攻撃力0の天才探偵、日常に潜む狂人たちを完膚なきまでに叩きのめす ~私たちが持つ秘密の力で……楽勝だと余裕ぶっこいてチョーシにノッテいるてめぇらに吠え面かかせてやるよ!!~

零芸小馬

第0話:私は

(うるさい……)

 或る夜、私は半鐘の音で目を覚ました。耳の奥を突き刺され、心地よい夢から現世へと引き戻される。おかげさまで目覚めは最悪。頭を上げる気力すらも起きなかった。



(はぁ……)

 なぁんか目が覚めちゃった……。眠れない時は……そうだ。逆に何も考えない。お友達から教えてもらったし。頭に浮かんだことを消していこう。


 ここは——自分の家だ、考えずともわかる。大きな家にたった一人。物心がついた頃から。家族もいなければ、これまでもこれからも独り……。うん……そうだ……。



 自分の孤独さについて改めて実感していると、またしても鐘が鳴った。


(うわぁ……)

 火事でもあった? それとも大雨? 明日に備えておねんね中の――かよわき乙女をたたき起こしてまで伝えたいことなの? 他人の不幸に大騒ぎするなんて、やっぱり大人はおバカ! 楽しみが酒しかないくせに!




「おぉ~~~~い!! 屠顔人だ、屠顔人が見つかったぞ!!」


「はやく、早く隠れるんだ!!!」


(なぁんだ、物の怪もののけね)

 外から聞こえてきた――すこぶる慌てた声にため息をつくと、私は力強く目をつぶった。たかだか人の形をした獣一匹に、何を怖がっているのかしら……と。



「ぁあやぁーっ!! キャァーーッ!!」


 スゥ……スゥ……


「人殺しよ! ひ~と~ご~ろ~し~!!」


 フッ、フゥ…………


「うそついてんじゃねぇ! だぁれも殺されてねぇよ!」


 ゥウン!


「みんな安心して! もう捕まったって、隣のオバ様が言っていたわ!」


(……なんだか目が覚めちゃった)

 蹴り飛ばした掛け布団を敷き直すと、そのまま私の口元まで覆いかぶせた。天井の梁でも数えながら、眠りに落ちるのを待とう。


 ……べ、別に怖がっているわけじゃない。ほんとうよ? 本当に、本当! 怖がっているわけがない……。……厠は明日までお預けだね。



「で、誰なんだよ!?」


 ……ん?


「それが——」


 なに? いくら壁が薄くたって、もう少し声が大きくないと聞こえ……じゃなかった。立ち話はよそでやってよね、ここは寄合所じゃないんだから!



(でも……こうなったら絶対に聞いてやる)


 ここで負けず嫌いの性が出てきてしまった。現実を知ることが良いことなのか……。ともかく私は、胸に手を当てながら聞き耳を立てたのだ。葉擦れの音から心臓の鼓動まで。全てに反応できるくらい慎重に。



「まだ十三なのに……かわいそうねぇ」


 私と同じだ。一緒にお参りした子かな?



「バカいえ! そんなことを言ったら、俺らまで巻き添えくらっちまうぞ!」


 まぁ……お友達にはなりたくないよね。私には一人しかいないけど……。物の怪からのお誘いは断っちゃうな――



「それにしてもねぇ。まさか——さんとこのお嬢ちゃんとは」


 その瞬間、私は飛び起きてしまった。



(うそでしょ……?)

 あの――ちゃんが? 初めて仲良しになった――ちゃんが? 一緒にお花の香りを楽しんだり、おしゃべりしたり。お母さんとお父さんのことで私の分まで泣いてくれた……。私のことを一番理解してくれてる――ちゃんが……?



