時縄勇太は悪女の色香に抗えない
第51話
本日の講義が終わり、自習室へと向かう。
時刻は既に十七時を過ぎた段階だが、まだ生徒たちは勉強に励んでいる。
以前までは勉強を放り出し、即座に家に帰る者が続出していたのに。
彼等のやる気がいつまで持つのか。
また、受験の天王山と呼べる夏が始まったんだ。
そう思って気合いを入れ直した俺が手頃な席に座った直後——。
「「「彼氏様、彼氏様」」」
俺を取り囲むように三人の色白少女が喋りかけてきた。
コイツらの名前は知らん。また、知る気もない。
とりあえず、右からボブ、パッツン、団子。
彩心真優と同じお嬢様校出身で彼女のお友達連中だ。
「何だよ? 慌ただしい」
「「「殿方はそう不機嫌になったらダメですよ?」」」
「お前ら……本当に仲良しだな、三人毎回一緒に喋って」
「「「我ら生まれた日は違えども、死す時は同じ日同じ時を願わんですから」」」
「…………うん、お前らが三国志マニアってことは分かったよ」
面倒な奴等に出会ったな。
こっちは勉強に集中したいってのに。
ともかく、コイツらが喋りかけてきたってことは何かわけありってことか?
「突然ですが、彼氏様」
パッツンが真面目な表情で言う。
突然だが、俺がなぜ「彼氏様」と呼ばれているのか。
その理由を簡単に説明すると——。
***————***
五月下旬のある日。
偶然にも、俺は彩心真優の秘密を知ってしまったのだ。
その秘密とは、彼女が大食家であること。
俺としては別にそれを他の人にも伝えてもいいと思うのだが……。
本人曰く——。
「たくさん食べる奴だと思われたら、彩心真優という理想の女の子像が崩れるでしょ」と。
自意識過剰だなと思うものの、彼女はその弱みを握られるのが嫌なようだ。
それに自分が大食い娘であることを、昔から隠して生きてきたらしい。
だからこそ、その秘密が自分を知る誰もに知れ渡るのが嫌なようだった。
というわけで——。
「協力してよ、時縄くん。私がお腹いっぱいここでも食べられるように」
「協力? どうして俺が?」
「校内一の実力者から勉強を教えてもらえる。それは大きいメリットと思うわよ」
「で、俺は何をすればいいんだ?」
「大広間で一緒に弁当を食べてくれればいい。ただそれだけで大丈夫だから!」
どんな手段を使ってでも、医学部に入る。
それも全ては本懐結愛を救うために。
その願いを叶えるために、俺は彩心真優と協力関係になったのであった。
***————***
「突然ですが、彼氏様」
で——現在。
大広間教室で男女が一緒に飯を食べている。
その事実だけが校内中に知れ渡り、良からぬ噂が浮上したわけだ。
時縄勇太と彩心真優は付き合っている。
時縄勇太は彩心真優の愛妻弁当を食べていると。
「「彼氏様」」
パッツンの後に、ボブと団子が続けて。
「「「彩心様をデートに誘いましたか?」」」
興味津々で前のめりになる三人。
女性は恋話が大好きだと聞く。
もしかして、コイツらは彩心真優の話を聞きたいのか。
「デート? いや、全くだけど……」
「「「はぁ〜??????????」」」
三人は呆れと怒りを交えた溜め息を吐き出した。
あんな可愛い女の子をデートに誘うなんてありえない。
そうとでも言いたげだが……彩心真優は予備校のクラスメイトでしかないのだ。
「本当に呆れましたわ、この殿方には」
パッツンは溜め息を吐く。
「まぁ〜そうなるでしょうね。このようなヘタレ男では……」
ボブは銀縁の眼鏡をクイッと上げる。
「見た目も三枚目、心も三枚目だったとは……」
団子は顎に指先を当てて思案顔を浮かべる。
三者三様の少女たちは、俺をジッと見つめて。
「彼女任せのヘタレ」
「甲斐性なし」
「インポ」
散々な言われようだが、こちらも黙って聞いておくことはできない。
「あのなぁ〜。お前ら一人一人で恋愛は違うんだよ?」
「だからと言って、彼女をデートに誘う気はないのですか?」
「誘う気なんて——」
俺と彩心真優は付き合っていない。
ただのクラスメイトの関係だ。
勝手に周りが勘違いしているだけ。
でも、予備校内ではそれが一つの常識になっているのだ。
今更ここで「付き合っていません」とは言えるはずもないか。
