求めよ、さればあたえられん

Hiroe.

第1話

 町はずれの小さな家に、一人のおじいさんが住んでいました。おじいさんは、町の人のことも、空の鳥のことも、野の白百合んことも、とても愛していました。


 ある日、疲れたきこりがおじいさんの家にやって来ていいました。

「わるいが、水を一杯もらえないか」

おじいさんは喜んできこりを招きいれました。

 きこりが椅子に腰かけると、テーブルの上に水が入ったカップがあらわれました。きこりはおどろきましたが、あっというまにそれを飲み干してしまいました。おじいさんはうれしそうに笑っていいました。

「もう一杯いかがかね?」

きこりがうなずくと、カップはまたもや水で満たされていました。

 おじいさんと話しているうちに夕方になり、きこりはどうにも眠たくなって、椅子に座ったままうたたねを始めてしまいました。おじいさんは一枚の毛布を持ってきて、きこりの肩にかけました。誰が整えたのか、暖炉ではあたたかな火が燃えています。


 きこりは夢を見ました。なつかしい夢です。

 きこりの父もまたきこりで、貧しい暮らしの中できこりを育ててくれました。美しい母は、きこりが生まれてすぐに死んでしまったのだと聞きました。やがて父も死んでしまうと、きこりはひとりぼっちになりました。町の人はみんな親切でしたが、たったひとりの家族がいなくなってしまったのですから、きっとこれからもずっと一人なのでしょう。きこりは悲しみに暮れました。けれど、生きていくためには森へ行かなくてはなりませんでした。

 何年もひとりぼっちで森で暮らしているうちに、きこりは何も感じなくなりました。森にこだまする斧の音は、小鳥の羽ばたきよりも高く、とほうもなくくり返されます。

 やがてきこりは考えるようになりました。斧をふるい続けたうでは太く、どんな大木でも切りたおせるたくましい自分が、他の人よりも劣っていることなどありえましょうか。その気になれば、きこりは兵たいよりも強いのです。この国で一番美しい娘に求婚すれば、必ず娘は応えるでしょう。娘というのは強い男が好きで、きこりは間違いなく誰よりも強いはずだからです。ただ、きこりはもうずいぶんと誰とも話していないので、どのように求婚すればいいのかわかりませんでした。だから求婚するためには、娘に近づく他の男を追い払い、怯える娘を力一杯抱きしめるしかないでしょう。

 眠るきこりの固い髪を、おじいさんの手がやさしくなでました。なんて可哀想なきこりでしょう。


 きこりは夢を見続けました。大人になった自分が、一人で年老いていく夢です。

 親切な町の人々は、きこりを恐れるようになりました。力じまんのきこりは美しい娘をかつぎ、森の奥深くへとさらっていきます。きこりは美しい娘を愛していましたが、娘は思いやりのないきこりを愛しませんでした。毎ばん泣きながら愛しい我が家を思い、娘はやがて一人の男の子を産みました。

 そこで初めて、きこりは娘が母であることに気がついたのです。

 きこりは母の顔を覚えていませんでしたが、夢の中で、母は生まれたばかりのきこりを胸に抱き、愛しているわとささやきました。初めて聞くその言葉におどろいて、きこりは夢から覚めました。


 「よく眠れたかね?」

 おじいさんはきこりにたずねました。しかしきこりは何も言わず、ただホロホロと涙をこぼすばかりです。

「息子よ、眠りはやさしいだろう。力にまかせた世界は住みやすかろう。お前はそれしか信じない。けれどごらん、その強くてしなやかな腕には今、なにも残ってはいない。お前には欲がない、けれどお前はごうまんだ」

きこりはうなずいて、空のカップを握りしめました。

「うたがう必要はない。お前はずっと愛されているんだよ」 

 きこりが水を求めたとき、主は喜んで招き入れてくれたではありませんか。

 父なる神のもとで、絶えることのない水がかわきをうるおしてくれているではありませんか。


 誰にも愛されないきこりは、誰を愛したこともありませんでした。町の人々はきこりを愛そうとしましたが、きこりは自ら深い森へと去ったのです。

 いつでも求めるものは目の前にあって、そこに手を伸ばすのは、他でもないきこり自身が決めなくてはならないことでした。


 ふと気がつくと、きこりは深い森の中にたたずんでいました。ほおを伝う涙には、温かさが宿っています。きこりはその場に斧をおくと、久しく遠のいていた町の方へと歩き始めたのでした。

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求めよ、さればあたえられん Hiroe. @utautubasa

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