第2話  母との約束



『イリーナ────おまえの目には魔力がある。それは、相手の心を虜にし、従わせる魅了の力なの。とても強い力だからこそ、気をつけなくてはいけない。例え相手が獣でも、むやみに目を合わせたり、従わせようとしてはいけないよ。その力は、自分の命を守る時だけしか使わないと、母さんと約束してちょうだい』

『うん。お母さん』


 母が亡くなった時、イリーナは八歳だった。

 亡き母と交わした約束を守る為、彼女は十年の間〝魔力なし〟を装ってきた。長い前髪で顔の半分を隠し、人と目を合わせることをひたすら避けてきた。


(私は一生、結婚できないんだろうなぁ)


 唯一の相談相手である母を亡くしてから、一番多感な時期を過ごしたイリーナは、早々に自分の幸せを諦めていた。


 魔法騎士団付きの救護助手になったのは、高額な給料が目当てだ。

 母を亡くしてからの父はすっかり意気消沈し、商売は少しずつ傾いていった。徐々に膨れ上がってしまった父の借金を返すには、高額報酬が必要だったのだ。



「────リーナ、イリーナったら! 聞いてるの?」

「あ、ごめん」


 討伐が終わると、白鷲騎士団の救護室はとたんに暇になる。

 治療師のアレクは窓際の長椅子に寝そべって本を読んでいるし、イリーナとミレシュはお茶を飲みながらお喋りの最中だ。もちろん、喋るのはほぼミレシュだ。


「昨日の火トカゲ、やっぱりゼノン様の氷剣が倒したんですって!」


 にんまりと笑うミレシュは、どこか得意気だ。推しの活躍がよほど嬉しいらしい。

 ちなみにゼノン様というのは、白鷲騎士団のゼノン・フェルラント団長のことだ。グランウェル王国で一二を争う氷魔法の使い手で、淡い金髪に青い瞳の美丈夫だ。


「団長さん、すごいね」


「ホント! 顔は良いし、魔力もピカイチ。伯爵家の次男てトコまで隙があって素敵だわぁ」


 ポリポリと焼き菓子を食べながら、ミレシュの顔がフニャリとふやける。

 イリーナはきょとんとしてから首を傾げた。


「次男だと、隙があるの?」


「あらやだっ! イリーナったら知らないの? お貴族様の息子でも、爵位を継げるのは長男だけなのよ。まぁ、下位の爵位を持ってるお家もあるけど、次男以下はうちら平民にも手が届くかもしれないお星さまなのよー」


「……そう、かなぁ」


 お星さまは、手が届かないからお星さまと呼ぶのではなかろうか。

 イリーナは肩をすくめて焼き菓子に手を伸ばした。


「まったくイリーナは夢がないんだからぁ! あたしよりゼノン様と接点があるくせにさぁ」


「ぐふっ」


 イリーナは、口に入れた焼き菓子を吹きそうになった。

 ミレシュの言葉で、忘れたい記憶が蘇る。


「アレク先生から聞いたわよ。あたしが入る前、歓迎会で酔い潰されたイリーナを、ゼノン様が仮眠室に運んで介抱してくれたんでしょ? もしそんなチャンスがあたしに巡ってきたら、絶対にゼノン様を押し倒してたわ!」


「……氷の刃で串刺しにされそう」


「ったくイリーナったら! あたしがいくら騎士様との合コンに誘っても、一度も参加しないじゃない。それだから婚期を逃すのよ! あんたもう十八歳なのよ、わかってる?」


「ミレシュだって、一歳若いだけじゃない」


「乙女の一歳差は大きいのよ!」

 ミレシュはぷっと頬を膨らませた。


 他愛のない、いつもの会話。

 この時のイリーナは、まさか自分が結婚することになるとは夢にも思っていなかった。


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