「あんなに笑顔で話しかけてくれたのに……まんまと騙しやがって」


(起きているはず……。なのに目の前が真っ暗……)

 私は思い切り頭を掻きむしった。おなかの奥からウジみたいに湧き出るイヤな気持ちを抑えようとして。体を捩じらせ、めまいがするほど頭を振りながら。絶対に……一つの疑問を浮かばせないために。



「屠顔人は……処されて当然じゃ。それが誰であれ……」


(ふぅ…………)

 聞き間違い……だよね。そうだ……布団にくるまろう。両ひざを抱えて背中を曲げる――。おかあさんに守られている感じがして、いっちばん落ち着くんだ。もう、聞こえない、聞こえないしちゃえ!



「何か~勘違いじゃないかしら。とっても賢くて、可愛らしくて。私たちにはなぁんも害がなかったですよ?」


 そうだよ! 物の怪は人を攫ったり食べたりするって聞いたことがある! でもいつも一緒にいる私を食べないってことは、物の怪なんかじゃないって。簡単に分かるじゃん!



「でもさ、でもさ。おいらの昔馴染みは屠顔人にケガさせられたんだぜ? あんのクソったれに」


(うるさい、うるさい……うるさぁい!!)

 他の人はそうでも……彼女は違うの! 今日も明日もあさっても、その先もずぅっ~と一緒に遊ぼうねって。いつか縁談の話がきたら絶対に紹介しあおうねって。お母さんになったら一緒に住もうねって。二人ともヨボヨボのおばあちゃんになっても、昔のことを思い出しながらお茶でも飲もうねって。……そう思っているはずだから!


(フン!)

 そんな大人たちに、この私は騙されないのである! もう早く眠ってよ……。



「あぁ……くわばら、くらばら」


「そろそろが到着する頃ね……」


 無理だ……眠れない。それどころか氷漬けにされたみたいに手が震えてきた。怖いよ……助けて……まさか本当に……? いや、いやいやいやいや! そんなわけないって! だって私たち、大しんゆうだよ!? 隠し事はなしって指切りもしたんだよ!


(う、ぅおぉぉ……!)

 布団から出ろ、私。一直線に土間へ……外へ出るんだ! この目で見るまで、絶対に信じないぞ!




 ――布団から飛び出た私は、寝巻着姿のまま玄関へ走った。帯を引き摺っていることに気づかないほど全力で。歯を食いしばり、顔を伏せながら。それは頬についた、一筋の跡を誰にも見せないための行動なのだ。



「もう日は出てねぇぞ!」


「うるせぇ!」



 村中の大人が起きたのか、家の外が騒がしくなる。まるで赤ん坊の夜泣きのように。そのまま私は玄関から飛び出たのだが……。


(だれも……いない……?)

 人っ子一人として見つけられなかったのだ。いくら灯が乏しいとはいえ、今夜は薄月夜。人の形くらいは難なく分かるはず。


(ど、どこ……どこにいるの……?)

 暗闇の隅々まで目を凝らした私は――



「なっ……!」


 言葉を失ってしまった。



 そこには玄関から身を乗り出し、大声で会話をする大人たちが。足を一歩も外へ出すことはなく。餌に群がる鯉のように口をパクパクさせて。「関わりたくないが興味はある」という野次馬根性が、彼らを半端で哀れな姿へと変えてしまったのだ。


 これが大人かぁ……。いつも威張っているくせに怖がりすぎじゃない? だけど今の自分には害がないもんね。むしろ広い道を作ってくれてありがとう、臆病者さん!



 それから私は、――ちゃんの家へと走り出した。何も疑わず、何も迷わず。ただそこに行けば、救いがあると信じて。



   ♢♢♢



「はっ……はっ……はっ……はっ……おぇっっ…………はぁっっ」



(つ、ついた……)


 走り始めてから数分後、私は目的地へ辿り着いた。この村でひときわ存在感がある、彼女の家へ。

 ——ちゃんの家は曲り家と呼ばれる造りで、母屋と馬屋がつながっている。そのため正面から入ろうとすると、土間や茶の間、座敷から簡単に見つかってしまうのだ。


(もう逃げちゃったかもだけど……とりあえず中に入ろっと!)

 この時の私は、はからずも馬屋の裏口へ回り込んでいた。後ろめたさによる咄嗟の判断だが、これが功を奏す。



「準備は整ったか?」


「あいよ! あのガキ以外、家族全員を縛り上げやした!」


(あれぇ?)

