眠れない夜の雲をくぐって

とぅいんくる

第1話 眠れない夜は

今日は何だか眠れない

特別不安なことも無いはずだけど

とても寂しい気がしている

こんな眠れない夜は雲をくぐって

君に会いたくなる



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「おはようございます」



勢いよく挨拶をして会社に入る。私より先に来ていた社員がまだらに挨拶を返してくれて、私は自分の椅子に座る。パソコンを起動している間に、今日の業務の確認をする。


「この資料、期限が近いから今日やっちゃいたいな...」


私、田川 梨々はこの4月、ここ「株式会社フィアレス」に入社したばかりの新人だが、蝉が大きな声を上げる夏になった今、自分で業務を管理出来るくらいには成長した。


「おはようございまー」


背後から聞こえてくる、余裕のあるあいさつ。

私はその声に過敏に反応し、挨拶を返す。

先程までまだらだった社員の挨拶も、この人への挨拶となれば違う。


僅かにそよぐ風に靡くショートヘアと、フローリングの床をコツコツと奏でるパンプス。スラリと伸びた脚と、その長さに不釣り合いなのではとすら思えてしまうほど小さな顔。


彼女はみんなの憧れの先輩「浪川 紗英」さんで、私は密かに思いを寄せている。


といっても、彼女程のエリートが私と関わりを持つわけが無いので、正直話したことは片手におさまる程度でしか無い。


「はあ」


その美しさと、話しかけることも出来ない自分への不甲斐なさにため息が出る。


何もしらない。いわゆる「一目惚れ」ってやつで。それでも四六時中彼女のことを考えている。

女の子を好きになるのなんて初めてでよく分からないし、そもそも彼女も女の子に好かれるなんて違和感しかないだろうな...。


なんて考えながらもう一度ため息をついて、業務にとりかかった。


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「ただいまー」



仕事を終えて、家に帰る。

おかえりの言葉は返ってこない。

ドアの開閉の音ですら大きく聞こえる、社会人一年目には寂しすぎる一人暮らしの部屋。


この寂しさが一際気になる日があって。

別になにか理由がある訳では無いのだけど、そういう日は余計なことをグルグルと考えて眠れなくなる。


ベットの傍にある窓から星空を眺める。


「はぁ。会いたいなあ」


つい数時間前まで同じ空間にいた浪川先輩のことを思い浮かべる。ひとり寂しくて眠れない日、私は必ず彼女を思い出す。


彼女の些細な仕草や表情、今日誰かに向けていた言葉を思い出すと、胸の奥があたたかくなって、なんだか安心するのだ。


もしかして、この星空を浪川先輩も見てるかな。

見てたらなんか、繋がってる気がする。

この星空の雲をくぐった先に、あなたがいる気がする。


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「......り!梨々!」



「ん...」


誰かに何度か名前を呼ばれて目を覚ます。

春から一人暮らしをしている私には久しぶりの感覚だった。

寝ぼけ眼を擦って顔をあげる。私の事を呼んでいた主を見た。



「梨々?次小テストだけど寝てていいの?」



私の頭にはハテナが大量に浮かんだ。

社会人であるはずの私に、高校の教科書を見せながら次の授業の話をしているのは、紛れもない私の上司の浪川先輩だったのだ。



「え...?浪川先輩...?ですよね...?」


混乱しながらも極力失礼のないように、精一杯の敬語を使う。


ハテナだらけの私に、浪川先輩も同じようにハテナを向けてきた。



「え?先輩?何言ってるの?いつも紗英ちゃんって呼んでるのに!」



寝ぼけすぎじゃない?と鼻で笑われてしまったが、私にとっては確かに異世界的な空間なはずなのだ。


周りを見渡してみる。


見覚えのないクラスメイト、着たことのない制服。見た感じ高校だろうが...。

極めつけは黒板に書かれた日付。


「2013年9月17日」


今は2023年のはずだったし、私が仮に高校生だとしても、2018年とかのはずであって。信じられはしないが、徐々に今の状況が理解出来てきた。恐らく私はいま、浪川先輩の高校生時代にいる。

夢なのかタイムスリップなのかは分からないが、こんな素敵な状況を楽しまないわけにはいかなかった。



時期が違うからか馴染みのない教科書と見たことの無い教室で授業をうけ、放課後のチャイムがなった。



「梨々、今日カラオケ行こうよ!」



普段の私にとっては、憧れの先輩からのありえないお誘いだが、今だけは浪川先輩の友達なのだ。

ドキドキしながら、ゆっくりと頷く。



「きまりー!何歌おっかなあ」



無邪気にはしゃいで、顎に手を当てて考えている浪川先輩は、普段の姿からは想像できないくらい可愛くて、胸がきゅーっときつくしまるのがわかった。



カラオケボックスについて、お互いの反対側の席に座る。各々がデンモクを持ち、何を歌おうかかんがえる。すると、突然耳馴染みのある曲が流れてきて、私は勢いよく画面に目を移した。



「え!?flyby好きなの!?」



flybyとは私が大好きなバンドだが、テレビに出るようなグループでは無いため、一般的な知名度は低い。だから浪川先輩がこの曲を歌おうとしていることにとても驚いたのだ。



目をまん丸にしているであろう私の表情をみて、浪川先輩は怪訝な顔をした。



「本当に今日おかしいよ。私たちいつも一緒にライブ行ってるじゃん」



私には無い記憶だが、この世界ではそうなのだと受け入れることにした。だってこれは嬉しい記憶違い。このままこの世界にいることが出来たらなぁなんて考えていたら、時間はあっという間に過ぎていった。





学校を出た頃は明るかった空は、暗い橙に変わっていた。まぁるく燃える夕日で赤く染まった道路に、2人の影が浮かんでいる。



今日会ったことを2人で共有しながら帰る。まだ体験した事のないはずの「日常」が、既に愛おしかった。


笑ったはずみで、浪川先輩の手に自分の手が触れてしまった。



「あ、ごめん!」



なんとなく恥ずかしくて、急いで自分の手を隠した。



「ねぇ梨々」


さっきまでとは違う、少し低めの声だった。


「私、梨々のこと...」


次にくる言葉を想像して、私の脈は早くなる。

浪川先輩の真剣な表情に吸い込まれそうになるのが怖くて、反射的に目を閉じた。


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「はっ...!」



目を開けた時に見えたのは、あの浪川先輩の顔では無く、よく見なれた天井だった。



「あー、寝てたんだ。」



結局夢オチか...と少し悲しくなったが、苦しいほど早い鼓動は現実だった。



「あー、最悪!充電せずに寝てたじゃん!」



慌ただしく、現実的な朝が始まった。

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