第52話
「プールなんて……中学生以来だぜ、全く」
目の前に広がる景色は、県内有数というだけはある大型プール。
屋内と屋外。どちらにも専用プールが設置しているらしい。
さっさと屋外の遊び心満載なウォータースライダーで遊びたいのだが……。
「彩心真優の野郎……まだかよ? もしかして太り過ぎで水着が着れないのか?」
先に断りを入れておくが、これは浮気ではない。
彼女持ちの癖に、彼女以外の女と一緒にプールに出かけるな。
そんな要らない恨みを買いそうだが、これには理由があるのだ。
適度な運動を取り入れることで、勉強効率が上がるというのだ。
これは科学的にも証明されていることで……別にやましいことをしているわけではない。
と、俺が最愛の彼女——結愛への言い訳を考えていると——。
「——————ッツ!!」
俺は視界を奪われた。
後方から誰かが俺の目元を手で覆っているのだ。
一体誰だと抗議の声を出そうとした瞬間——。
「だ〜れだ?」
耳元でクスクスと笑う、俺がよく知る少女の声。
言わずもがな、正体は分かる。
「彩心真優だろ? わざわざ変な真似をするなよ」
「ご名答。時縄くん、私のことを声だけで認識できるんだね」
「当たり前だろ。毎日のようにお前と一緒に飯を食ってるんだ。嫌でも覚えるよ」
予備校内で一番関わる生徒は、彩心真優だ。
彼女以外とは殆ど、俺は関わらない。関わる必要がないと判断しているからだ。
別段、俺が嫌われているからというわけではない。まぁ、別に嫌われていてもいいが。
「で、彩心真優。そろそろ俺の目を隠すのはやめてほしいんだが?」
正体がバレたのにも関わらず、彩心真優は手を解いてくれないのだ。
視界が完全に消えた状態。俺は身動きを上手く取れないのである。
「私の水着姿がそんなに見たいんだ。しょうがないなぁ〜」
視界がパッと明るくなる。
後ろに居たはずの、彩心真優が俺の前に現れた。
予備校の時とは違い、現在の彼女は髪を一纏めにしていた。
俗に言うところの、ポニーテールとシュシュの組み合わせ。
鍛え上げた肢体を持つ彼女は余裕げな笑みを浮かべている。
日頃から健康的な生活を欠かさないのだろう。
どこ一つとっても美しく、一種の芸術作品と見間違えてしまうほどだ。
「どうかな? 私の水着姿に興奮しちゃった?」
「興奮? バカそうな男が好きそうな水着を着ているだけじゃん」
彩心真優の水着は黒単色の紐タイプ。
胸元の中央は可愛らしく蝶々結びしており、左右には見事なたわわが実っていた。
布の面積が全く足りず、水着自体の設計ミスを疑ってしまうほど。
そんな水着を身に纏う少女は可憐な笑顔を浮かべて。
「ちなみに選んだのは、時縄くんだよ」
そう呟きながら、彩心真優は抱きついてきた。
背中に埋もれるのは柔らかな二つの果実。
確かな豊潤さと弾力があった。
あの日——彩心真優が一線を越えた日、俺は彼女のそれを揉みしだいた記憶が蘇る。
桃色の唇から耽美な喘ぎながら「もっと乱暴にしていいよ」と求める彼女の声が。
「どうしたの? 固まっちゃって」
「お前がさっさと離れてくれないかと思ってるんだよ」
「嫌なら私を引き剥がしたらいいんじゃないの?」
嫌なら引き剥がせばいいだけだ
俺には最愛の彼女——本懐結愛がいるのだから。
ここは彼女持ちの身として……。
「私は時縄くんのことが大好きだよ」
大好き。
絶世の美女からそう言われると嬉しい。
ていうか、異性からそう言われると嫌でも意識してしまう。
「大好きと言われても困る。俺には結愛がいるから」
「知ってるよ。時縄くんが彼女さんのことを大好きだってことは」
「だからって、私が時縄くんのことを嫌いになったりはしない」
「……あのさ、お前」
俺がそう呟いた頃には、彩心真優は手を離していた。
俺を一人置き去りにして、彼女はスタスタと歩いていくのだ。
その後ろ姿を眺めながら、俺は思わず心の声を出してしまう。
「……アイツの尻……やっぱりエロいな」と。
その呟きが聞かれたのかは知らん。
だが、彼女はこちらを怪訝そうな表情で振り向いてきた。
そのまま未だに立ち尽くす俺の元へと小走りで来て、腕を掴んでくるのだ。
「行くよ、時縄くん」
「前を歩いてもいいのに」
「…………変態」
◇◆◇◆◇◆
俺と彩心真優はプールを人並みに楽しんだと思う。
二人で屋内屋外問わず、様々なプールへ飛び込んだ。
ウォータースライダを楽しむために何度も繰り返し上った。
で、現在——。
俺たちは屋内へと戻り、誰かが置きざりにした巨大な浮き輪に身を任せていた。
流れるプールなので、勝手に進んでくれるのだ。
大変ありがたいことに、俺たち以外の客足は少なかった。
「なんつーかさ、プールって暇だな」
「安らぎに来たんだからそれでいいんじゃないの?」
「いや……何か、もっと期待していたものと違う」
「どんなものを期待してたの?」
「いや……もっとこうさ。プールって楽しいものだと思ってたんだよ」
「言語化能力下手すぎ」
「…………俺はお前と違ってバカなんだよ」
学生時代、俺はプールの授業が好きだった。
特に好きだったのは波を作ること。
方法は簡単で、大人数で同一方向に進むだけでいい。
たったそれだけで巨大な波が出来上がって——。
あれ……? たったそれだけなのに何が楽しかったんだろうな、あの頃は。
「水の中が楽しいんだったら魚は生きているだけで幸せだね」
「そんなわけないだろ?」