 中で誰かが話している……いや、私ってば泥棒みたいじゃん! 怒られたくないし……お馬さんの隣で隠れなきゃ……。これは盗み聞きじゃない……会うための手掛かりにするの!



「それで、……者は?」


「はいぃ?」


 私の目線の先には、二人の男性がいた。

 おキヨメのお兄さんだぁ……いつ見てもカッコいい。私のお婿さん候補にしてもいいわね! 隣にいるのは……いつも威張り散らしている地主のおじさんだ。なぁんかな感じぃ……。それにしても家の人がいないなぁ。


 おキヨメと呼ばれる男は、六尺ほどのきゃしゃな体格をしていた。白装束を思わせる白い着物に、日本刀を携えていた古風な身なりで。表情はよく見えないが、常居を直視していたのだ。

 もう一人の男は、媚びへつらうような揉手をしていた。不摂生がたたった球体のような腹の上で、汗をぬぐいながら。取り繕ったような笑みを浮かべている。



「密告者は……かと聞いている」


「えぇ? アイツはこの村を……したんですよ!? しかもガキと同じ十三の女の児おなご――」


「でも……は知ってるよな? そのようなやつが……都合が悪い。しょせん友を裏切ったヤツ、……文句は言わないさ」


 うーん、みっこくしゃ? よく分からないけど……とても大事な話なんだなぁ。おキヨメさんは眉を吊り上げているし、地主さんは慌ててどっかに行っちゃったぁ……。あっ! そんなことより早く探さな――




「……ちくしょぉぉお! ハメやがって!!」


 お兄さんのさらに奥から――、今まで何度も聞いてきた声が耳に入ってきた。私が恐る恐る目を向けると……いろりのそばで倒れている彼女の姿が。



(う…………そ…………?)

 なんで――ちゃんが捕まっているの……? 



 彼女は天棚から吊るされた鉤に両手首を縛られていた。足腰も反らされ、地面に引きずられるように。だがそれすらも霞んでしまうほど、彼女の表情は恐ろしいものだったのだ。瞳には憎悪の炎を揺らめかせて。敵意むき出しの口から獣のような咆哮をあげている。



「やはり長年隠していたみたいだな……。忌々しい、同じ人間としてへどが出る」


 や、やっぱり屠顔人なんだね……でもいいんだよ! 知られちゃ困ることだし、一つくらい隠し事のある方が魅力的よ! だからほどいてあげて、お兄さん!



 お兄さんの声は決して大きくない。だが牛のように歩を進める姿を見て、これ以上はいけないと本能で感じていた。



「掌枯れ《これ》さえ当てれば……おまえを道連れにできるのに!」


「このオレを斬り殺すのか? 当たらずとも知るだけで同罪だからなぁ……」


 悔しそうに顔を歪める彼女の前に、床を踏みしめるお兄さんが。顔は見えずとも、淡々とした声が聞こえてくる。二人とも憎しみあっているのだ……と。



 ま、まさか……お兄さんが……? あぁやめて……刀に手をかけるのをやめて……。鞘から抜こうとするのをやめて……。手首を掴み上げるのをやめて……。刃を振りかぶるのを――


「やめて!!!」




「ゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」



 手首……切っ…………れた……いたい……落ち…………泣い……



「え」


 なになになになになになになになになになになになになになになになになになになになにわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないなになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになに切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られた切られたあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかいあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあかあか




「……れでもう……屠顔人だから……。……の苦しみより……楽だろうな!」



「あ」


 くびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもくびもきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたきられたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたこうべおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちたおちた




「穢れも……祓われたな」



「ぁ」


 もういないもういないもういないいないいないいないもういないもういないもういないもういないもういないもういないいないいないいないもういないもういないもういないもういないもういないもういないもういないもういないもういないいないいないいないもういないもういないもういないもういないもういないもういないいないいないいないもういないもういないもういないもういないもういないもういないいないいないいないもういないもういないもういないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないいないぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたんぼたん



「……………………………………………………………………………………はっ」


 そんなのう、うそだ。ち、ちをいっぱいながしているのも。うつぶせでうごかなくなっているのも、すべてが、夢だ……よ……ね。そうだ……夢。夢なら……覚める。早く……起きよう………………。




「うわぁぁぁぁん!!!」


 厩の陰から、私は思わず飛び出してしまった。もう目なんか信じない。四本足で這いつくばりながら、変わり果てた親友へ近づこうとしたのだ。



「起きて! 起きてよぅ!」


 灰に落ちた彼女の頭を抱えながら、肩をゆすったり首につけたりした。それでも動き出すことは……なく。変わったことと言えば、自分の手が冒涜のように赤く染まるのみ。



 つらかったよね……苦しいよ…………痛かったよね……流してあげたいよ…………そんなに隠さないでしっかり見せてよ! 前に一度だけしてくれた……私のほっぺを撫でてよ! こんなチクチクした腕じゃいやだよ!



「躯に……つき泣く……一人……もしや」


 ――ちゃん……毎日抱きついても怒らなかったよね。顔じゃない、その優しさが好きだったんだよ! 手がなくても……頭がなくても! 

 でも……今は君の背中を貸してほしいな……。



「……いへんで……メ殿!」


 ペチャペチャペチャペチャ……とても温かい。ペチャペチャペチャペチャ……とっても安心。ペチャペチャペチャペチャ……とてもおやすみ。



「あのガキ、……学校へ……の紹介状を……! ……明日、都の……に来ると……ます! ……が公になったら!」


 でもあの子は死んじゃったぁ……私もここで溺れたいなぁ……。ふふっ……。




「おい、そこのおまえ!」



「えっ……」

 私と――ちゃんとの甘い時間に……水を差された。背中に寝そべっていた私の真後ろからの声に。私は振り向く。すぐにでも切りかかれ位置に、おキヨメのお兄さんがいたのだ。


(なんで……?)

 人を……殺したのに。……そんな優しい顔をしているの?



「今日からおまえは……生まれ変わるんだ」



(ヒィッ!)

 なんで私に触れようとするの!? 


 伸ばされた手を、私は勢いよく払いのけてしまった。心が体についてこれず、そのまま尻餅をつく。それでもお兄さんは力強くたたずんでいて。その柔らかい表情から、私は目が離せなくて……。



「はぁっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!」


 いくら呼吸しても頭がうまく回らない。私は口をあんぐりと開けたまま、全身から根っこが生えたように動けなくなった。動かせるのは目玉だけで。

 お兄さんはその場でしゃがみ込み、右の手のひらを私に向けた。何も言葉を返せない私に、呆れていたのかもしれない。



 しゃ……しゃがんで……? て……てを……? な……なにを……するつもりなの…………? 私はどうなるの…………?



「別の人間として……」



 お兄さんの掌の中心から――白い風が吹き始めた。普通ではない、生身の体から。私は混乱しながらも、目の前で起こっている事実について考えてしまう。命の危機が迫っているからこそ、無駄に頭が。



「……平穏な一生を送るんだ」



 風…………。というより……野焼きで出る煙みたい……。だけど火の色じゃない……空に浮かぶ雲よりも真っ白だぁ……。いっそ私ごと天へ連れてってほしいな……。



「名前を捨て……」



(ゴホォッ!)

 い、息が……苦しぃ……。吸いたくないのに、入ってくるよぉ……。まさか……死……? こんなんで死ぬなんてイヤだなぁ……。せめてらくにしてほしい――



「今日から……」



 ってあれ? むせちゃったけど呼吸はできている? だけど体にくっついて取れないし、白くてなんにも見えない……。



「おまえは……」



(あぁ……)

 なんだか目がぁ……眠くなってきちゃったぁ。それに声も高くなって……痛くもないのに骨が無理やり引っ張られてぇ……自分の体じゃぁ…….ないみた……い……。



「あぁっ、私は……」



「――花だ」

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