第19話

「いいよ、別に。これは私の問題だから」


 これ以上関わってくるな。

 そんな声色だが、俺は気にしない。

 お節介焼きを通り越して、面倒な奴だという自負はある。


「二人で探したほうが早いだろ? 気にするなよ」

「いや、だ、だから……私はこれ以上アンタにッ——!!」


 彩心真優の口が荒々しくなる。「アンタ」なんて口調を使うなんてな。

 からかっているときは、得意顔で「時縄くん」なんて言ってくる癖に。

 心の中を掻き混ぜられているのだろう。だが、俺も「お前」と呼び捨てしてるし、お互い様だ。


「関わって欲しくないんだろ? それぐらいは分かってるよ」

「なら、なんで? どうしてこんなに付き纏ってくるのよ! 一人にさせてくれないのよ!!」

「二人で探したほうが早いからだよ。ただそれだけの話だ」

「で、でも……」

「ウジウジしてる時間があるなら、さっさと教えろ。俺も暇じゃないんだからな」


 彩心真優も合理的な判断ができたようだ。

 一人で探すよりも二人で探した方が早い。

 単純な仕事算の問題である。

 断っても無駄。コイツは諦めても、付き纏ってくる。

 彩心真優はそう判断したのか、「はぁ〜」と長い溜め息を吐いてから。


「……時縄くんと一緒に自転車乗ったでしょ? 多分、そのときに落としたかも」


 彩心真優を祖母の元まで連れて行った日か。

 もう1週間前の話じゃないか。


「そのときに落としたって? 自転車に乗ってるときってことか?」

「……う、うん」


 工場跡地から病院までの道のり。

 距離にして1〜2キロはある。それを探せということか。

 現在の視界は雨も降ってて極めて悪い。だが、全然見えないわけではない。


「よしっ!! 今から探すぞ!!」


 気合いを入れてみたんだけど、俺は重要な情報を忘れていた。


「それで、思い出の品ってのは?」

「ええとね。それは————」


 彩心真優はスマホを取り出し、一枚の写真を見せてきた。

 小さなシロクマのキーホルダーだ。

 もふもふした素材を使ったぬいぐるみである。

 そういえば、彼女が持ち歩くリュックサックに付いていたかもな。


「何? 私がこんな可愛い趣味してたらダメなの?」

「そ〜いうわけじゃないよ。人様から貰ったものを大切にするんだなと」

「これはね、おばあちゃんが北海道行ったときのお土産なの」


 お土産で貰ったキーホルダーを今でも大切に持っている。

 正直、家族や親戚に貰ったものでさえ、何処にしまったのかは分からない。

 だが、結愛からのプレゼントは別だ。

 中学の頃に結愛から貰った手編みのマフラーは今でも使ってるし。


「で、どこまで探したんだ?」

「基本的には、全部探した。でも、全然見つからない」

「なるほど。なら、今から手当たり次第に探すしかないな」


◇◆◇◆◇◆


 俺も一度だけ、スマホを落としたことがある。

 後日、警察署から電話が掛かってきて、見つかったと連絡が来た。それを受け取る際に聞いた話なのだが……。

 俺たちが住む田舎町では、8割から9割の確率で、スマホや財布などの貴重品は本人の元へと戻ってくるらしい。

 でも、それ以外のもの。言わば、雑貨などの類は戻ってくる確率は、1%あるかないかだと語っていた。


 つまり、見つかる確率は極めて低いわけだが……。


「……やっぱり、俺の見間違いってわけじゃなさそうだな」


 工場跡地から病院までの道のりを何度も行き来した。

 普段は、予備校の机と向き合っている。なので、久々に体を動かすのは、気持ちが良かった。

 だが、数時間経っても止まない雨に、俺は徐々に体力を奪われていく。体温が冷え、急激に身震いしてしまうほど。勿論、自転車を漕いで、無理矢理体温を上げたけど……。


「もう帰ろう。多分、そ〜いう運命なんだよ。きっと」


 顔を俯かせたまま、彩心真優はそう呟いた。

 俺が来る前から、彼女はずっと探し続けていたのだ。

