第44話
「あのさ、お前って少しは俺のことを意識したりしないのか?」
結愛とのデートが明日に迫った金曜日の昼休み。
今日も今日とて、俺と彩心真優は大広間教室で飯を食っていた。
彼女持ちのくせに他の女と一緒に飯を食うなよ、このバカチンが。
そんな金八先生みたいな説教を食らいそうだが、俺だけが悪いわけではない。
この女が誘ってくるのだ、一緒に食べようと。
***——***
火曜日。
つまり、俺が彩心真優と関係を持った日の翌日。
結愛と楽しい夏の計画を立てた後、俺は予備校へと向かったわけだが——。
そこで彩心真優から一つの提案を受けたのだ。
「あの日のことは二人だけの秘密にしようよ」
「二人だけの秘密?」
「そう。私は何も言わないから」
だからさ、と呟き、彼女は続けた。
「今後も私たちは仲良し同士ってわけだよ」
「いやいやいや……んなこと言われてもだな」
「もしかして、また私とヤりたくなっちゃった?」
妖艶に微笑む彼女を見て、俺は若者の貞操観念に悩むのであった。
***——***
「意識するけど、それとこれとは別じゃない?」
「それとこれとは?」
「いや、だ、だからさ……セックスしたことと、ここで一緒にご飯を食べることは」
「俺にはさっぱり理解できないんだが……?」
正直に本心を語ってしまえば、俺は気が気ではなかった。
言い方は悪いかもしれないが、俺の隣に抱いた女がいるのだ。
ベッドの上では他の男共には聞かせたことがない声を上げ、俺の全てを受け入れた女が。
お互いに獣のように求め合い、甘ったるい喘ぎ声を吐き出していた小娘が。
(畜生……また俺はあの日のことを思い出しそうだぜ)
そんな女が澄ました顔を貫き、飯ばっかり食っているのだ。
おまけに、勉強がイマイチな俺に教えてくれてまでいるのである。
一度抱いた女が無防備な姿で、俺の隣に居てニコニコ笑顔を向けてくる。
それが、どうしても今の俺には考えられない。
いやぁ〜ね、普通にもっと意識するでしょと、お前を抱いた男が目の前にいるんだぞと。
俺の頭の中では、あの日の記憶がフツフツと蘇って、下半身もムクムクなりそうなのに。
この女は、全く……。
「もしかして、時縄くんは私のことが気になっているのかな?」
小馬鹿にした表情だ。
口元を歪める姿は、正しく悪女としかいいようがない。
俺はこの女の罠に引っかかり、一夜限りの関係を築いてしまったのである。
「……気になるに決まってるんだぞ、俺の童貞を奪った女だぞ」
本音を語るか迷ったものももう言うしかあるまい。
相手側の方が明らかに一枚上手なのだ。時に、男女の恋愛とやらには。
ここで意識していないと嘘を吐いたところで、変な強がりに聞こえてしまうだろ?
それはそれで、俺の矮小なプライドが許さないのだ。
「ふぅ〜ん。そうなんだ、私のことが気になるんだ。最低だね、彼女持ちなのに」
「誘ってきたお前にも責任があるんだぞ」
「そうだね。まぁ〜そういうことにしててもいいよ」
クスッと微笑みながら、彩心真優は菓子パンを齧った。
勿論、この大食い娘なので、本日三つ目。
上から大粒の砂糖が大量に降りかかったドーナツだ。
朝練で腹を空かせた運動部員と同レベルの食いっぷりである。
見る分には美味そうだが、俺としては食費問題の方が気になるほどだ。
「彼女さんに黙って、他の女とイケナイことをしちゃった罪悪感を打ち消すために」
最愛の彼女への罪意識が残っている。
彼女を裏切ってしまったという計り知れないほどの重たい罪が。
頭が良い彩心真優のことだ。俺の感情を揺さぶって楽しんでいるのだろう。
本当、悪趣味な奴だぜ。俺が困惑する表情を楽しむために、わざと言ってるなんてさ。
「あの日の出来事は事故だ、事故。これ以上の議論はやめようぜ」
「言い訳するの?」
「言い訳しちゃダメなのかよ?」
「開き直るのは清々しいと思うけど、裏切られた彼女さんはかわいそうだなと思って」
「…………お前さ、俺の味方なのかよ? それとも俺の敵なのか?」
「どっちだと思う?」
琥珀色の瞳をキラキラと輝かせて訊ねてくる彩心真優。
俺は彼女から視界を逸らして、飯を食らうことにした。
毎日朝から晩まで勉学に励む受験生だ。食わずしてやっていられない。
ちなみに俺が食っているのは、ウルトラ兄妹の名前が入るコンビニの豚焼肉弁当。
ステマは死ねと言われる昨今だが、これだけは是非とも言わせてほしい。
この豚焼肉弁当はマジで美味い。クセになる味とでも言えばいいのか。
