第5話
俺と彩心真優は一緒に帰ることになった。
別に浮気では断じてない。
田舎の夜道は暗く、女の子を一人歩かせるのは危険なのだ。
自転車でさっさと帰りたい気分なのだが、彩心真優を置いていくことはできない。かと言って、二人乗りする間柄でもない。というわけで、俺は自転車を押しながら歩いている。
それにしても、雨が止んでくれて本当によかった。
「で、彩心さんはどうしてここに?」
「おばあちゃんが入院してるの」
「そっか。それは律儀だね、自分一人で来るなんて」
「毎日彼女に会うために通う人もどうかと思うけどね」
「純愛だよ、純愛」
「しつこい男は嫌われるよ?」
「余計なお世話だよ」
彩心真優は社交的な女の子だ。
俺みたいな根が暗い奴とも対等に喋ってくれる。
多少、揶揄われてる部分もあるが、それはご愛敬だろう。
実際、予備校内でもクラスの中心に居るんだよな。
「でもさ、彼女さん嬉しいだろうね。これだけ想われたら」
「まぁ〜な。それは毎日俺は自転車漕いで行ってるからな」
「……それはそれで重すぎると思ってるかもね、彼女さん」
よかれと思ってやっている行動だが、逆にそれが相手の重荷になっている。そんなことは世の中には沢山あるだろう。
でも、それを他者からガミガミ言われるのは好きではない。
「別にいいだろ、俺と結愛の関係に口を挟むな」
「へぇ〜。結愛って言うんだ、彼女の名前。可愛いね」
「うう……」
彩心真優は微笑んだ。良い情報が手に入ったと。
会話の主導権を握り、誘導尋問するのが得意なようだ。
「ちょっと時間いいかな?」
「いいけど何だよ?」
「傘を貸してくれたお礼をしてあげる」
彩心真優は悪戯な笑みを浮かべてきた。
彼女が連れて来られたのは、人気が全くない自販機。
誰がここまで買いに来るのかと戸惑ってしまうほどだ。
「何にする? 一本だけ奢ってあげるよ、私が」
「コーラでいいよ」
「私と同じものを選ぶって……運命的な出会いを演出してるストーカー?」
「同じものを選んだだけでストーカー扱いされる筋合いはねぇーよ。てか、コーラって万国共通な美味い飲み物だろ!!」
至極真っ当な意見を申してみた。
だが、彩心真優は全く聞く耳を持たずに、自販機で購入していた。静かな空間でガシャンと大きな音がやけに響いた。
真優は腰を屈めて、二本の缶ジュースを取り出した。
「これ、私のお気に入り。それでもいい?」
「へぇ〜。何これ? 三ツ谷のクラフトコーラ?」
コーラといえば、コカコーラかペプシか。
この二択しか考えていなかったのだ。
だからこそ、俺は戸惑ってしまっていたのだが。
「飲みたくないなら別にいいわよ。その代わり、もう二度と何もしてあげないんだから」
余程、彩心真優は三ツ谷のクラフトコーラにお熱のようだ。
お礼をしてもらったので、このまま帰るか。
そう思っていたのだが、彩心真優は付いてこいと言わんとばかりに、前を歩き出す。俺はその後を追った。
辿り着いたのは小さな工場跡地であった。
潰れてからまだ時間が経過していないらしく、まだ外観が整っていた。と言っても、窓ガラスが破られ、誰かが侵入した跡が垣間見ることができる。
「こんな場所をよく知ってたな」
「病院に行く途中に偶然見つけちゃって」
「なるほどな。確かに気になるよな、これは」
自転車を漕いで病院まで全速力で向かっていた。
だからこそ、俺の視界には全く入らなかったのだろう。
というか、入っていたとしても、建物がある。そんなふうに認識していただけで、実は工場跡地なのだとは知らないはず。
工場の入り口か、それとも裏口なのか。どちらかは検討が付かないものの、厚い扉がある近くに、ちょっとした階段があった。階段といっても、三段しかない。なので、段差と言っても差し支えない場所なのだが、そこに彩心真優は腰を落ち着かせた。