 もう精神的にも肉体的にも限界なのかもしれない。


「嫌だ。俺は絶対見つけるまで帰らない」

「もういいよ、別に。ありがとう、一緒に手伝ってくれて」


 彩心真優は心の中で一区切り付けたのだろう。

 お開きモード全開な口調で続けて。


「ねぇ、もう帰ろう。時縄くんだって、早く勉強したいでしょ?」


 あぁ、そうだ。

 俺はさっさと家に帰って、勉強がしたい

 少しでも自分の成績を上げるために、時間を使いたいからな。

 だが、諦めることはできない。


「なぁ、彩心真優。お前は本当にそれでいいのか?」

「いいって言ってるでしょ。こんなに探しても見つからないんだもん」


 にへっと、口元を薄めながら。


「もしかしたら、誰かが拾ったのかもね。もしくは、車に潰されてしまったのかも。他にも、餌と間違えて、鳥が咥えちゃった可能性もあるし……だから、仕方ないんだよ、今回の件は」


 彩心真優の意見は、正しいかもしれない。

 合理的な判断をすれば、1週間以上も前に失くしたものを探すのは困難だ。


「でも、それでいいのよ、もう。おばあちゃんだって、何の恩返しもしなかった孫にはバチを与えたかったのかも。何かしようと思ったら、何でもできたはずなのに。それをしなかった孫には————」


 悲劇のヒロイン振る彩心真優。

 あまりにも自嘲気味なことばかり言うので、俺は言葉を被せてしまう。


「だから、お前は諦めるのか?」

「……諦めるしか道はないの。アンタだって、もうヘトヘトじゃない」

「あぁ、確かにヘトヘトだ。さっさと家に帰って、風呂でも浴びたい気分だよ」


 俺は本心を伝えた。


「なら、さっさと家に帰りなさいよ!! 私のことなんて忘れてしまえばいいじゃない。それで全部解決する話じゃない!! それなのに、どうしてアンタは帰らないのよ!!」


 あぁ、頑張った。俺たちは頑張って探し続けた。

 でも、見つけることはできなかった。

 そんなオチで良い気もする。だが、しかし——。


「お前にとって、それは大切な物なんだろ?」


 人間には譲れないものが、誰にでもある。

 俺にとって、それは本懐結愛だ。本懐結愛を救うためなら、この命を投げ出してもいいと本気で思っている。それぐらい、俺はアイツを本気で好きなのだ。アイツのことを本気で愛しているのだ。

 重すぎると言われても構わないさ。事実なのだから。嘘が混じっていない本音なのだから。

 そして、彩心真優にも、その譲れないものがあった。自分の大切なものだからこそ、受験生の癖に、予備校をサボってまで、彼女はずっと探し続けていたのだ。祖母との思い出を。


「そ、それは……」


 彩心真優の返答は、歯切れが悪くなる。

 彼女にとって、掛け替えのない思い出なのだろう。

 清算したくても清算することができないものなのだろう


「俺は医者じゃない。でも、医学の道を歩もうとしている者だ」


 耳触りな雨音が一層酷くなる。

 だが、俺は構うことなく、続けて。


「医者は体の傷を治すことはできる。でも、心の傷までは治すことはできない」


 どんなに優れた医者でも、心の傷を治せない。

 人の心を完璧に把握することが不可能だからだ。


「…………だ、だま……り、なさい……」

「お前がばあちゃんから貰った形見は大事なもんなんだろ」

「…………だ、黙りなさい」

「ここで引き下がったら、お前の心の傷は癒えないままだ」

「黙れッ!! 黙れッ!! 黙れッ!! 黙れッ!! 黙れッ!!」


 彩心真優が叫ぶ。

 青白い顔。真っ赤に充血した瞳。

 声を聞く限りでは、怒っているようにしか聞こえない。

 でも、違う。彼女は肩を大きく揺らして震えていたのだ。


「お前だって、分かってんだろ? それが諦めたくても、諦めないぐらい大切なものだってことぐらい。それを失くしちまったら、今後の人生で何度も後悔するってことぐらい。俺よりも何倍も頭がいいお前なら、そこまで全部分かってるんだろ?」