付随の唐辛子マヨネーズと、元々肉に染み込んでいた醤油味が絶妙な味を生み出すのである。
しかしだな、某ウルトラ兄弟の中でトサカみたいな武器を使用する名前が入る某コンビニチェーン店の経営陣は消費者(わがままで身勝手な俺)の気持ちなど知るよしもないのだ。俺がこよなく愛する、この豚焼肉弁当をレギュラー化してくれないのである。
「そうだな、お前は敵だ。同じ医学部を志す者としては」
「そんな敵と一緒に関係を持つなんて……悪い男だね、時縄くんは」
「あぁ、悪い男だよ、俺は。最低な男だと勝手に罵ってくれて構わない」
「予備校のクラスメイトにも言っちゃおうかな。時縄くんに襲われましたって」
「変な誤解を生む発言はやめてください、勉強に集中できなくなりますから」
彩心真優と肉体関係を持ってしまった。
それも、彼女が「時縄くんから襲われました」とでも言ってみろ。
その瞬間、俺は最低な男のレッテルを貼られ、下手したら獄中行き決定だぜ。
流石にそれだけは勘弁したい。どんな手段を取ってでも、全力で阻止しなければ。
「そうだ、時縄くん」
彩心真優は両手をパチンと合わせた。
それから俺の腕をゆっくりと掴んだ状態で。
「明日さ、一緒に美味しいパンケーキ屋さんに行かない? 美味しいと評判でさ」
美少女からのお誘い。
もしも俺が彼女持ちでなければ、速攻で「行こう」と言っていたことだろう。
だがしかし、俺は彼女持ち。それも、明日は——。
「生憎だが、明日は無理だ。予定が入ってる」
「私とパンケーキ屋さんに行く予定よりも大切な予定があると思ってるの?」
「あると思ってるよ!! ていうか、その言い方はやめろ。彼女面するな!!」
俺にとって、彩心真優とはただの友達。
それも、同じ予備校に通って同じく医学部を志す仲間であり、敵である。
「で、明日は何があるわけ?」
「答えないとダメなのかよ?」
「答えられないことするの? もしかして新たな女を作ろうと……」
「してねぇーよ!! 明日は結愛とデートするんだよ、デート!!」
明日は結愛とデート。デートプランもざっくり考えた。
もう全てが完璧と言ってもいい。
結愛が喜ぶ姿が頭の中に浮かんでくるし……もう最高だぜ。
「それならドタキャンしても許されるね」
「許されねぇーよ。ていうか、ドタキャンする意味がねぇーよ」
「でもさ、あの子はヤらせてくれないんだよ? 私とは違って」
彩心真優は悪戯な笑みを浮かべて、俺の頬をツンツンと指先で触れてくる。
俺はその行為を完全に無視して、言わなければならないことを呟く。
「彩心真優。お前に言うべきことがある。女性の価値はヤラセてくれるかヤラセてくれないかでは決まらないんだよ。勝手に人様を自分の物差しで語ってんじゃねぇーよ!!」
「という男に限って、女性に関係を求めてくるって……サユちゃんが言ってたよ」
「サユちゃんってのが何者か知らんが、俺は俺だ。他の男とは違うんだよ」
女性の価値はヤラセてくれるかヤラセてくれないかで決まる。
そんな言い分は嘘だ。嘘に決まってやがる。
俺は本気で結愛のことが好きなんだ。
彼女は病弱だから、ヤラセてくれないのは分かってるけど……。
それでも、俺は彼女のことが好きなんだ。体の関係を抜きにしてでも。
「そっか。それなら賭けをしようよ、時縄くん」
彩心真優は微笑んだ。
まるで詐欺師が格好の獲物を見つけたと言わんとばかりに。
「明日はあの子と絶対にヤったらダメだからね。他の男とは違うって教えてよ」
◇◆◇◆◇◆
【彩心真優視点】
彩心真優は女子トイレへと入り、そのまま個室の扉を開いた。
施錠を済ませた後、服を脱ぐことなく便器の上へと座る。
もう限界だった、平然な態度を貫くのは。
「意識していないわけないじゃん……ずっと意識しっぱなしだよ。あのバカ」
全然時縄くんのことを意識していないみたいなことを言っていたけど。
それは全部嘘。
もしも意識しているなんて言ったら、単純な女だなと思われそうだったから。
たった一回関係を持っただけで、相手のことを好きになる尻軽女と思われたくないから。
だから、大好きな彼に嘘を吐いてしまった。
「本当は心臓がドキドキして、今にも壊れてしまいそうなほどなのに」
時縄勇太のことが好きだと、カラダの内側が叫んでいるのだ。
心臓の鼓動が早くなりすぎて、呼吸さえも整えるのがやっとだったのに。
「どうしてこんなにも好きなのに……大好きなのに……」
——私じゃダメなんだろう??