俺もそれに倣って、隣に座る。屋根があるので、地べたといえども全く濡れていない。
俺の隣に座った彩心真優は、パンと手を叩いて。
「それでは、乾杯にしましょうか」
「何に……?」
「キミと私が志望校に合格する前祝いかな?」
雨が止み、月明かりだけが頼りの夜、俺たちはクラフトコーラで乾杯をした。
それにしても……。
ゴクゴクと美味しそうに飲む女である。
これだけ美味しそうに飲んでくれるのであれば、生産者さんたちもさぞかし喜んでくれるだろう。というか、いい飲みっぷりである。俺がプロデューサーならば、CMの出演願いを出しているところである。
そんな彼女は飲む手を止め、こう切り出した。
「そういえば、キミの名前は……?」
「知らなかったのかよ。てか、今更過ぎるだろ!!」
「ごめんごめん。同じクラスの人ならまだ覚えてるんですが」
彩心真優から認識されていなかったらしい。
相手が相手である。俺みたいな地味男は興味ないよな。
はぁ〜と溜め息を吐きながら、俺はいう。
「
「……そういえば見たことあるかも。サボり癖があるの?」
「サボってねぇーよ。毎日予備校に居るわ!!」
「……ごめん。素直に気付かなかった」
俺たちの間には、深い溝ができてしまった。
無言の状態が続き、虫の泣き声が聞こえてくる。
工場跡地周りは、草木が生い茂っているのである。
「ここは私だけの秘密基地なんだ」
星々を見上げながら、彩心真優は目を輝かせている。
胸を張って堂々と言っている彼女には申し訳ないが。
「もう俺も知ってしまったけどね」
「……あ」
失敗したとでも言うように、彩心真優は頭を抱えた。
どうして教えてしまったのだろうと思っているのだろう。
「彩心さんって意外とポンコツなの?」
その言葉に、空かさず顔を真っ赤にして反論してきた。
「ポンコツじゃないわよ。模試の成績は毎回トップですよぉ〜だ。それで、キミは?」
「……ううっ、男の子に身長と模試の成績は聞いたらダメなんだよ」
「初めて知った。男の子って複雑な生き物なんだね」
冗談が通じないタイプなのかもしれない。
もしくは、天然ボケなのかな。
「でも、まぁ〜安心してよ。誰かに教えることはしないから」
「当たり前です。ここは私だけの特別な場所ですから」
彩心真優がそう言い返した瞬間。
「あ、にゃこ丸だ!!」
俺との会話では一切聞いたことがない嬉しそうな声を上げた。
「にゃこ丸??」
戸惑う俺に対して、彩心真優は指差した。
草木を抜け出してきたのは、一匹の黒猫である。
魔女の宅急便に出てくる猫にそっくりだ。
そんな猫は人間慣れしてるのか、こちらに近づいてくる。
そのまま彩心真優の元まで来ると、可愛く鳴いた。
「うん、にゃこ丸だよ。にゃこ丸」
彩心真優が顎の辺りを摩ると、にゃこ丸と名乗る黒猫は嬉しそうに顔を左右に動かしている。余程懐いているようだ。
予備校内では決して見れない表情である。予備校内でも笑うことはあるけれど、それとは全く異なる笑みだ。言うなれば、無邪気さ溢れる本当の笑みって感じかな。猫と戯れるときは、余程楽しいのか、笑みが絶えることは決してない。
そう思いながらも、俺は奢ってもらったコーラを飲んでみた。コカコーラともペプシとも異なる味付けである。
美味しいか美味しくないかでいえば、美味しいと思う。
だが、わざわざこんな辺鄙な場所に来てまで飲まない。
「あ、そうだ。にゃこ丸、これを食べていいよ」
バッグの中から魚肉ソーセージを取り出した。
元々、今日は俺に出会わなくても、ここに来るつもりだったようだ。にゃこ丸とやらに会いに来るついでに、俺を秘密基地にお誘いしたのだろう。
「ちょ、ちょっと待ってよ。準備するんだからさ」