 図星を突かれて、彩心真優の身体がピクリと反応する。


「だから、俺は絶対諦めない。それだけの話だ」


◇◆◇◆◇◆


 その後も、俺たちは捜索を続けた。

 自転車で何度も行き来し、道路上にある可能性はないと判断した。残るは工場跡地だけとなり、隈なく探しているのだが。


「諦めが悪いよ。もう帰ろうよ」

「生憎、俺の辞書に『諦める』という文字はないんだよ」

「風邪引くわよ。それでもいいの?」


 彩心真優はいつもの段差に座っている。

 途中休憩を挟まないと、やっていられないのだ。

 と言っても、俺は集中力が切れずに探し続けているが。


「俺はバカだからな。風邪は引かないんだよ」


 そう呟きながらも、俺は作業を続行する。


「それに雨も止んだ。追い風が来てるんだよ」


 工場跡地は野原だ。

 人のくるぶしぐらいの草木が生い茂っている。

 なので、俺は草を掻き分けながら探していると。


「にゃ〜ん」


 俺の前に一匹の黒猫が現れた。

 ここに来たときには、屋根の下に居たのに。

 いつの間にか、遊びに出かけていたらしい。


「にゃこ丸、お前も一緒に探してくれるのかぁ〜?」


 そう訊ねたとき、俺は気付いた。

 にゃこ丸の口に、何かが咥えられていることに。

 にゃこ丸は俺の前に来ると、咥えていたものを落とした。

 それは、小さなシロクマのぬいぐるみだ。

 数時間以上前に、彩心真優が見せてくれた写真と同じもの。


「デカしたぞ!! にゃこ丸」


 見つかった。

 無性に嬉しくなって、俺はにゃこ丸を抱き寄せる。

 それから、赤ちゃんのように「高い高い」と持ち上げようとするのだが、「にゃにゃ!!」と爪で引っ掻かれてしまう。


「ちょっとにゃこ丸にちょっかい出さないでよね」


 彩心真優が腕を組んで歩いてきた。

 にゃこ丸を取られたと思い、ご立腹のようだ。


「見つかったぞ」

「えっ……?」

「ほら、これじゃないのか?」

「………………」


 彩心真優が固まった。

 もう見つからないと思っていたことだろう。

 それが、遂に見つかったのだ。

 彼女の瞳から涙が溢れ出す。

 止めようと思っても、止まらないだろう。

 でも、彼女は決して涙を拭うこともなく。


「おいおい。泣くなよ」

「…………あ、ありがとう」

「ん? ごめん。もう一回いいか?」

「ありがとうと言ったのよ……聞き返すなッ!!」


 正論すぎる返答を貰った。

 だが、数時間まで死んだ顔をしていた彩心真優。

 彼女の表情に、笑みが戻った。それが無性に嬉しかった。


「なぁ、彩心」


 それに、俺は思う。

 彩心真優には、悲しい顔は似合わないと。

 彼女にふさわしいのは——。


「やっぱり、お前は笑っていたほうがいいと思うぜ」

「……時縄くんに言われる筋合いはないわ」


 でも、と呟きながら。


「でも……そのあ、ありがとう。必死に探してくれて」

「どういたしまして」

「また借りを作ってしまったわね……」

「借り? 何言ってんだ。今回のは、俺の自己満だろ?」

「で、でも……」

「もしも、礼を返したいというなら、クラフトコーラでも奢ってくれよ。それで全部チャラだ。それでいいだろ……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る