第16話:……るッ――

 超高速で地面へ墜落した緑は……、水風船が破裂したかのように無残な姿に――。




「ここで終わったら、中途半端すぎるだろ!」


 なることはなかった。落下の直前、切断された神木の根を地面に突き刺したことで、掌枯れの発動が間に合ったのだ。触れると同時にびっしりと根を張り巡らせて。同心円状に……、なみ縫いのように地面をうねらせながら。


 立派な佇まいで地中に盤踞するこの樹形は、さながら樹齢数百年の神依木。緑は枝幹のように体を固定したことで、自由落下から逃れられたのだ。



おお、神よジーザス……!」

 緑の皮膚は裂けず肉は原形をとどめており、骨格は人の形を保ったままである。ヒューマンフラッグのように、片手で低木を掴みながらではあるが。



「なるほど……鯉のぼりとは考えたな、皐月の風物詩だしなぁ! だが依然優勢、優勢! その口に突っ込んでやるよ」


 玲那は緑のそばで無数の小石を放り投げた。

(攻撃か……芸がない……)

 すると彼女は、大道芸のように次々と飛び移りだしたのだ。アクションゲームさながらの空中歩行を見せながら。落下速度を操った礫が超スローモーションで落ち、安定した足場になっているのだ。


「走るのって……きんもちぃ~」

 体に風を浴び、スキップしながら。玲那は十メートルほど上昇すると、斜めに開傘して柄に座った。真下を覗き込み、指をさしてあざける。




「はぁ~。てめぇは能力の底を見せた。ここから一歩も動かず……植物の操作はできないだろ? これからじっくり半殺しにさせてもらうが……盆栽を楽しむ右手だけは残してやるよ」


 一方、左足を負傷した緑はその場から動けずにいた。辛うじて右足で着地できたのだが。力が入らなくなり、膝をついてしまったのだ。


(オレの掌枯れ……『くわばら、くわばらパセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』は植物の成長を操る。仕込みを行った木に接触できない今、ここからの攻撃手段はない……とアイツは思ってるハズ)


 緑はポケットに両手を入れ握りこぶしを作る。すると思いがけず、ニッと笑みがこぼれたのだ。作り笑いなどではない、心からバトルを楽しんでいる顔で。


(アブナイ、アブナイ……)

 彼女はその表情を隠しながら、右足を重心にして立ち上がる。




「なんも分かっちゃないな! 一から育てたヤツのほうが――思うがままにコントロールできるんだぜ?」


 緑は右の拳を突き出すと、顔の高さから粒をまいた。目線は常に玲那へ向けたまま。もう二度と離さないという気立てが伝わる様子で。

 すると物体が落ちた地点を中心に、石畳が盛り上がり始め――小さな芽が出た。



「立ち上がれ」

 まかれたのはなんと杉の種子だった。発芽とともに根本が地面を持ち上げると……茎から幹へと急成長したのだ。タイムラプス映像のように。


「……伸びやかに」

 芽の真下にいた緑が、せり上がりステージのように上昇していく。数十年分を凝縮した、杉の圧倒的な成長で。普通ではありえないが、太い幹のまま地面から伸びているのだ。その勢いはまさに凄まじく、玲那のいる高さに到達するのに一分もかからないほどだった。



「ヤべっ……こりゃあまさにイカロスだ」


 言葉とはあべこべに、玲那は落ち着き払っている。この状況すら楽しんでいる顔つきで。彼女は座ったままマッチ箱を取り出すと……火をつけて玲那の体に投げつけた。

「丸焼きじゃあ!!」

 着火には木材が必要。太古の時代から続くその考えは正しいのだが、いかんせん火力が小さすぎる。緑によって軽く払いのけられてしまい、足元の樹木にさえ火が付かなかったのだ。




「んじゃ! アタシはさらに上へ行く」


 緑がほんの数秒足止めを食らっている間、玲那はさらに真上へと飛び上がった。緑も後を追うように樹木の成長を加速させると。はるか上空から落下音が聞こえてきた。


(また……どんだけ上が好きなんだよ)

 何かが高速で迫りくる……ことが分かるだけで十分。そのモノ自体は関係ない。緑の行動は一択に制限されるのだ。



「アタシの傘……魔法使いのコスプレだと思っていたのかぁ? てめぇにあってアタシに無いもの……。アタシの攻撃には重みが……」


 玲那はポケットに手を突っ込み、宙返りをしている。背中に縫われた「天上天下」の文字をチラつかせて。


(時間稼ぎで集中力を……こしゃくな)

 緑は気にすることはなかった。その言葉の意味を考えるより先に、限界まで彼女に近づこうと考えたのだ。衝突までのタイムリミットは早まるが、接近せねば勝機はない。ただ攻撃だけに全神経を向け……。



「おっしょぉい!」

 玲那に向かって大きくジャンプ! 同時に、閉じたビニール傘が樹木に突き刺さった。中心から割かれていく様は、まるで蕾が開くようである。


(あと数センチ……!)