彩心真優は魚肉ソーセージの袋を開く。
その姿を見て、待ち望んでいたかのように、にゃこ丸は尻尾を振って喜んでいる。一度食べた味を忘れられないのだろう。
普段は凛とした表情しか見せない彼女だが、意外と無邪気に笑うこともできるんだなと感心してしまう。こんな一面を予備校内でも見せれば、彼女の人気はもっと広がることだろう。
そんなことを思いつつも、にゃこ丸のお世話をする彼女を見て、俺は彩心真優が将来世話焼きな母親になると予想した。
「何? こっちをニタニタ見てきて」
「別に何でもないよ」
「……それならいやらしい目つきで見ないでよ、変態さん」
「変態さんって……お、俺は彼女持ちだぞ?」
「男はどんな女の子でも見境なしと聞いたことがあるけど」
「生憎だが、俺を他の男共と一緒にしないでくれ。俺には世界で一番愛すべき彼女が居るんだぜ。だからさ、俺には——」
愛すべき彼女——本懐結愛の魅力を語ってやろう。
そう思っていると、彩心真優は完全無視でにゃこ丸と戯れていた。もう俺が彼女たちに付け入る隙はなく、微笑んで見守ることにした。あとから、ニタニタしてて気持ち悪いとお叱りの言葉を受けちまったがな。悪いかよ、こんな顔なんだ、元々。
◇◆◇◆◇◆
地方の予備校は、定員割れを起こしやすい。
大学全入時代と言われる昨今に、わざわざ浪人する必要があるのかと疑問視されてしまうのだが。
特に地方の予備校は少子化の影響を
一番驚いたことといえば、環境格差を痛感したことだ。
周りの奴等は両親が医者だとか弁護士だとか官僚だという。
その話を聞くだけで、俺は劣等感を覚えてしまうものだ。
だから、というわけではないが、俺は周りの奴等と喋る機会が極めて少ない。勿論喋る機会はあるのだが、事務的な会話である。浪人生はどんなときであってもガチ勉するもの。そういうタイプもいるので、割と珍しくない光景だと思いたい。
友達がいなくてもいい。だって、彼女がいるのだからさ。
というわけで。
俺は結愛の存在を励みに、朝早くから予備校の教室で勉強に集中していた。
そんな折、廊下側からまたザワザワとした声が聞こえてくる。教室に入って来たのは、彩心真優であった。大きなヘッドホンを付けて、周りの音を完全遮断しているようである。
彼女の耳には聞こえていないようだが、彼女を見る誰もが「うわぁ……今日も可愛い」とか「カッコいい」と口々に声を揃えて典型的な褒め言葉を発していた。
華やかな世界を生きる彼女を見ても、辛くなるだけだ。
そう思い、俺は現実を直視する。今、やるべきことは、勉学のみだ。昨日は家に帰るのが遅くて、あんまり勉強ができなかった。だから取り返すのだ。
「おはよう、
高嶺の花である彩心真優が喋りかけてきた。
それも、自分の座席とは全く異なる場所に座る俺に。
この行動には、俺は戸惑いを隠せなかった。
「…………」
予備校内では、誰からも喋りかけられない空気のような存在。
ただ必死に勉学に励み続けるガリ勉くん。言わば、予備校の空気的存在。
そんな俺に、あの彩心真優が喋りかけてくるなんて嘘みたいな話だった。
「あれ……? もしかして時縄くんじゃない??」
「……いや、俺で間違いないけど」
「なら、挨拶ぐらい返してよ。普通に寂しいじゃない」
「おはよう」
「ちゃんとできるじゃない。でも、今後は一回でお願いね」
そう言い放ち、彩心真優は自分の席へと戻っていく。
男子嫌いで有名な彩心真優。
そんな彼女が自分から喋りかけに行くなんて。
あの男とは、一体どんな関係なんだ。
そんなイロモノを見る目が、俺の集中力を阻害するのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます