刻印む

逢初あい

第1話

オトナ達の

大きな声は

コドモの私にはとても煩くて

オトナになんてなりたく無い私には

酷く不快で私を殺す毒薬だ


 私があの人と初めて会ったのは高校に入学して1ヶ月が経った頃だった。夏でも長袖を着ている変な人がいる。そんな噂を耳にしてこっそり見に行ったのがきっかけだった。入学して初めて入る図書室。彼女は静かにカウンターに座り本を読んでいた。こんな綺麗な人見たことない、と私は目を奪われた。その日から私の図書室通いが始まった。

 彼女は非常勤の司書で、週に2、3日程しか居なかった。彼女は酷く淡白な人だった。話しかけても事務的な対応が殆どだった。それでも私は彼女に会いに図書室通いを続けた。試験を目前に控えたある日、私はいつもの様に図書室に居た。最近はここで勉強をしている。人も少なく本の独特の匂いが心を落ち着かせる気がした。

 試験が終わり、私は赤点ギリギリの答案を鞄に仕舞い込み図書室へ向かう。休暇に入る前に借りていた本を返さねばならない。相変わらず彼女は静かに本を読んでいる。

「返却をお願いします」

そう声をかけ鞄から借りていた本を出した。彼女は淡々と作業に取り掛かる。

「この本、とても面白かったです」

不意にそう言葉が出た。私は図書室を後にしようと踵を返すと、背後から

「私も好きですよ。この本」

と彼女の声が聞こえた。振り向くと彼女は私をほんの少し見つめまたいつもの様に静かに本を読み始めた。私は図書室を後にした。段々と歩速が速くなりいつしか跳ねる様に走っていた。くだらないことかもしれない。彼女に取って社交辞令のつもりかもしれない。それでも私には、それが堪らなく嬉しかった。

 休暇が明け、新学期が始まる。相変わらず長袖を着た彼女が図書室で本を読んでいる。今日はふらっと寄っただけだったので直ぐに帰ろうとすると、私に気がついた彼女が呼び止めてきた。

「おすすめ」

とだけ言い、私に一冊の本を差し出した。以前私が面白いと言った本と同じ作者の本だ。覚えていてくれた事に心が躍る。私はお礼を言い、図書室を後にした。彼女が勧めてくれた本の感想を話したり私のおすすめを紹介したり、本を通じて彼女と話す様になった。

 それからも私は、幾度と無く図書室に通った。退屈と思っていた学校がこんなにも色付いて見える。我ながら単純だと思う。今まで、誰かに恋心を抱いた事が無かった私には酷く刺激的で酷く甘美なものだった。一年、二年と時間が経ち、私の卒業の日が近づいてきた。もう直ぐ気軽に会いに来れなくなる。そんなことを考えると私の心は締め付けられるように苦しくなった。あれから彼女とは何度も会話をした。しかし、そのどれもが本の感想を言い合うだけの他愛の無いものだった。私は、途端に彼女の事をもっと深く知りたいと思った。気がつくと、図書室の前に立っていた。ただ彼女と話したいだけ、と言う不純な動機に些か気が引けていると、

「入らないの?」

と聞き慣れた彼女の声が聞こえた。彼女は私の顔を見るや図書室横の事務室に招き入れた。彼女はそこで紅茶を振る舞ってくれた。気まずい沈黙が流れるが、彼女はなにも聞かない。私は意を決して、ずっと気になっていた事を彼女に尋ねた。

-何故いつも長袖を着ているの?-

と。何でも無いはずの疑問に何故こんなにも心が掻き乱されるのだろう。彼女は一瞬私と視線を交わし、直ぐに目を伏せた。そしてポツリと、

「私が、卑怯で悪い人間だから」

とそれだけ言って再び沈黙した。私は訳が分からずさらに問いを続けようとすると、遮るように

「この話は終わり。それ飲んだら帰りなよ」

と言い、彼女はその後何も言わなかった。

 卒業式を目前に控え、何処か浮ついた気持ちが抑えられない。この学校とも、そして彼女とももうお別れか。そう思うと切ない気持ちで胸が一杯になる。あれから、私は図書室へ行っていない。彼女に、何と声をかけていいか分からなくなってしまった。明日は行こう、そう思い続けて気がつけば卒業まで1週間となってしまった。今日こそは。そう思い図書室へ向かう。するとその途中で、担任に呼び出された。生徒指導室へ連れられるとそこには、校長や学年主任の姿もあった。何事かと不安に感じていると、学年主任が話を切り出した。

曰く、図書室の非常勤司書の彼女は、社会的に問題のある人物の付き合いがある。本人もそれを認めていて、さらに彼女は身体に多数刺青を彫っている。そしてそれを隠して働いていた。学生への悪影響を考え、自主退職してもらった。良く図書室を利用していた君は、何か唆されていないか?

と。

それから先は、あまり覚えていない。聞かれたことに当たり障りなく答えて教室へ戻った。

1週間後、私は卒業した。しかし、この1週間全てのことが私の心をただ滑り落ちていくような感覚しかなかった。私は早々に帰路に着こうと校門を出ると、そこには彼女がいた。私が声を出すよりも早く、

「卒業おめでとう。少し話さない?」

と言い、歩き始めた。私は彼女と並んで歩き始めた。他愛のない話を私たちはした。いつか図書室で交わした、そんな何でもない日常をなぞる様に。そう言えば、と言いながら彼女は腕を捲ってその下に刻印まれたタトゥーを見せてくれた。一瞬驚いた私をよそに彼女は言った。

「これが理由。私はこうでもしなきゃ社会に許容されないから。不思議だよね。私にとってこれは傷を隠すためのものなのに。」

私は何と言っていいか分からず困惑していると、私こっちだから、と彼女は言った。いつの間にか駅まで来てしまった様だ。

「じゃあね」

彼女は、ヒラヒラと手を振りながらそれだけ言い立ち去っていった。


わたしは彼女の”傷”になれたのかな

なりたかったなぁ

そうしたら一生消えない傷を刻印めたのに

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