「時縄くんが言っていることはそれと一緒じゃないの?」
「……さぁ〜どうだろう。もう考えるのやめようぜ」
沈黙に続く沈黙。
時間と共にプールは流れ、同じ場所を5回ほど廻った頃合い。
「何かさ、毎日一生懸命勉強してるのってバカみたいだよな」
「どうしてそう思うの?」
「勉強しても幸せになれるとは限らないだろ?」
「勉強しなくても幸せになれるとは限らないけどね」
彩心真優。
また揚げ足を取るような発言をしやがって。
「…………意外とこんなのんびりした生活でもいいんじゃないかと思ってさ」
「時縄くん、さっきまで暇だとか言ってたじゃん」
「暇であることが幸せなんだよ。何も考えなくて済むから」
「何も考えなくて済むことは幸せなの?」
「幸せだと思うぜ。野良猫とかいるけど、毎日幸せそうだろ?」
俺が予備校に向かう途中、野良猫に出会うことがある。
奴等は呑気にあくびをかまし、二度寝、三度寝する人生を謳歌しているのだ。
更には、有志の方々に裕福な食事を与えられ、食っちゃ寝の生活である。
「野良猫になりたいの?」
「もしもなれるならなってみたいな。毎日十分な食事と睡眠を与えられる存在に」
「なら、私が飼ってあげようか。時縄くんのこと」
俺は自分の耳を疑った。
彩心真優の言葉をもう一度頭の中で反芻する。
自分の耳がおかしくないことを確認し、俺は口元を歪めたままに。
「……………………それって冗談?」
「本気だよ、私」
「本気になったらダメだろ! 人様を飼うとか言うな!」
「にゃこ丸と同じくらい愛して育ててあげるのに」
「彩心真優は思わないのか? 毎日朝から晩まで勉強してバカみたいなだなって」
「私はそこまで根詰めて勉強してないから分からない。それに元々勉強好きだし」
「…………お前に訊ねた俺がバカだったよ」
◇◆◇◆◇◆
流れるプールに来てからどのくらいの時間が経過したのかは覚えていない。
ただずっとグルグル同じ場所を回っているのみ。
彩心真優と一緒にダラダラと雑談を交えて、あれでもないこれでもないと喋るのみ。
でも、意外とその雑談が心地良く、俺はもっと喋りたいと思っていると——。
「よしっ!! 今から違う遊びをしようか」
用事があると言い、一度はプールから離れた彩心真優。
彼女がプールサイドへと戻ってきた。
もうそろそろ帰るかと思っていただけに、違う遊びを提案されて困ってしまう。
俺は浮き輪のまま、プールから上がり、彩心真優へと駆け寄って。
「で、違う遊びって何だよ?」
「簡単な遊びだよ。宝石探し」
そう呟きながら、彩心真優は手元の袋を開いた。
その中に入っていたのは、大小形や色が異なるビー玉。
「何が宝石だよ。ただのビー玉じゃないか」
「水中でも同じことを言えるかな?」
ビー玉を一粒取り出し、彩心真優は親指と人差し指で挟んだ。
それを自分の瞳まで持ち上げ、透かして彼女は空中を見上げている。
と言えども、こちら側としては、燻んだビー玉にしか見えないのだが……。
「今から私がこれをプールの中へと投げます。で、これを沢山集めたほうが勝ちってわけ」
「疲れるだけだろ。んなことやっても、安らぎに来たんだろ? 俺たちはさ」
「勿論、それだけじゃあつまらないよね。だから、大人の遊びをしようよ」
「大人の遊び?」
聞き返す俺に、彼女は微笑みながら。
「そう。負けたほうが何でも一つ相手の言うことを聞くって遊び」
「負けたほうが何でも一つ相手の言うことを聞く」
「時縄くんにイイことを教えてあげる」
彩心真優はそう笑みを浮かべて、俺の首元へと顔を近付けてきた。
それから俺の瞳を覗き込むかのようにして、無邪気な声で言い放つ。
「上手くいけば……私のおっぱいを触ることだってできるよ」
俺の視界は、一直線に注がれる。
扇情的な黒い布に覆われた彩心真優の豊満な白磁色の乳房に。
ぷるるんと柔らかそうで、一度揉んだら理性を失いそうな女性特有の部位に。
「それも生でいいよ」
「……な、生」
「水着の中に手を入れて、直接触ったほうが気持ちいいと思う」
いやいや、コイツは何を言っているのだ。
「もしかして着衣状態で揉むほうが好きだった?」
「違うわ!!」
「それなら生で決まりだね」
「それじゃあ、始めるよ。よぉ〜いどん!!」
彩心真優はビー玉を投げた。
投げ込まれた先は、水深二・五メートルを誇るこの施設最大のプール。
一足先に走り出した彼女の背中を追いかけ、俺は水の中へと飛び込んだ。
ざぶぅうううううううううんんんんんんんんんんんんんんん。
やるとは一言も言っていないのだ。
だから、別に彩心真優との遊びに参加する必要はない。
それは分かっているのだが……。
「——————————」
水中の中で見える景色に、俺は思わず呼吸を止めていた。
ビー玉が光り輝いていたのだ。
陸上では全く輝いて見えなかったはずなのに——。
水中の中では、まるで宝石の一種と言われても信じてしまうほどに。
大小異なるビー玉は星々のように光り輝いていたのだから。
「っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ」
呼吸が苦しくなって、俺は浮上する。
もう一度酸素を取り込む。
それから、自分が勝負をしていることを思い出し、宝石探しを始めるのであった。
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