃げるために。
本当、俺の人生って何か意味があったのだろうか?
結愛と出会う以前よりも、結愛と出会った後のほうがもう人生は長い。
その後、結愛が病に倒れてから……俺の生きる目標は「医者になって、本懐結愛の病を治す」ことになっていたはずなのに。
「……どうしてなんだよ。おかしいだろ、こんな世界」
たった一人の愛する彼女さえも、俺は助けることができないなんて。
◇◆◇◆◇◆
【彩心真優視点】
「あぁ〜あ。先手を打たれちゃったなぁ〜」
私はググッと背伸びを行う。
丸まった背中がグビグビと音を立てる。
朝から晩まで席に座るのだ。
それはもう身体の節々が悲鳴を上げるはずだ。私は唇へと指先を当てながら呟く。
「夏祭り一緒に行こうって誘いたかったのに」
彼と交わしたキスの味が忘れられない。
自分の指先に軽く唇を付けてみるが、これでは全く物足りない。彼の唇には及ばない。
ただ、私は決して求めたりはしない。
「でも、その言葉を言う勇気なんてない」
というか、私は何をやってるんだろ?
時縄くんのことを諦めると決めたのに。
これからは二人の未来を考えようと思っていたのに。それなのに、私は——。
「あぁ、私全然諦めきれてないのかな?」
理性はダメだと拒否してるのに。
心の中がグツグツと煮立っているのだ。
彼のことが好きだと。時縄勇太が好きと。
「……でも、この気持ちは私の胸に」
抑えていないとダメだよね……?
時縄くんを困らせる真似はしたくないし。
もしもこれ以上、彼のことを好きになったら、私はダメな女の子になっちゃうから。
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