 強く踏み込んだつもりだが、それでも飛距離が足りない。わずかにも……玲那に届かないのだ。悔しそうな顔をする緑に対し、玲那は顔を近づけた。



「バイバイ……」


 だが素直に死を受け入れる緑ではなかった。

(ここがぁ……ベストぉ!)

 起死回生の一手として。右手の袖からツタを出現させたのだ。それが猛スピードで成長すると一瞬の内に、玲那の首根っこを掴んだのだ。



「かっ……はぁっ!」

 まるで一本一本が蜘蛛の糸のようである。二人分の体重がかかった玲那の体は、緑と同じ速度で落下することになる。まさに運命共同体だ。


「おまえ堕ちろぉ! 堕ちてくれよぉ!!」

 玲那はお荷物を切り離したい。だがツタを登る緑に引っ張られて、ズルズルと落ちていく。落下を抑えたい玲那と彼女に近づきたい緑。互いの異なる思惑が交錯した瞬間、登り切った緑は玲那の胸ぐらを掴んだ。物語ではついぞ成し得なかった、犍陀多のような生き意地で。




「いろいろ言いたいことはあるけど一つだけ……魔法使いにしちゃあビニール傘はダサすぎだろ」


 緑は片手でぶら下がると、ツタで玲那の全身を包み込ませた。その姿は拘束衣を着させられた囚人のようで。これでは文字通り手も足も出ない。が、ここで諦める玲那ではなかった。


「まだまだぁ!!」

 凶器を使えない状況でも、その目は熱く燃えている。



「……忘れたのかよ、成長したアタシの掌枯れちからを!」


 二人の体はガクンと揺れた。何かが身に起こる前兆……。するとジェットコースターの初動のように、ゆっくりと落下が始まったのだ。安全バーのないフリーフォールだと捉えれば、その恐ろしさが容易に想像できるだろう。



「アタシが落下死する前に……てめぇをミンチにしてやらぁ!! いつ……どのタイミングで止めるのがベストか……。ギリッギリを攻められるようになった! 二人も助けてやんねぇ……てめぇだけが死ねよ!!」


 悪魔のようなニタニタ笑いを続けながら、玲那はさらに速度を上げる。現在の高度はマンションの七階に近い。普通に転落しただけでも致命傷だ。しかも玲那の掌枯れが加わったとなれば、肉片も残らないだろう。


(確かに……この位置だと、オレの身体でミネストローネができちまう)

 緑にとっては、本日二度目の落下だ。一度目を経験したとはいえ、それ以上の高所による心理的ストレスは計り知れない。それでも緑は余裕の表情を崩さなかった。たとえ自分が死んだ時ですら、他人に見せてはいけないのだ。




「勝ってもねぇのに曝け出すのは……バカのやることだぜ」


 そよ風程度だった風切り音が耳障りに感じるようになる、瞬間だった。緑はツタを命綱代わりに、スカイダイビングのように両手足を広げて見せたのだ。


「今さらおせぇぞ!」

 同じ速度……だが二人は空気抵抗が違う。当然緑は玲那よりも落下が遅くなった。頭では分かるが行動に移せない……ことを。平気でやるところに、緑の強さが現れているのだ。

 彼女はパラシュートのように玲那のバックポジションをとると、羽交い絞めのようにホールドする。



「ふっ、ふざけんなぁ! こうなったら道連れじゃ! 道連れ!」


 玲那はパニックを起こしてしまった。自身の腹に抱き着いている緑に。目をぐるぐるさせ、拘束された両手足をモゴモゴと動かしながら。どうやら金縛りにあったかのように正常な判断ができていないらしい。


(おい……一旦落ち着けよ)

 緑に背中をさすられているが、彼女の掌枯れは一向に解除されない。その間も容赦なく地面は近づいて来る。そのまま二人はバックハグの姿勢で加速して。落ちて、堕ちて――。



「生きてるときくらい……諦めんな!」

 地面まで距離……十センチ。二人の体は墜落せず、宙ぶらりんの状態で静止したのだ。

 緑の足には、先ほど割かれた植物の枝がびっしりと巻き付いて。まるでタロットカードの吊られた男のように。ギリギリだが間一髪、二人の命が助かった瞬間だった。



「君のキレイな成長よりも……。泥くせぇオレの方が、一回り早かっただけだな」


 緑は気を失って倒れている玲那にこっそり声をかける。念のため、植物を手錠代わりにして。背面で拘束しながら。

 すると玲那は十秒も満たずにガバッと体を起こした。目を真ん丸にして状況が理解できていない様子である。その姿を見て緑は笑いかける。

「勝負は決まった、ムダな抵抗は――」



「なぜアタシが起きるのを待った! 怯える顔が見たかったからか? それとも犯かしヤリたかったからか? このサド野郎! が……」


 予想外の反応に、緑は初めて意表を突かれた。玲那は強い口調で捲し立てるが、全身を脱力させてへたり込んでいる。

(少し頭でもをぶつけたか)

 玲那はお構いなしに話を続けた。



「チクショウ……アタシはもう終わりか。最後に一目、ゆかを見たかった。ゆかに触れたかった……」


 玲那は遠い目をしながら呟いた。こわばらせた顔も、喧嘩っ早い言葉遣いもなりを潜めて。もう抵抗する気力すら起きていない。これが本来の玲那であり、バトル中にハイだったことが異常なのだ。



「ちょっぴり待ってな……アタシもすぐに向かうから……」


 夕雅もコイツに殺された、という恐怖が彼女の脳内を埋め尽くしていた。

 一般的に、正体を暴かれた屠顔人が生き残った事例はない。敵が夕雅から離れて、自分と戦っていたということは……。後は想像に難くない。



「……おまえ、でもしてぇのか?」


 緑の返答に驚き、玲那は目を見張る。前後の会話と何の脈絡もなかったからだ。どんな思考回路をすればそこに辿り着くのか。理解したかったが、これから訪れる死への絶望が邪魔する。うまく頭が回らない。どうせおまえは死ぬんだぞ……と。

 抜け殻のようになった玲那に向かって、緑は怒涛のような言葉の嵐をぶつける。どれだけ攻撃されても怒りを見せなかった彼女が、眉を吊り上げているのだ。



「圧倒的有利な状況で、圧倒的な力量を持って、圧倒的な勝利をつかみたい……そのキレイ好き」



「目的と手段を十把一絡げにしてるから――想定外に対応できねぇ。取捨選択ができず、あれもこれも欲しがって……。それが思い通りにならないと……ガキみたいにキレ散らかす」



「何が欲しい? 何がしたい? 誰を救いたい? ……いや、すべてを犠牲にしても成し得たいことは何だ……? 自分の大切なモンを守るには、をつけなきゃならねぇんだぞ……!」



「そいつができたら……今取るべき行動は一つ。――このオレを殺すことだろうがよ」


 緑は玲那の前でしゃがみ込むと、頭をわしづかみにして無理やり目線を合わせる。



「まぁ、もう遅いがな。こんな貧弱なメンタルじゃあ……屠顔人として生き抜けねぇよ。とっとと掌枯れを消して、楽になんな」


 説教くさく言葉を吐きかけてからの一転、緑は優しい口調で語り掛けた。実質一択の選択肢を提示して。玲那の行動を著しく制限していたのだ。かなり意地悪な手口だと、緑自身も気づいている。



「……あ」

 ここでついに、玲那が口を開いた。



「アタシが守りたいものは夕雅のすべて……他の奴らなんか関係ない……。進んで道理から落ちたなら……その道を突き進むだけだ!」


 玲那は叫びながら大きく振りかぶり……ヘッドバットを繰り出したのだ。最高のタイミングで。緑の眉間にクリーンヒット!

 怯んだ緑は顔を押さえる。玲那はわずかにできた隙を見逃さず。急いで立ち上がると、石段に向かって駆け出した。



(全てが叶わなくても……。想いではなくを最優先に!)


 道中、玲那は左右に割れた御神木に立ち寄った。ローファーを回収するために。上空に放置していたカミソリの刃を加速させ、ツタの手錠を解かせる抜け目なさを見せる。


(まぁ……及第点ってとこか)

 痛み故か思惑故か……。緑は攻撃を加えることなく、立ち去る玲那を静かに見届けている。その一連の動作を見た彼女は、どこか誇らしげな表情をしていた。



「おまえの大切な人……こちらがしっかりと保護している! 心配いらねぇから早く家に帰んな!」


 緑は去りゆく玲那に大声で声をかけた。その思いが通じたかどうかは定かではないが、玲那は親指をつき立てる。


 このバトルの勝者は緑。だが人としても、屠顔人としても玲那は成長したのだ。以前よりどこか大きな背中を見せて。もう二度と間違えない。もう二度と諦めない。今はただ、「守られる存在」ではなく「守りたい存在」のことだけを考えて。




(そういや、向こうはどうかな……)

 緑がスマートフォンを開くと、チャットアプリに一件の通知があった。発信者は心だ。十七時一分に受信履歴がある。その内容とは……。



『りっかさんがのろされたはわくたすけにきて』


(アイツら、やっぱダメそうじゃねぇか!)

 連絡を受けた緑は、左足を引きずりながら歩き出す。メールの先で何が起こったのか……事件は十七時まで遡るのだ。

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