また、面倒なことになりそう気がするし、「アイツ、彩心真優を振ったらしいぜ。殺そうぜ」みたいな展開になることも大いに考えられるので……却下するしかあるまい。
「あるよ、あるけど……やっぱりタイミングがあるだろ?」
彼女をデートに誘わない彼氏ってのも不自然だからな。
ここは適当に話を合わせておけばいい。
デートに誘おうとはしているんだけど、まだ詳しくは決めていない。
そんな雰囲気を醸し出しておけば、コイツらの呪縛からは解放されるだろう。
「ボブさん、団子さん、アレを!!」
パッツンはそう言った。
水戸黄門の助さん、格さんみたいな言い方であった。
ボブと団子から紙切れを受け取ったパッツンは舞台女優のように。
「あぁ〜〜!! 何ということでしょうか。こんなところにプールのチケットが二枚!!」
「大体お前らのやり口が分かってきたぞ」
「ワタクシたち三人は、死す時は同じ日同じ時を願う仲。一人を置いてプールに行くなど言語道断ですわ!!」
「変なところで、さっきのネタを回収してきたな、おい!!」
俺はツッコミを入れつつも、某有名な掲示板元管理人の如く。
「もう一人分のチケットを購入すればいいんじゃねぇ〜のかよ?」
「一人にだけお金を支払わせるのは心が痛みますわ」
パッツンの言い分に、お二人さんも「うんうん」「一人だけ払わせるのはダメ」と全肯定。
「「「というわけで——」
三人は口を揃えて、人様を脅迫する笑みを浮かべて。
「「「こちらに彩心様と一緒に行ってあげてください。彼氏様」」」
俺の有無など関係ない。
押し付けるように渡され、俺は「はい」と受け取るしかなかった。
ただ、これだけは言わなければならない。
「お前らさ、他人の恋愛に口出すのはやめといたほうがいいぜ」
◇◆◇◆◇◆
翌日の昼休み。
毎度の如く、俺たちは大広間教室で飯を食らっていた。
そこで昨日起きた出来事を手短に話し、手元のチケットをどうするか話し合うことに。
「で、どうするよ? このチケット」
お嬢様三人衆が渡してきたチケットは——。
最新鋭の設備が整った県内有数の大型プール施設。
温水プールや流れるプール、更にはウォータースライダーも完備!!
「一緒に行こうよ。この際だし」
「ほら、じゃあやるよ。勝手に行けよ、一人で」
「私は一緒に行こうと言ったの」
「俺は一人で行けと言ったんだよ」
「また釣れないことを言うねぇ〜。時縄くんは」
「俺とお前はただの共同関係だ。恋人同士ではない」
俺は結愛が好きなんだ。
結愛のことを一生愛し続けると誓ったのだ。
彩心真優とこれ以上関わるのは許されない。
「お互いの利害が一致しただけに過ぎないだろ?」
「今はもうそんな関係じゃないよ」
彩心真優はそう呟くと、俺の顔前まで迫ってきた。
彼女は俺の唇に指先を当ててきて。
「イケナイことをしてしまった仲でしょ? 今はもう」
「そ、それは……」
「あの子——結愛ちゃんにその事実を教えたらどうなるんだろうね?」
「おお、お前……そ、それは汚いぞ」
「ん? 汚いのはそっちでしょ? 彼女に隠し事を作った彼氏さんの」
「…………お前は悪い女だな」
「今更気付いたの? 私は悪い女だよ。可愛い彼女さんから彼氏を奪う最低な女」
俺は彩心真優と一度だけ肉体関係を持ってしまった。
結愛とはその一線を未だに越えていないのにも関わらず。
「偶には息抜きも必要でしょ?」
「必要だとは思うが……」
「でしょ? それに運動は勉強効率を上げるの。知ってた?」
「…………それマジ?」
「運動することで脳が活性化して集中力が上がるんだって」
「勉強×運動……これだ!! これで俺の勉強効率が上がるわけだ!」
勉強効率が上がるなら、それに越したことはない。
少しでも自分の身になるならそれを使わない手はない。
去年と同じ結果にはなりたくないからな。
二の舞だけは許されない。だから、新たな勉強方法を取り入れなければ。
「それにこれナイトプールでもいいみたいだし、予備校終わりに行けるわね」
「ナイトプール……その響きだけで何かエロいな」
「末期ね、それは。でも気持ちいいと思うわよ」
「気持ちいい?」
「うん。勉強が終わった後に冷たいプールに入る。最高だと思わない?」
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