——私ならもっとあの子よりも愛してあげられるのに。
——私のほうがあの子よりももっと時縄くんを大好きなはずなのに。
「……私は一番じゃないんだろ?」
彼が大好きなのは、私ではないのだから。
彼が好きなのは、あくまでも——私以外の女の子なのだから。
それが無性に愛おしくて、辛くて、切なくて——。
「今にも狂いそうだよ、時縄くん」
もっともっと愛してほしいよ。
本当はもっと大胆な行動を取って、気を引いたほうがいいのかもしれない。
ただね、いつでもヤらせてくれる都合のイイ女にはなりたくないんだよ。
自分で言ってることとやっていることは間違っているとはわかっている。
それでもね、私は二番目じゃなくて、一番目になりたいんだよ。
「本当バカだなぁ……私。こんな恋心が成就する可能性は極めて低いのに」
それなのに、好きで好きで溜まらないんだから。
彼と出会うだけで笑顔が溢れ出して。
彼と瞳が合うだけで心臓がドキドキしちゃうんだから。
「でも、時縄くんも緊張してくれてるんだ。意識してくれてるんだ、ちゃんと」
まぁ、知ってたけどね。
彼の瞳孔を見て。彼の反応を見て。
いつもと違う最近の彼を見て、意識していることは知っていた。
ただ、それを直接、彼の口から聞くことができた。
自分の勘違いではなかったのだ。彼は私のことを意識してくれてるのだ。
「嬉しい。嬉しいよ、時縄くん」
もっと突き放してくれればいいのに。
もっと性欲に塗れた男になってくれればいいのに。
もっと私をただのオモチャのように荒く扱ってくれればいいのに。
そうしてくれれば、彼のことを忘れるのに。
そうしてくれれば、彼のことを嫌いになれるのに。
「本当おかしいよ、私」
ダメだ、私。
頭の中が、彼のことでいっぱいいっぱいだ。
もう彼のことしか考えられない頭になってる。
他人の恋愛話を聞いて、冷めた態度しか取ったことがなかったけど。
「恋愛は人を狂わせてしまうんだね、骨の髄までたっぷりと」
時縄くんのことがもっともっと知りたいよ。
時縄くんともっともっとそばにいたいと思っちゃうよ。
本当におかしいよね、たった一回限りの関係だったのに。
「どうして嫉妬しちゃうんだろうね。彼女さんとデートと聞いただけで……」
元々、彼が彼女持ちだってことは知っていたはずなのに。
彼が彼女さんのことを大好きで大好きで堪らない。
その点に関しては、最初から知っていたはずなのに。
『明日はあの子と絶対にヤったらダメだからね。他の男とは違うって教えてよ』
こんな悪あがきみたいなことを言っちゃうなんてさ。
だって、もしもあの子と関係を持ったら……。
彼にとって、私はただのヤラセてくれた女に過ぎないのだから。
「都合の良い女でもいいから彼の側にずっと居たい」
でも、と呟き、下唇を噛みながら。
「ずっと都合の良い女でいたいわけではないんだよ」
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